どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、荏原神社
川崎で参拝した後どうしようか、、、川崎から京急だから品川近辺かな~(*^^*) と言ってもあまり長い時間はとれないので駅近辺だけとなると...
実はこのエリア(やや広めに)には気になっている神社が数社あるのですがそこまで行くには乗り換えや徒歩がそこそこ入ってしまう
うん、天気も良いし! 午の日だけれど龍神様が飛んでらっしゃる気分だから品川神社の双龍鳥居さんと御神水で清めて頂きに行くか(*^^*)
と調べてみると近いのが新馬場駅、駅周りに数社あるな、、、うーん、よく分からない神社だけど荏原をえばらと読むことは出来るぞ♪ まぁその辺を回って、と、、、よし、ルート出~来た♪
初めて降りる新馬場駅のホームからはチラリと品川神社が見えましたが向かうのは逆方向、目黒川沿いに東へ
お稲荷さん(次の記事になります)へご挨拶して歩いて行くと急激な空間変化がっΣ( ˙꒳˙ ;)
確かに左手に境内社が見えますしこの一部分だけに木が掛かって影になってはいますが明らかにここから空気感が違うのです
一気に緊張感が増す
いつもの私ならこの明らかな存在感を放つ手前の境内社へ真っ先にご挨拶するのですが、ここで野生の勘が発揮される
- ここはしっかりとした順序でご挨拶せねばならない -
うららかな日、川沿いののんびりした街でのんびりと神社巡りな気分だった私はすぐにスイッチを入れ直して再起動
果たして、歩を進めるとすぐに見えた社前の朱い橋は鎮守橋
すーーー...はーーー... いざ!!
鳥居のすぐ後ろには恵比寿様が素晴らしい笑顔を投げかけてくださっています
しっかりとした屋根が美しい手水舎、そして茅の輪、御社殿
御神威が満ち溢れています
ガチっと巻かれた茅の輪は早めに建てられていたのか全体が茶色くなっていますがそれがより結界感強く、というのは思い込み過ぎでしょうか
思いっきり逆光ですが、光を差し引いても本当に凄い威圧感
実際の大きさ、写真よりももっと大きく迫力があり自分が物凄く小さくなったかのような威圧感、それでいて温かみもあり、冷たさもあり? なんだこの感覚は!!
この時ふっと頭に浮かんだのはぐるぐると渦巻く陰陽でした
柱に文字が、と見てみると御祭神が書かれておりました
高龗神
須佐之男命
天照皇大神
............!!!
高龗神!!
よく分からない神社だけど♪ えばら は読めるぞ♪ じゃねぇよ! ふと思った龍神さんにご挨拶って、めちゃめちゃ呼んでくださってたじゃねぇーか!!(>_<。)
ありがとうございますありがとうございますありがとうございます
なんと、屋根から龍が!!
ッキュッキュッ カッシャッ!! Σ(OωO )ビクッ!?
か、カラス様が降りて来た!!
あ、あれ? なんでこんなアングル? しかも画質が???
上の写真は広角だから遠く見えますがこの時のカラスとの距離は2m無いくらいだったのになんかやけに遠くからズームで撮ったような、しかもカラスさんがやや見切れてるしなんだこれ?
っていうか鴉さんをもっと数枚撮った気がしてたんだけど。。。
こちら側の龍さんも凄いです
と、参拝者さんが茅の輪潜りを始める足音が聞こえるとカラスは上へ
と、玉垣内の結界がスッと弱くなったようなそんな気がしたのでご挨拶を終え、深々と礼をして退出
境内右手側には石碑や神楽殿、社務所などがあるようでしたが立ち入り禁止となっていました
いやー、、、凄かった。。。 いや、まだだ、あの場所がある。。。
こちらが境内社、ここも最初から凄い空気感です
何よりも、もう参道が木の根に持ち上げられ歪んでいるところなんか最高に堪らないですよね
倒壊してしまったのでしょう、斜めに二基の灯篭跡がありお社は三社が並んでいます
右座 熊野神社 家都御子大神
中座 稲荷神社 宇迦之御魂神
熊野さん!! この右手、本殿脇となる木の上にはずっと二羽の鴉様がいらっしゃいました(御祭神については後に)
こちらの境内もまた氣が渦巻いている感じがして凄いのですがやはり玉垣を超えて本殿側から溢れる氣が凄いです
いやー、凄かったです
たまたまかもしれませんが社務所近辺が立ち入り禁止になっていて無人社のような感じになっていましたがそれでもしっかりと手が入れられているし社殿等の老朽感と維持のバランスがとても素晴らしかったです
ではいろいろ調べて参りましょう!!(`・ω・´)ゝ
公式HPを見ますと御祭神は
右座 豊受姫大神
右座 天照皇大神
中央 高龗神
右座 須佐之男神
左座 手力雄之神
と書かれています(縦書きですが)
中央を挟み左側のスサノオにも 右座 と書かれている、そしてオオトリ様とエビス様には 左座 とは書かれていないのですが全七柱とすれば左右に三柱づつになるので主座五柱として並べ書く都合なのでしょうか、或いは右座ではありますが内宮外宮を別格としているのでしょうか
また末社として伊邪那岐命、伊邪那美命、稲荷大神、応神天皇、徳川家康公、白山姫命、大国主命、木花開那姫命(表記が珍しいですね)、市杵嶋姫命と書かれています
立ち入れる場所の末社はお稲荷様と応神天皇がいらっしゃいますが熊野様の御祭神は?? あっ、諾冉がそうなんですね!! となると家康公以下の神々は境外社にいらっしゃるのか合祀されているのか、拝殿より奥やどこかにお社が祀られているのか境外社なのかという感じでしょうか
御由緒を調べてみるとこちら、さすがあの御神威とも言うべき古社でありました
709年9月9日に奈良の丹生川上神社より高龗神を勧請とあります、1300余年も前なのにしっかり日付まで明記されているところと9で揃えられているところからもしっかりと準備された上での創建だということがわかります
はて、丹生川上神社とは? 調べると675年創建とされる龍神総本宮なんだそうです!! なんとっ!!!
1029年に神明宮、1247年に八坂神社が勧請されています
ただし荏原神社の例大祭は9月9日の貴布禰祭りであること、京都から八坂様も勧請されていることからも丹生川上神社ではなく貴船神社からの勧請ではないかともされています
また荏原神社は分霊された神社で元宮は品川貴船神社ではないかという説、逆に現在地へと遷座した跡地に創建されたのが品川貴船神社ではないかという説があるようです
この辺りから難しくなってきます、とにかくリソースと情報が断片ばかりで明確な記述が公式にすら無い?!
まず、今は社南を流れる目黒川ですが元は北側を流れていたそうで川を挟んで北の天王さんが品川神社、荏原神社を南の天王さんとして二社が品川鎮守とされ崇敬を集めてきました
品川神社に大黒様、荏原神社に恵比寿様がいらっしゃるのもそういうことなんですかね(*^^*)
この二社においては残念ながら所謂勢力争いが始まります
なんと徳川家康が朱印地を寄進したのですがその際の社名が 品川大明神!! 共に品川大明神であると主張して争い、なんと2.5石づつ分け合うことに
この辺りから発生したのが天王様問題だと考えます(勝手に名付けています)
時代の流れでスサノオ様を盛り上げる天王祭りが各地で流行り、奇しくも両社ともが御祭神のひと柱として祀っていることから天王祭の威勢でも競うことになり北の天王様、南の天王様と呼ばれるようになったのでしょう(勝手に想像していますが)
そもそもお稲荷様と龍神様なんだから二社支えあって品川を守っていこうぜ!で普通に良かったじゃないですか(´;ω;`) というのは後世の意見であって当時としてはやはり朱印や崇敬の多寡に神社存続がかかっており、街を代表する神社の隆盛存続は人々の暮らしにも直結する問題だったわけです
こういう風に考えられるくらいには自分の頭も少しだけ成長出来たんだなぁ(自画自賛)
はい、更に明治になると准勅祭社としての対立が発生します
勅祭社とは天皇より勅使が派遣され祭祀が執り行われる神社のことで品川においては 品川貴船神社 とされました
そうですね(*^^*) すると今度は両社が 品川貴船神社だ! と准勅祭社としての名乗りを上げたのです
ですがちょっと待って? 鳥居こそ立派な双龍ではありますが品川神社は天比理乃哶命、宇賀之売命、素戔嗚尊を御祭神とする所謂お稲荷様ですから広義である大明神とは訳が違って結構不利じゃないかしら?
対する荏原神社の方は高龗神を御祭神としているので分があるように思えますが何故か貴船さんからではなく丹生川上神社からの勧請とされている?!
どういうこっちゃヽ(´▽`)/
やるならいっそのことその時に 貴船神社から勧請されました! って言い換えてしまえば良かったものの、そうしていない所にちょっと好印象だったりもする(*^^*)
しかも荏原神社には三大祭りがあるそうなのですが公式HPには何故か天王祭と大鳥祭の項目のみ埋められており貴布禰祭については 現在準備中です となっていて一言も書かれていない謎
調べてもお祭りは9月9日に行われているようですが自治体やイベントHPなどにも由緒や委細については書かれていない
ちなみに都内の准勅祭社で構成される東京十社ですが、その中には何故か分が悪い(気がする)品川神社の方が入っているというのはやはり神社の規模ということになるのでしょうか
そうか!! やけに ズドン! と明治天皇御東幸内侍所奉安所なんて石柱が建っていたなと思ったらそういうことだったのか! ちなみにあの写真、最初撮らずふーんとスルーしていたのですが帰りがけに何故か うーん撮った方が良い気がする と勘が働いていたのです
やはりこの鍵を握るのは品川貴船神社?!
の記事はふたつほど挟んだ後に書かせていただきます(謎の箱が開くかどうかはわかりませんが...)
うーん、、、なんとなくですが、家康公も明治政府?も、二社をまとめて品川鎮守としていて内輪?揉めは勝手にそっちで解決しーや、って姿勢な気がしますね(´-ω-`)
あっ!! 荏原神社の御祭神に家康公の名があるのはもしかしてもしかしたらそういうことだったり?! 品川神社には関ヶ原戦勝の御礼として家康から奉納された天下一嘗の面があるようですし...?
さて、謎と想像はこの辺にしておいて、大きく気になっていた事がもうひとつ
鴉と熊野神社です
え? 木が生い茂った神社に鴉が居るのは普通だって? 熊野さんがあって鴉が居たのも偶然ですって? 違うんですよっ!!
ご挨拶すると同時に鴉が降りてきてこちらを見据え、目を合わせ話しかけると こっちだ と言わんばかりに真反対を向き、その正面へ行っても彼の目線の先、、、に熊野のお社があったわけです
偶然と思うか必然と感じるかはその時の自分次第!! そしてその時の自分は 必然 と感じたわけで、だからこれから調べるんです!! 必然だったら、何かの繋がりが出るはず!!
さぁ調べました!!
無い!!
でも諦めない!!
でも無い!!w
諦めかけたその時
公式HPの上杉家との関係という項目に発見!!
当社の祀官 鈴木氏は紀伊熊野の出自で、、、これだ!! 室町期には代々上杉家に仕え神職であると同時に武士としても数々の勲功をあらわしたと書かれています
まぁ、普通に近隣に鎮座されていた神社が遷座された可能性もありますが御神職が出身地の氏神様を勧請されていたとしても不思議はありません(。-_-。)b
代々の御神職を務められるほどの方が祀られている地様であればこその強い御神威だった、と前向きに捉えたい私です(*^^*)
というわけでガッツリと書くことになりました荏原神社
大変素晴らしい神社さんでございました(*^^*)