どうも、ひのきですm(*_ _)m
荏原神社から川沿いに歩きちょっと住宅地の中に入り込んだところ
あぁ、なんか良いなぁという雰囲気がある下町?風の路地を歩いていくとこちら、寄木神社です
サクサク歩いていると、まぁこんな場所をサクサク歩くのはこの辺りに住まれている方くらいでしょうが、神社だと気付かずに通り過ぎてしまいそうです
社務所前の参道を進むと鳥居があります
路地から見ていた感じでは町中の氏神様かなという落ち着いた雰囲気だったのですが参道半ばあたりから違和感へと代わり鳥居前で完全な緊張感へと変わります
待って、、、ここも凄そうなんですけど!!
の~んびりした神社巡りのつもりが凄いところ連発とは
素晴らしい存在感の神額は波模様が施されていてとても美しい
鳥居前左手にはこちらもまた凄い存在感のお社と手水舎ですが大きな資材袋?が積まれていて雑、、、なように見えてちゃんと寄せられてもいて不思議な感じ
凄く引き寄せられる境内社ですがこちらも、まずいの一番に主殿へご挨拶せねばならないと感じ鳥居を潜ります
鳥居右手には岩がゴロゴロとあるのですがどことなく海沿いといった感じの岩で何か宿られているのかといった迫力があります
少しコミカルな表情の狛犬さんも凛とされています
御祭神は日本武尊と弟橘姫命、相殿に西宮大神(恵比寿様)、大己貴命、少名彦尊
街並み自体からは特に感じ無かったのですが、そうか、港町だものねと感じさせる独特の雰囲気ある御社殿からは強い威厳が溢れ、氏子様方の気概さえ伝わってくるかのような素晴らしさ
私としたことか主殿の写真を撮っていない!?
その理由はこちら、鏝絵天鈿女命功績図の迫力でした
鏝絵とは初めて聞いた言葉ですが漆喰のレリーフのことだそうでなんと本殿が蔵造りになっておりその扉の内側に瓊瓊杵尊、猿田彦大神、天鈿女命のレリーフが彫られているのです
ガラスへの反射が強かったのですがライトアップされていたお陰で辛うじてそのお姿が見えました、右手が猿田彦大神
そして天照皇大神(三種の神器を携えていることから瓊瓊杵尊であるとする説もある)と胸をはだけた天鈿女命のお姿
これは凄いっ、迫力もあってとても美しい!!
小さなツッコミとしては天孫降臨の時にゃさすがに乳をはだけてはいなかっただろうって思ったのですが、あれ?と調べてみたら日本書紀ではこの時も乳房露にされていたと書かれていますね(*^^*)b
ちなみにこのレリーフ、ウズメ様の乳房に触れると乳の出が良くなるとされているようです
こちらも社殿を一周出来そうだぞ(*^^*) と進むとなんと美しい石造りの御本殿!!
背後には立派な銀杏!!
本殿お背中マニアな私としては嬉しくて小躍りしたくなる素晴らしい御本殿ですね(*´ω`*)
拝殿との一体感もとっても素晴らしい、いや、ほんと、素晴らしい
そして拝殿右前の境内社は赤鳥居が並ぶこちら
ビシッと緊張感のあるお稲荷様だったので上の写真だけ撮らせていただきご挨拶したのですが、鳥居脇の境内社にご挨拶した後に戻り、お断りして写真を撮らせていただきました
なんと生きているかのような神狐様、神額には庄野稲荷とあります
そして鳥居脇のこちら、独特の存在感があるお社です
ご挨拶をすると妙な重厚感、、、こちらはいったい、、、?
脇に素晴らしい亀が彫られた巨石、銘板には神亀 神狐とありますが狐様のお姿は? お稲荷様の神狐様のことでしょうか
このよく見かける尾の生えたような亀ですが、蓑亀といって甲羅に蓑のように見えるほど長い藻が育っていることから縁起と長寿の印とされているんだそうです
普段だったら繋がらなかったでしょうね、この日は何かアンテナの感度が良かったようで神亀のお姿を見て何かが働いたようです、お社へ戻り失礼しますと覗き込んでみると正面からは見えなかった神額が!!
栄亀大明神!!
ということで調べてみました!!
一説によると創建は1600年頃とされていますが、日本武尊東征の折り、身を投げ荒れた海を鎮めた弟橘姫伝説の際に彼らが乗っていた船の一部がこの地に流れ着き漁民が祀ったのが起源とされていますので310年頃より祀られている可能性があります
また社伝によると奥州征伐に向かう八幡太郎義家がその由来を聞き戦勝を祈願し、平定後に兜を奉納したことからこの地が兜島と呼ばれてもいたそうですので埋め立てられる前のこの辺りは島や州のようになっていたのかもしれません
また漁師町であったことから海にまつわる神を祀る事で安全航海と大漁を祈願したのでしょう
海沿いにはこうした伝説の地が数多く残されておりその年代に大きな開きがあることなどからも実際に船の破片が流れ着いたとは少し考えづらいとは思いますし、祈願や奉幣ならいざ知らず太刀や兜、鎧といった各地の伝承においてはそれほど沢山の武具を携行していたわけはなかろうと考えざるをえません
まさか戦へ行くのに奉納用に大量の予備を携行していたとは考えづらいですし奉納するのに部下の武具を用いるなど凡そ神に対するとは思えない事などもしないでしょうしね(*^^*)
ただ、人々の想いというのは御神体やお社にしっかりと宿ります
そしてこの国は八百万神の国、純粋な想い篤き所に神は宿ります
こちらの神社からは、それを感じました(*^^*)
栄亀大明神と書かれたお社は亀の甲社と呼ばれているようです
明治期、品川沖に現れた大きなウミガメを捕え見世物としたところ鎖が首に巻きついて死んでしまった為にお社を建て祀ったといいます
ちょっと酷い、、、とは思いますが、もしかしたら祟りを恐れたのか実際に事故が相次いだのかといったところでしょうか
その甲羅は上野博物館へ寄贈されたと言われているようですのでそれほどの大きさだったということでしょうか
なんかふわふわした記事になってしまったような気もしますが、こういった神社参拝こそ、神社巡りの醍醐味!!
既に書かせていただいた通り、(ちょっと暴論になりますが)記紀を含め古い話というものは何がどこまで本当なのか、何をどのように比喩として書かれているのか、まさかそんなという事が実は真実である場合もあるでしょう
こんな短い生涯の中、我々が学校で学んだ歴史というやつが僅か十年二十年で綺麗に覆ってしまう事もあるくらいですから、百年二百年、千年二千年前の話がどこまで本当でどこまで創作なのかなんて分からないのです
だが、ぞれがいい(*´ω`*)
寄木神社には素晴らしい雰囲気があり、そして素晴らしい鏝絵が奉納された素敵な本殿があり、そして人々の想いが詰まっている
神社巡りは土地巡りでもあり、こうした参拝は心の栄養となります(*^^*)