どうも、ひのきですm(*_ _)m
やってきました!!
今回の神社巡りの大トリでございます
中々大きな規模でかなりの崇敬を集める神社なのですが意外な事に由緒については僅か
まっすぐ奥へ向かいます、こちらが瑞祥門
その先に拝殿があります
こちらが拝殿
恐れ多くて遠景のみですが、拝殿向こう、玉砂利の先には御垣内三殿になっていて中央に天照大御神、右に月読命、左に須佐之男命が祀られています
ツクヨミ様を祀られているというのも珍しいのですが三柱、三貴神を御祭神とされているところもなかなか無いかと思います
黄泉の国より戻った伊邪那岐命が穢れを落とした際、最後に生まれた三柱を最も尊いとしたことから三貴子(みはしらのうずのみこ)、三貴神と読ばれています
阿佐ヶ谷神明宮では全国唯一と言われている 八難除祈祷というのが有名でして時期になるとズラっと多くの人が並びます
また結婚式も人気なようでこの時もひと組が式を挙げてらっしゃいました
おっと、本殿にご挨拶して満足してはいけません
拝殿の右手前に鎮座されるこちら、元宮
三社造りになっていて伊弉諾命、伊弉冉命、日本武尊が祀られています
拝殿には人が並んでおりましたので私は先に元宮へご挨拶させて頂きました
ちなみに拝殿左側に降臨殿という祈祷殿があるのですがそちらには天照大御神荒御魂と豊受大神が祀られていますが祈祷を受ける方だけが入れます
私は付き添いとして入殿させて頂いたことがあるのですが神事中ということを差し引いても、降臨殿はとても神々しく凄い雰囲気で素晴らしかったし拝殿内から拝ませて頂く三殿もまたとても素晴らしい御神域でした
では境内を巡っていきましょう
瑞祥門の手前には御神木 夫婦けやき
正面から撮ったらわからなかったですね? 元は二本だったものが成長するにつれ寄り添い、そして一本になったんだそうです
御神木の横には猿田彦神社が鎮座します
この時だけやたら横風が吹いていたので紙垂がめくれ上がっていますw
瑞祥門を出て左側の茂みの裏、こちらの岩は天の岩船と呼ばれていますが由来などはどこを調べてもわかりませんでした
近付けないのでズームにて
境内右手には素晴らしい能楽殿
区の文化財に指定されているそうでほんと、お手本のように素晴らしいですね
能楽殿の向かいには北野神社
北野神社といえば道真様、道真様といえば合格祈願
合格祈願 ごーかく祈願 ごかく祈願 五角、、、あっ
こちら、しっかりとした植栽に埋もれるように鎮座されていてしかも目の前が能楽殿なので油断していると素通りしてしまいます、ご注意を(。-_-。)b
さて、神明宮ではオリジナルのブレスレット型お守りや可愛らしい御朱印などが人気なようですが私が注目したのはこちら
陽のおみくじ、月のおみくじ
この日は瑞祥門を潜ってすぐのテントに置かれていました
個人的におみくじは年のはじまりだとか ここぞ という時だけに引きたいのですがさすがにこれはセットで引いてしまいました
こちらの陽月ストラップ目当てですw
裏面はザラザラの平面になっていました
好都合!!思いついたっ!!( ̄▽ ̄)ニヤリッ
丸カンを外して背合わせに合わせたら完璧やん?
このままだと揺れる時にシャリシャリしちゃうのでこの後両面テープで貼り付けました
ちなみに大吉と小吉、どちらも太陽と月に因んだ言葉が書かれているの、良いですね(*^^*)
さて、当初の予定を大幅に超えたこの日の神社巡りもこれにて終了!!
怪我もなく、イラッとすることは少しだけありましたがw、概ね穏やかに、そして巡る神社巡る神社で素晴らしい氣を頂きまして、過去最大級に凄い一日となりました
その最後を飾った神明宮でしたが、おおっ!? というような事はありませんでしたが、やはり天照様のいらっしゃる神社特有の高尚な感じでございました
ありがとうございましたm(*_ _)m
あ
と
が
き
ちょっといつもと違う書き出しですw
少し迷ったのですが、別に神明宮さんを貶めるわけではなく、素晴らしい神社は神社として、気になったことは気になったこととしてやっぱり書いておきたいなーと思った次第であります
日本武尊が東征の際に休息をとられた場所が村人により語り継がれ、後にお社を祀ったのが始まりだそうです
東征が西暦110年からで113年には日本武尊が亡くなっていますのでそれ以降のどこかで建てられたということです
次に書かれているのが1190年頃、土豪が霊示により伊勢の神宮 宮川より霊石を持ち帰り安置したものが現在も御神体となっているとされています
つまり創建が110~1190年と千年程のうちのどこかという幅があります
公式HPの 阿佐ヶ谷神明宮の現在 というところを読むと「都内最大級の伊勢神宮勧請の神社」と書かれています
日本武尊を偲び建てるお社として村人が伊勢神宮から勧請したとはちょっと考えづらい気がしますので、恐らく神明宮としての創建は1190年頃ということになるのではないでしょうか
また、霊示を受け石を持ち帰ったとありますので正式勧請ではないのかもしれませんね
勿論、霊示に従い御神体(縄文期の磨製石器らしい)を持ち帰り今でもこれだけの崇敬を集めているのですからしっかりと神様は宿られていらっしゃると思います
そしてキーになるのが元宮
元宮というと遷座前の鎮座地に建てられているお社という感じがしますが、こちらの元宮、日本武尊が祀られていることからも偲んで建てられた元の 一社 ということでしょう(勿論こちらも元の鎮座地から遷座されているでしょう)
となると、霊示により持ち帰った御神体は一時的に元宮に祀られた後にお社を分けて祀られたのでしょうか
今では多くの方が元宮に気付くことなく素通りされてしまっているのが少し寂しくもあり、そんな中で周りを気にせずしっかりとご挨拶出来ることが嬉しくもあり
三峯神社は日本武尊が伊邪那岐伊邪那美を祀り、この国が平和であるよう願って創建した神社
もしかしたら日本武尊を偲んだ村人の願いとは、、、
あは、ただの想像です(*^^*)