日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

相模国一之宮 八方除 寒川神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

やってまいりました、寒川神社!!
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結構前からいつかご挨拶したいと思っていた神社のひとつですが御縁あって参拝することが出来ました(*^^*)

 

海老名で乗り換え、相鉄と間違えそうになりつつJR相模線に、むかーし乗った事があるのですが乗降ボタンが導入されているのが懐かしくて(*´ω`*)

 

東北北陸の在来線では当たり前ですが関東では八高線と相模線くらいかな? 東海地区や関西でも路線によってはあるようです

 

まぁ通勤圏だと乗降者が多すぎてアレかもしれませんが、もうね、この手動ボタンは全車に付けてもいいじゃないかって思いますよね、冬は寒くないし夏も冷気が逃げないしエコですよエコ(´◉ᾥ◉`)

 

乗り降りして後ろに人が居ないとちゃんと閉めて行く人や気にしつつも閉まるタイミングを見計らって押さない人なんかを見ると お主、デキるな! と勝手に心の中で思ったりしていますw

 

さて、丹沢山系を眺めつつ降りたのは宮山駅、とっても長閑で良いところ(*´ω`*) ですが、、、乗っていた半分以上が降りた!

 

そう、今回は珍しくもしっかり調べてから参りました

 

初詣には40万人が訪れ年間では180万人!! その理由とは全国唯一とされる八方除・方位除の守護神 寒川比古命寒川比女命を守護神と祀ることにあります

 

雄略天皇の御代 460年前後には既に朝廷からの奉幣の記録があり、勅祭も行われる名神大社であったことから創建はかなり古いとされています

 

それ故に謎御祭神の寒川比古命寒川比女命についても謎が多く様々な考察がされていますがその辺は後述と致します

 

さぁ今回は敢えて、私の参拝セオリーである 知らずの参拝により何を感じるか と真逆に公式の動画なんかまで見た上での各種考察までを含めしっかりとした下調べをしての参拝、さらに多くの人で賑わうという最も何も感じない可能性が高い状況において私はいったい何を感じる事が出来るのか?!

 

こちらは神池橋、なかなかの角度がある石の太鼓橋なので履物にはご注意ください
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っと、さすがに渡るとグッと氣が濃密に、そしてよくある素晴らしい参道(日本語おかしいw)なのですがこちらの鳥居、物凄い結界感が強い! まさにこの先は御神域という境界になっています
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朝か前夜が雨だったのか全体的に湿った参道は素晴らしい御神氣に包まれており 清浄 の文字がぴったりである
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それもそのはず、名神大社であり一之宮で本殿以外の摂社末社が一切無いのです、まさに境内全体が寒川大明神のみを祀る杜
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ふっ、と気になって目を向けた先は愛子様誕生記念の植樹、なぜ通り過ぎてから惹かれ振り向いたのかと思ったら招霊木ですね!
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オガタマノキは精霊を呼ぶ幸運の木とされており、天鈿女命が手に持って舞を踊ったとも言われています

 

参道を進むとさらに多くの人が居ました、日曜午前中です
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多いけれど微妙な天候とあってやや少なめと言っても良いのかもしれません、八方除は春までに受けた方が良いということで3月まではかなりの人で賑わいます

 

ちなみに本殿裏には元禁足地だった最強パワースポットとされる神嶽山神苑があり祈祷を受けた方のみが立ち入れるのですが12月半ばから3月上旬までは人が多過ぎるので入れません

 

手水は御神水ではないと思うのですがそれでも鳥居を超えて俗世から持ち込んでしまった穢れが落とされるように清らかです
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素晴らしい神門には美しい迎春ねぶたが!!
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第1回から干支を、13回からは記紀神話をテーマに作製されているそうで、今年は 甲辰~八大龍王~ 、左が難陀竜王、右は弟の跋難陀竜王だそうで2月下旬まで設置されているそうです

 

いやー、素晴らしいですね
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神門手前の狛犬も忘れちゃいけません、人力車と比べてこの大きさ
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いざ、神門を潜る、、、いやー素晴らしいですね、境内中央には記念撮影をされる新郎新婦さんが(*´ω`*) お幸せに(*^^*)
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そして東西翼殿が立派で美しい社殿は総檜造りで1997年に再建されておりとても美しい御姿です

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そう、なんと言ってもこちらの素晴らしい大注連縄! 2~3年毎に新調されるそうで社殿と併せてのその美しさは見惚れます
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殿内では常に祈祷が行われており、なんと最大で216人も同時に着席出来るんだそうです

 

社殿右手には四方を龍が支える渾天儀の大きなレプリカ
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うん、家族が多くこれ賑わっていてこの清浄さ、素晴らしい!!

 

神門前へ戻りました、こちらは彬姫櫻、こちらは三笠宮彬子女王陛下の手植えで、陛下が好まれた音戸山桜という薄紅色が美しい新種だそうです
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神門左手にはこちら神馬舎、白馬の前にはお猿さんが居ます^^

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境内右、社務所の脇には納札殿
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では、、、並びますか!!

 

そう、今回は人生初の昇殿祈祷を受けるのです!!(付き添い昇殿は経験ありますが)

 

寒川神社は2位以下を大きく突き放すほどの年間昇殿祈祷件数を誇り、その数なんと30万件! つまり参拝者のうち6人に1人が昇殿祈祷を受けていることになるんですね! さらに昇殿無しの祈祷や郵送を含めると結構な人数になりそう(ちなみに2位は3万人だそうです)

 

いやー凄いですね、恐らくこの日は少ない方だと思うのですがそれでも常に150人程が並び、受付を済ませた地下にも多くの人が待機、呼ばれると社殿の東翼殿へ進みます

 

東翼殿は祓処となっており、そこで清め祓いを受けると前の祈祷が終わるまで待ち、大きな戸が開くと昇殿、奥から座るよう椅子へと進みます

 

そして素晴らしい殿内に着席すると御祈禱が始まりますが、この大量の住所生年月日氏名祈願を読み上げるのどうするんだろうと思っていたらご神職様がおふたり出ていらして三名体制で同時進行で読み上げられる

 

それがまた高音、中音、低音と綺麗に別れていて素晴らしい音楽のような美しさ、自分の名前は聞き取れませんでしたが物凄く耳馴染みが良くて素晴らしかったです

 

いやー、これはね、ちょっと語弊を覚悟で言うと、本当にもう素晴らしいアトラクションですよ!!!(某テーマパークにある流れとそっくり)

 

というのはさておき

 

今回も人が多く賑わっており、下調べもあってか凄く涼やかな氣は強く感じるものの特に何ということは無いままに参拝が済み、祈祷へ

 

祈祷、、、と言っても普段から滅多にお願い事をしていないし今回も特にコレということもないので普通に諸難取り除かれ全体的に運気が上がりますように八方除けをお願いをしました

 

それは祓殿に入って暫くしてからのことでした

 

ん? 気付くと右手首がぎゅぅ、としている、いつもなら左手首なのに珍しく右?! 続いて左手首もびりびりしはじめたけれど弱い、右がぐっと強い、、、珍しい?!

 

拝殿(祈祷殿)に入るとびりびりは静まったけれど神様の懐に抱かれているような心地良さで玉串を奉納する時、大きな御心鏡を見上げるとまるで社紋の三つ巴のように流れているような気がしました

 

そういえばこちらの三つ巴は細い、調べてみると三つ巴紋の中でも尾長巴と呼ばれるもので縄文にも見られるとても古い形のようです

 

御祈禱を終えて本殿前へと戻ってきました、雲は多いままながら川のように割れ目が流れている
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うん、なんだか何がってことも無いのは特定のお願いをしていないからだろう、特に何か憑いていた感じがあったわけでもありませんが全体的に洗われた感じがします
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他社での付き添い祈祷でも拝殿へと入らせていただき、神社によっては御垣内に入らせて頂きご挨拶出来て物凄く素晴らしい御神氣分けを頂けたのですがやっぱり自分で受けるとまた違うものですね(*´ω`*)

 

ちょっと俗な話ですが、3000円からお受け出来るのであれば特別何かが無くとも健康であったり家族がいらっしゃる方は皆の幸せを祈祷されるのも良いかと思います

 

さらに俗な事を言えば、殿内へ入らせていただき特別な参拝が出来てさらに御札、御守等々まで頂けて、3000円からというのはとってもお得な気がします(*´ω`*)

 

じゃぁいざまた、となると地味にハードルが高い気もしますが神嶽山神苑も気になっているのでいずれまた(*^^*)

 

カード守りを頂くつもりだったのですが御守りは御祈禱で頂いているし、と神棚用に大祓守をお受けしました
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さて、2月半ばだったのですが参道東側には正月のように沢山の出店が並んでいまして(*´ω`*) そりゃそうか、この二ヶ月でかなり多くの祈祷参拝者が来ますもんね

 

というわけで急な飯テロ!! 鶏皮焼き!!
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ずっしりとくるこのボリューム!! さらにキムチどーん!! ぷりっぷりの鶏皮は絶妙なタレで焼かれていて美味、キムチとマヨなんて併せて食べたらもう最高(*´﹃`*)

 

底に敷かれてタレと油を吸ったキャベツがまた美味しくて朝ごはんを食べてなかったのでご飯の欲しいこと欲しいことw

 

素敵な参道を下っていると神池の畔にこちらの像
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1970年から終戦記念日に英霊戦没者御霊をお慰めする相模薪能が奉納されているんだそうです

 

そういえば来る時に気になっていたのですが、こちら、境外から見ると全体的に杜なのですが古くから鎮座されているにしては御神木というような高木があまり目立たず(位置の問題かもしれませんが)、一番高く見えるのが松というのが印象深かったです
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というわけで鶏皮だけというわけにもいかないので乗り換えの海老名で昼食~⸜(*˙꒳˙*)⸝  つけ肉そば!!
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これがまた肉しっかり、お蕎麦も美味しい、ネギたっぷり(これ大事)、そしてつゆはつけだからこそ結構濃いめですがかなり美味い!! ラー油を多めに垂らしたらまた最高でした☺

 

 

さて、神社の歴史について調べていたところ凄い説を発見しました

 

とはいえ 説 なのでその実態は謎のままですが各種伝承や口伝、文書に描かれる富士王朝の存在が絡んでいるというもの

 

かなり都市伝説の類にはなりますが、富士王朝大山祇神が治めていたとされており、そこには中国から来た徐福の一団も加わって一大勢力を誇っていたというのが各説の唱えるところ

 

徐福は日本一の山から各地を見渡し、大量に連れてきた一族を各地へと派遣したという、それが秦氏だと言われている

 

つまり、富士王朝には秦氏の祖が居たことになる、そして富士の大噴火により富士王朝は壊滅的打撃を受け居住地を移転した、それが秦野だというのです

 

ただしこの辺りは結構微妙で、日本書紀においては283年に渡来した弓月君の子孫が秦氏とされているけれど秦氏を招いたとされる葛城襲津彦はこの年代よりも後の人物ともされている

 

都合良く結び付けるのであれば弓月君は富士へ降り立ち、そこから葛城襲津彦が連れて行った人々が秦氏となった、月というところからツクヨミの氏族であった可能性まで含まれる、これが都市伝説たる所以でしょうか

 

実際に富士南東山麓からこの辺りには徐福や秦氏にまつわる民間伝承も多く残っているそうですがその伝承がいつ頃から広まったか、それは隠されていた話が表に出たのかはたまた都付けの噂だったのか

 

さて、王朝だったかどうかもわかりませんが富士を治める氏族が祭祀を行っていた拝所(神社)、それが寒川神社だというのです

 

富士王朝の祭祀と秦氏の神社が融合したもの、それはつまり地主神または富士山を御神体とした信仰が神社になったものであるがために祭神の正体が分からない、寒川は炎を吐き荒れ狂う富士を鎮める清らかな川ということで相模川のことなのでは無いでしょうか

 

浅間神社の御祭神とされている木花咲耶姫大山祇神の娘であり水神でもあります

 

本来であれば山神である大山祇神こそが富士を鎮めるに相応しい、いや、元々そうであったと思われますが水の神を祀山の怒りを鎮めようとしたと言われています

 

浅間  について不思議にお思いになったことはないでしょうか

 

なぜ 富士 ではなく 浅間 なのか、どうしても浅間山の方を想像してしまいますよね

 

これが実はまた諸説あるのですが、浅間山も活火山です

 

元々は活火山を崇め鎮める山岳信仰浅間山で行われていた、富士山の噴火を鎮める祭祀が浅間山で行われていた、やがて噴火が収まると富士山の麓や山頂に祀られていった

 

 

話が逸れました、つまり富士王朝御神体でもあったと思われる山の噴火によって滅びた、、、これにもまた伝説がありました

 

古代より噴火を繰り返した富士山ですが最近の三大噴火とされるのは延暦宝永貞観の三回、中でも800年に発生した延暦大噴火が富士王朝を滅ぼしたとされているのですがその時に東北遠征へと向かっていた将軍 坂上田村麻呂が噴火を目撃していた可能性があるというのです

 

桓武天皇は噴火を鎮める祭祀を行うよう勅令を出したとされており人々や神社を避難させた、寒川神社もそうであると言われており、地図を見ると相模川対岸には 田村 という地名が残り坂上田村麻呂が滞在した事がその名の由来だとされています

 

元が富士で祀られるほどの神社であったとするならば、噴火から守った事もその後の延喜式にも名を連ねるほどだったことにも繋がる、その後も勅祭社であったことを考えると噴火前から朝廷とも深い繋がりがあったと考えるられる

 

桓武天皇は朝鮮渡来(経由?)だとも言われていることとも関係があるのかもしれません

 

つまり、謎多き寒川大明神とは霊峰富士を祀る祭祀場で日本一の高さから(八方除の?)祭祀を司っていたと考えるのはそれほど荒唐無稽ではないように感じます

 

そもそも 比古 比女 の対神として祀られているのもその歴史を物語っているのではないでしょうか

 

一説では富士王朝は隠された、封印されたと言われていますが富士王朝大山祇神であるならば記紀にも登場していますし天皇の系譜にも多大な影響を与えている

 

延暦前に起きた富士山の大噴火(大地震説もあり)は2300年前頃だと言われておりこの噴火では山体崩壊が起きて御殿場、足柄、三島まで泥流が覆ったとされています

 

荒地となっていたところへとある氏族が降り立ち国を作り、祀る神は月読命大山祇神だったという説がある、とすれば寒川大明神二神はそのふた柱だということになる

 

オオヤマツミの系譜以外は存在が謎である富士王朝三貴神であるにも関わらず御名以外は謎であるツクヨミ、、、その富士王朝天皇家、つまりアマテラスと密接な関係にあり陰陽の陰として陰ながら支え続けていたとしたら?(勝手な妄想です)

 

ちなみに遷座前の寒川神社には460年頃に朝廷から奉幣があったとされているのでその頃既に朝廷との結びつきがあった

 

さらに約350年前には草薙剣事件が発生しており、その場所は記紀で相模説と駿河説に別れますがどちらも騙し討ちとされており征伐対象地域ではなかった様子

 

そして神山とされる神嶽山神苑に 嶽 の文字が使われていることも無関係ではないような?

 

これはやはり、神嶽山神苑に入れる時にまた御祈禱を受けなければ

 

と思いっきり都市伝説に振れてしまったのでまさかのひと記事で三度目の飯テロ!! 崎陽軒の横浜チャーハン♪
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持ち帰りで夜食べたので(ちゃんと期限内)チャーハンはちょっとギュッとしてしまっていましたがそのパラパラさはしっかりと伝わってくる、昔ながらの焼き飯って感じですね、美味しい

 

ひっさしぶりに食べたけど小さくても肉肉しいしうまいは流石だし調度良い味のタケノコも美味い、そして地味にチリソース唐揚げが嬉しい(*´ω`*)

 

またこの箱が良いじゃないですか(*´ω`*)
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旅行とかだと朝イチでは多すぎるし帰ってきて買うには、って感じでなかなか食べる機会もなかったので久々に食べられて良かったです(*´ω`*)

 

要石を祀る石神様 物部神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

さぁ、年末年始巡拝も最後の一社を取りやめたのでこちらが最後になりました

 

物部神社です
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名古屋でのここまでの神社はいつも通り何気なく選んで来ましたがこちらは前夜、つまり元旦の夜、翌日にちょっとだけ出掛けるかという事で適当にマップを開いたら見付けまして、もうその社名だけで即決しました

 

さぁ何かに繋がるでしょうか

 

大きな由緒板には短めに、式内社であること、垂仁天皇の御代(紀元前25年前後)に初めて社殿が造営されたこと、御祭神が物部氏の祖である宇摩志遅命であることが書かれています

 

いつも通り、それ以外は読みませんでした

 

では参拝

 

なんとも言えず不思議な感じのする境内は特に何と言う訳でもないのですが、とにかく、何か不思議な感じとしか言えない、逆を言えば、何か不思議な感覚はハッキリとあるけれど何がというとわからない、そんな感じです(阿呆みたいなことしか言ってないw)

 

正面かと思っていたら裏参道だったようで社殿後方から主殿

前へと周り込む形となりました

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どうも、お導きくださり誠にありがとうございます、とご挨拶

 

特に何が起きたでもなく聞こえたでもない、でも何かちょっと空気が揺らめいたというか、もうほんと、なんなんですかね、語彙力崩壊な不思議さがありました

 

そう、この時はまだ物部神社が、宇摩志麻遅命がどう繋がるのかなど全く分かっておらず、ただ奈良京都の参拝後に軽く賀茂氏について調べた時にふと物部氏と関係があるんじゃないかと考えただけだったのです

 

とにかく無知で感じたい私がどれだけ上述のように不思議な感覚に包まれていたのかを示すのがこちらの写真です
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何か、何かよく分からないけれど不思議な力のある場所に足を踏み入れた、その感覚は恐らく頭ではなく勘までも麻痺させたと思われます

 

情報をシャットアウトするとは言ってもさすがに内容は読まずともどんな張り紙か位は確認するのですが、この写真に年末年始のお知らせとコロナ感染対策しか書かれていません

 

でも今この記事を書く為に上に貼り付けた今の今まで、神社の由緒が書かれた紙を撮影したものだと思い込んでいました、いやいやこんなこと初めてで自分でビックリしています

 

社殿前はこんな感じ、こちらが正面参道ですね
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社殿左手、南側の境内社がこちら
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こちらは裏参道から多くの幟が見えていましたので御祭神はわかっていました、こちらは白龍様を祀る物部白竜社、なんとこちらにもそして立派な境内で祀られていました

 

こちらもまた語彙力破壊の不思議な空間になっていました

 

もうほんと、攻めて御神威が強いとか重力や気温が違っている気がするとか何かそういうのであってくれれば良いのですが何がなんだかわからないんです、でも何か違うんです

 

境内北側にはこちらの二社
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右手が物部天神社、御祭神は菅原道真

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左手は複数社が並んでいました
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四社並んでいましたが社名・御祭神名はわからず

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こちら側もやはり不思議な感じなのですが主殿前や白竜社と比べるとちょっと柔らかい感じでした

 

主殿の右隣に鎮座されているこちらも御祭神はわからず
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でもやっぱり不思議な感じがしている

 

なんだろうこの不思議さは、と境内真ん中で見渡してい時に不思議な形が気になった石、上部を見ると何かが固定されていたのでしょうか
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手水舎はあまり見ない感じでとっても良いですね(*´ω`*)
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この辺りまで来ると不思議な感覚が無くなる気がするのはお水の力なのか別の何かなのか

 

再び境内中央へ戻りゆっくり周りを見渡すけれどやっぱりどこから何がどうなっているのか分からない不思議さだけがある

 

なんじゃこりゃ???

 

というわけでこちらが正面参道でした
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もう、不思議しか言ってない( ̄▽ ̄;)

 

では白竜社の参道にあった由緒石を見ると共に調べてみました

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神武天皇が当地の凶魁を討伐して国の鎮めといた要石が当社の御神体であり石神と呼ばれていたという、、、なるほど、垂仁天皇の御代に社殿を造営される前が石神様だったということですね

 

要石は本殿の下に埋まっているという、、、うわ、不思議な感じがしてたのはもしかしてそういうこと?! でも白竜社の方でも不思議な感覚が、、、と調べているとどうも都市伝説チックではあるものの本来の本殿は白竜社の方だという噂もあるという

 

根のない所に噂は立たぬ(根なし石なだけに)

 

そういえば根なし石ってどういう意味なんだろう...

 

そして主殿右手のお社は大黒様らしいということが分かりました

 

まず、神武天皇がここまで来ていた?! というところを調べると白竜社が物部神社だった説、実は物部神社ではなかった説、さらに式内社物部神社御器所八幡宮だった説、、、えっ、何それ?! などなど謎が多い

 

さらには本当は駅近くだったのでこの後参拝する予定だった高牟神社も実は尾張物部氏の武器庫跡に創建された神社が遷座したものだといい、一気に繋がりが出て最後の大混乱

 

もう確証の分からない情報が氾濫していていかに皆さんも混乱されているのかがわかりましたが、はいこれ採用! というほどの情報が無くて諦めました

 

さて、主題へと参りましょう

 

物部氏の 物 は大物主から来ていると言われており、武門でありながら祭祀を執り行う氏族だったと言われています、そして物部氏ゆかりの神社のひとつが石上神宮、、、布都御魂!!

 

そう、名古屋で巡拝した神社を調べていくうちに最後の物部神社へと繋がっていく道がどんどん見えていっていたのです(実際の情報が無かったので何もわかっていないのと同じですがw)

 

石上神宮では物部氏布都御魂を祀った

 

尾張にも物部氏が居た、洲崎神社には石神として布都御魂が祀られていた、物部氏の"武器庫"が名古屋にあった、即ち思いつきで考えていた布都御魂が一時でも尾張にあったんじゃないかというのも僅かに可能性があったりしませんか?←聞くな

 

本来であれば伊勢に戻すべき草薙剣熱田神宮に祀られる事になった理由が御神威宿る宝剱を祀る事が出来る物部氏が居たからだと考える事が出来ます

 

そして思いついて調べてみると、、、

 

尾張氏物部氏は同祖であるという説があります、そして尾張氏である国造 乎止与命の娘が宮簀媛だと言われているのですがその系譜には微妙な部分があるとも言われています

 

はい勝手に考察発動!! 物部氏尾張氏は同祖であり、尾張物部氏尾張物部氏と呼ばれている、そして武と祭祀の力を持つ物部氏、、、実は物部氏の血を引く宮簀媛だからこそ宝剱 草薙剣を祀る力があったと考えてしまうことが出来たり出来なかったり?!←どっちや

 

都合良い考えでしかありませんが、そうであれば日本武尊が宮簀媛に預け祀らせた事にも、そのまま宮中も熱田で祀り続ける事が良いとした理由にも、そして布都御魂の流れにも重なる

 

さらにはこの物部神社の要石の存在です

 

当時としては御神体は土に埋めるのが基本だったとは聞いたことはありませんが、布都御魂石上神宮の本殿裏から発掘されたとしている、この物部神社には神武天皇が石神を埋めたと伝わっている

 

まさか布都御魂が一時的にこの境内に埋められて後により相応しい地として石上神宮に埋められた可能性も、、、そう、ここは石神さまと呼ばれていたので元石上である可能性が無いとも言えないのではないでしょうか

 

まぁちょっと妄想し過ぎかもしれませんが関連性はありますよね

 

いずれにしても、草薙剣にまつわる話には近年においてもその霊力の強さ故に様々な災いをも齎しており、奪われればその者に災いがふりかかり熱田へ返ってくる、見てはならないその御姿を見た物には尽く禍が降りかかる

 

勿論都市伝説のようなものですが近年における御神職の話などは都市伝説として片付けられるものなのか事実なのかどうでしょう

 

つまり、古来宮中では天照大御神の霊威御魂が宿る三種の神器御神体としておりその霊力の強さ故に宮中の外で祀るようにした崇神天皇が一番恐れてたのは草薙剣だったのかもしれない

 

となると伊勢で受け取ったものの東征において武力を発揮すると共に常に災いに襲われその霊力の制御が出来なかった為に東征ほどの賊ではないからと尾張へ置いていった、が結局手放した事で災いに遭ったという解釈も出来るようになります

 

宮中としてはそれほど神威を奮う剱を伊勢に戻すよりも熱田で鎮まるのであれば好都合である、それは龍脈とされる地と物部氏の力故であった

 

まぁ勝手な妄想ですがまだ繋がります

 

名古屋に何故龍神が多いのか、それもほとんどが揃えたかのように白龍であるのは物部氏大神神社、そう、蛇とも繋がるのです、そしてさらに色々関連が出てきます

 

尾張物部氏の本拠地はもう少し北だったという説もありますが、大須に三輪神社がある、何故だかわかりませんが尾陽神社に久延毘古命が勧請されている、と三輪との繋がりを思わせる

 

尾張氏の祖は天火明命だとも言われており、物部氏の祖といわれている饒速日命とは同神であるとも言われており尾張氏物部氏が同祖と言われる所以です

 

天火明命は制約で産まれた五男ですから洲崎神社御器所八幡宮の御祭神になっていたことにも繋がります

 

そして尾張氏の祖として伝わる天香山命天火明命または饒速日命の御子とされていますのでそのあたりでも話が繋がっていますが、さらに天香山命にも神武天皇布都御魂を届けたという伝承があります、、、あれ?高倉下=天香山命?!

 

としたら、高倉下は尾張連でありますから布都御魂は一旦尾張へと持ち込まれていた可能性が高い...ぐぁっΣ(゚д゚;) ここも繋がった...

 

もう止まらなくなるので思いっきりザックリと締めますw

 

色々調べた事を勝手に総合すると、、、饒速日命天火明命の一族は尾張で一大勢力を築き尾張氏となった、尾張氏の一部は大和でも領地を持っており(元同族ですから)その地は高尾張と呼ばれた笛吹の地、、、鴨都波神社のあたりです!!

 

饒速日は大和より東、東海北陸南東北まで勢力を誇っており、尾張に縁の深い天香山命越後国一宮である弥彦神社の御祭神でもあります

 

なんとも越国→葛城→山城→尾張と、まるで分かっていて組んだのかというくらい繋がりが見えてきました(それほど太くはないですがw)

 

ふと思いつきました、裏切られた長髄彦の一族は丹波より船で逃れ青森に流れ着いて再興したと言われており伊達政宗はその子孫である説まであります

 

勿論、元主君ですからその勢力範囲は熟知していたでしょう、北陸を抜けてその勢力が及んでいない東北を目指した可能性が高いのですが、、、もし、説得により長髄彦を生かして逃がしたとしたら、それが兄や弟であるという説になっているかもしれません

 

他にも王朝系考察まで併せていくととんでもないことになりそうですし今回はこの辺りで締め!

 

まだまだ全然妄想の域内ではありますが、やはり秋の長岡から始まったこの一連の流れは葛城山城を経て尾張をも紐解く形となり、そこには繋がりがありました

 

いやー、あまりに凄い巡拝だったので年明け早々に着手した4日分の記事を書き終えたのは2月中旬に差し掛かった頃でしたw

 

 

 

といったところで最後の名古屋飯テロ、どん!!

 

サクッもちっとジューシーでニンニクの効きも弱からず強からず

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普通っちゃ普通ですが結構美味しい方の普通です

 

え?名古屋関係ない?

 

続いてどん!! ニンニクではない普通のチャーハン
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これね、地味に絶品です、味は濃いめだけどしつこくはなくシンプルに旨味があってパラパラで香ばしい仕上がり

 

え?名古屋関係ない? じゃぁこれで分かるでしょう、どん!!
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はい、ただの青菜炒めですw

 

でもこれが絶品なんだわ、でらウマなんだわ、ご飯にもお酒にもデラ合うんだわ

 

そしてこれだぁ!! どん!! 酢豚!!
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全部シンプルですが全部美味しいんですよねぇ(≧∇≦)

 

特にわたしのイチオシはこの酢豚、一般的な甘酢酢豚とは違って若干酢豚チックな油淋鶏と言ってもよいかも、そして結構辛いんですがw それがまたご飯やお酒が進む進む
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そう、こちらは台湾ラーメンの味仙

 

名古屋であればあちこちで食べられる台湾ラーメンですがさすが元祖、味仙の台湾ラーメンはめちゃ旨だけど激辛ですw なのでちょっと新幹線乗る前には無理w

 

結構ネタ的に注文して想定外の辛さに苦戦している人を見かけますのでご注意を~( *・ω・)ノ

 

というわけで、帰りはN700Sこだまのグリーン車での~んびり帰りました(*´ω`*)
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御神威に満ちた杜 東桜冨士神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、冨士神社です

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桜通沿いに鎮座されており、最寄り駅は高岳なのですが栄で降りてちょっとぶらぶらしつつ久屋大通側から行きました

 

正月二日の夕方、車通りも人通りも少ない中、ビルとマンションに囲まれた一角に境内がありました、大通りとビルに挟まれていますがここからも御神域感を凄く感じます

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とても雰囲気のある由緒板です、御祭神は木花咲耶姫命
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凄く重厚感のある境内は鳥居を潜り右手に長くそしてこの迫ってくるような御神威、青銅鳥居がまた雰囲気を押し上げています
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境内の雰囲気は普通に見える手水舎まで特別に見せる
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そえではご挨拶
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物凄く勝手な想いですが、まだ神社巡りを始めたばかりで何も分かっていない頃からずっと、氏神様として幼少期からずっと見守ってくださったククリヒメ様と共に産土神であるサクヤ様もまたお姉ちゃん的な存在として捉えていました

 

今回もこの後参拝する神社が目的だったのですが地図で近くにサクヤ様をお見掛けしたのでルートに入れていました

 

白山系や浅間系の神社では古墳や富士塚がある場合を除けば初めてであってもとても親近感のある温かくて居心地が良い雰囲気を感じることが多いのですがこちらはとにかくビシーッとされている

 

こちらが御社殿
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何を言っとるんだと思われるかもしれませんが、見た通り右は社務所に続く建物で左はお稲荷様でしょう幟が並びその背後はマンション、空は細くしか見えないのですが物凄く広い地に立っているかのような気がするのです

 

それこそ、どちらも行った事はありませんが富士山頂の浅間神社か霊峰に抱かれた裾野の御神域に立っているのかと錯覚するほどに

 

暫しこの場所に立ち尽くしていました

 

あぁ、突っ立ってないでご挨拶せねば、と神前に進むとまるでグワッと拝殿に取り囲まれているかのような感覚に、これはどういうことか、心を込めてご挨拶すると若干空気が和らいだ気はしますが重厚感は残ったままでした

 

周りを見渡すけれど富士塚は無さそうだし古墳でも無さそうだけれど、、、あ、ビシッと厳しい空気ではありますが、どこか応援されているような雰囲気はあったんです

 

ただ、不思議と女神様ではなく男性的な厳しくもある優しさ的な感じでしょうか、なんか不思議です

 

振り返るとどこか気になる木が、と思ったら三本にしめ縄が巻かれており御神木のようです、この大きさはさほど古いとも思えないのですがこの雰囲気を持ちしめ縄が巻かれているので何か謂れがあるのでしょう
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そしてこちらも重厚感に満ちたお稲荷様へ
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この写真には写っていませんが、実は、さぁ参拝をとここに立ち呼吸を整えたその時、奥に突然人影が現れたのです

 

えっ、遂に見えるようになった?! と目の悪い私は一瞬思いましたが何のことはない、よく見れば社殿前で女性グループが自撮りをしていてじっとしていたのでわからず、動いた時点で影として認識しただけでしたw

 

いや、だって私がこの境内に入って来てから5分ほどですが境内に誰も居ないし車通りも無ければ人の気配も声もずっと何も無かったんですよ

 

勿論そんな静けさなので後から人が来たのであれば気付きます、実際、私がご挨拶している間に老夫婦さんが静かに境内へ入ってこられたのにも気付いていましたから

 

そんな静かで複数の女性がずっとお稲荷様の前に居たとは一体、、、と思いつつ少し離れぶらぶらして出て来られるのを待って参道を進む
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朱鳥居に囲まれた参道はトンネルのように暗いのにお社前はとても明るくなっていました、でも重厚感は凄い

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凄く氣の強いお稲荷様ですね、あの若い女性達、よくこの社殿前で5分以上も静かに自撮りして居られたなぁ

 

あ、いや、批判ではなくて純粋に凄いな、と

 

そう思わせるほどに夕方のこの雰囲気は人によっては結構な怖さと感じても不思議はないんじゃないだろうか

 

そして右手のお社は、、、白龍社!!
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まさかのこちらにも祀られていらっしゃった、龍神様のいらっしゃらない神社を探す方が難しいのか?というくらいですが、やはりこちらも白龍様なんですね

 

そして境内手前へ戻ってくると何故か全身というか心も含めていつの間にか凄く軽くなっていることに気が付いた、境内の重厚感はそのままですが重力だけが変わった感じ

 

それが主殿へご挨拶したからなのかお稲荷様なのか、はたまた白龍様なのかその全てなのかわかりませんが、どうにもこうにもあの緊張が無くなっていて物凄く心が軽やかなのです

 

それほど広くはありませんが参拝ではなくこの庭園をのんびり楽しみに来たかのような

 

っと、そういえば最初に気にはなったけれどご挨拶を優先した手水舎の脇の小屋、こちらは御神水を復元された井戸だそうですがポンプを押しても空回り、呼び水を入れる場所も覆屋でよく分からなかったので御神水に触れることは出来ませんでした
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そして境内一番手前、一の鳥居を入った正面がこちら
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心地よい庭園のようになっていますが、なになに、名古屋城築城の残石!  〼がその目印になったようです
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左の立て札には歌が書かれているのか、と視線を落とすとそこにあったこちらについては後述にします
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さて、では由緒について調べてみました

 

創建は1398年、郷士駿河国より分霊を受けて勧請したのが始まりとされていますが一説によると元鎮座地は名古屋城築城に際し一時的に移され城普請が終われば戻される事になっていた

 

しかしその間に宮司が亡くなり跡継ぎが幼かった事から手続きが遅れ、気付いた時には既に元地は屋敷で埋まってしまい元に戻れなくなってしまいそのまま残る事になってしまった

 

神社なのに自分から行ってこなければ知らん、というのもまた酷いとは思いますが今とは全く事情が異なる当時としては戻れる権利を与えていただけでも優しかったと考えるべきでしょうか

 

元地には富士塚などもあったそうですが全て取り壊されてしまったそうでいずれ戻るとして残されていた小社は後に富士浅間神社として別の地に遷座されたそうです

 

参拝後に北側を歩いていたら富士塚という文字を見掛けたのですが桜通の北側に富士塚と名のつく公園やビルがあるので元はそのあたりだったのでしょう

 

それ以外の情報が見つからなかったのでお稲荷様と龍神様の由緒は不明ですが、なぜ冨士神社の社殿からあれほどの氣を感じていたのかは分からずじまいでした、残念

 

 

さて、こちら

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古銭を象った石かぁ(*´ω`*)  でもなんでお水が溜まってるんだろう、二日前の雨そんなに降ったかな 、、、(*゚・゚)ンッ?  矢五隹止、、、止じゃない!?

 

そして気が付いた、、、真ん中は穴じゃなくて口だ!

 

吾 唯 知 足

われただたるをしる

 

まっじっかっ!!!!!Σ(゚д゚;)

 

続けてお読み下さっている方はお気付きでしょうか

 

2024年を感謝の年として生きる事を目標とした私が伏見稲荷山の眼力舎さんで頂いたカードがこちら、そう、吾唯知足だったのです
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お恥ずかしながら私はこの言葉を知りませんでして、カード裏の説明に書かれた感謝をする気持ちに同調してお迎えしたのでした

 

その言葉が突如として目の前に現れた、いや、今までも出会っていたかもしれないけれど知らなかったから気にしていなかっただけだろうか、にしても古銭に多少興味がある私がこのデザインに見向きもしないわけがない、調べてみれば結構有名だったようですが全く知らなかったなぁ

 

そしてなんとこの翌日、そうだ京都、行こう30周年キャンペーンの龍安寺とのコラボお守りで吾唯知足のマークを見るという突然の連鎖、もはや この石と出会いその意味をしかと学べ というお導きなのではないか、その為にこちらへ導かれたのではないかとさえ思ってしまいました

 

ちょっと諸説あって正確にはわかりませんが元は仏教典に書かれた 知足 だとか老子による 知足者富 と言われており、日本で有名なのは龍安寺のつくばい

 

つくばい は庭などに供える手水鉢のことだそうで、まさに冨士神社のもまさにそうですね、龍安寺のものは水戸光國公が寄進したと言われているそうでこの洒落たデザインはどなたが考えたんでしょうね(*´ω`*)

 

いやー、、、稲荷山でカードを見つけた時はそれほど有名な言葉だとは全く知りませんでしたが、単純には 自分自身が満ち足りている事だけを知っておきなさい 的な考えで不満や欲望を抑え幸せに生きなさいという事なんですね

 

ただ、これがまたなんとも難しい

 

日頃の様々な事に感謝して生きよう、その考えがどれだけ浅はかだったことか

 

日々自分を取り巻く様々な事象に感謝して生きようとする事は手近なところでは今日も無事に帰れてありがとう、美味しいご飯をありがとう、平和に過ごせてありがとう

 

神社巡りを初めてからこれま思って来たことでしたが、実際に強く意識して生活を始めてみると逆に自分に足りないものばかりが頭を埋め尽くしてしまう

 

出来る限り前向きになれたのは近年のこと、それこそ神社巡りなどのお陰であって元々の私は物凄くネガティブでその本質は今も残っている、新しい考えで見えないように出来ていただけだったのです

 

どれだけ恵まれていることか、と些細な事にも感謝しようとして逆に自分がどれほど至らぬ人間であることか、そしてそれはやがて こんな自分が~(自粛)~ という超マイナスな想いへと変わってしまう、まさに本末転倒である

 

うむ、禅問答だな、こりゃ(៸៸>∀<៸៸)

 

前向きに転身したとはいえ覆い隠しているだけな事を見抜いた眼力様(お稲荷様)からの 今のうちに負の本質自体をなんとかしなさい という啓示なのだろうか( ˘•ω•˘ )ガンバリマス

 

 

さて、目的地はあと二社だったのですが時間的にも最後の一社は次の機会にして次の一社を参拝したら帰ることにしました

 

折角の機会ではあるのですが一応、母親と過ごす事が帰省のメインですからね(*´ω`*)

 

 

名古屋開祖を祀る 尾陽神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

御器所八幡宮の参拝から地下鉄で移動、っと駅までの途中に神社があるので寄ってみよ~

 

というまたまた軽い気持ちでやって来たのがこちら、尾陽神社です

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またしても思っていたより大きい(  ˙꒳​˙  )

 

御祭神は、、、天照大御神徳川義直公、徳川慶勝
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義直公は初代尾張藩主、そして慶勝公は三輪神社に祀られていた義宜公のお父上ですね、17代は子の夭折によるもので名古屋開府300年を祈念して県と市により明治43年に創建、公式HPによると当社創建までは名古屋東照宮に合祀されていたそうで、1949年に天照大御神主祭神として祀られたそうです

 

ジモティー(この辺りの者ではありませんがw)として愛を込めて言えば、こんな住宅地ばかりで特に何も無いエリアがなぜ選ばれたんだろうとは思いますが用地的なものかもしれないなぁ、とこの時は漠然と考えていました

 

石段を登ると三葉葵の山門
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普通に見えるけどこういう味のある手水舎、好きです(*´ω`*)
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社殿前が広くお手本のような境内は気のせいかもしれませんがどこかちょっとお寺な雰囲気を感じます
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境内中央に凛々しい御神馬さんが! こちらにも三葉葵が輝きます

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午年産まれなので御神馬さんは大好きです(*´ω`*)  綺麗になびく尾が素敵で、、、あっ、尾陽神社だ♪
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まぁ尾というのはさすがに違うでしょうが調べても社名の由来はわからず、まぁ、、、ってところで気付きましたよ、尾張の尾!! 開府300年を迎え明るく照らされ続けますように、って感じじゃないでしょうか(*´ω`*)

 

ご近所の方が数組いらっしゃってほのぼのとした境内、うん、とっても長閑でまさに陽の氣ですね(*´ω`*)
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ずいぶんしっかりとした社殿ですが元の社殿は空襲で焼失、さらに復興した仮本殿も伊勢湾台風で倒壊したため、現社殿が建てられたのは昭和45年 1970年です

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そうそう、名古屋を出てからカルチャーショックのひとつに伊勢湾台風がありましたがこれは後述にしましょう

 

境内の右奥、ちょっと不思議ですが社務所ではない建物の正面に鳥居、お社は左脇に鎮座されています
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こちら、久延彦神社です
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...久延彦神社ですと?!

 

目の前には建物がありこの好天にあって暗がり、にも関わらず朱の社殿は明るく輝いて見え(写真では暗いのですが)御神威をとても力強く感じる

 

すぐに感じたのは広い境内全体の陽と小さなこのお社の陰で凄くバランスが取れている、そう思って周りを見渡したのですが違う、このお社だけで陰陽のバランスが取れていてこんな日陰なのに陽の氣も凄いのです

 

御祭神である久延毘古命大国主に多くの知恵を授け、少彦名命の神名を知っていたのは久延毘古命だけだったとされています

 

そしてこちら、なんと1976年に大神神社より分霊を受け、さらに大阪府枚方市の山田神社より譲り受けた社殿は200年前に春日大社本殿として使用されていたものだそうです

 

なんという情報過多!!

 

山田神社には境内に春日大社より勧請された春日神社があるのでもしかしたらそちらの社殿に使用されていたものかもしれませんがちょっと情報が無くてわかりませんでした

 

というかこちらはいわば県立市立、つまり公立神社と言ってもよいでしょう、皇祖神に御無礼ですが、天照大御神も後から主祭神に祀られていることから旧尾張藩と徳川家の神社と言っても良いでしょう

 

それがなぜ大神神社から久延彦様を勧請?!

 

...なぜだ? なぜなのだ?

 

ちなみに東海地区のマップで久延彦神社と打つとぐるり三輪山へと飛ばされてしまいましてw そして名古屋や愛知と久延彦神社でキーワード検索しても当社しか結果に出て来ません

 

というか久延毘古命を祀る神社としては他に石川県の能登くらいでしょうか、、、能登?! しかも久延毘古のクエは久江であり、最初に久江(能登)に定住した住民が五穀豊穣祈願神とせ祀ったとされていてしかも式内社である、つまり平安期よりも前から祀られている

 

大神神社の久延彦神社は神代から祀られているというのですが、三輪山から能登へと移り住んだ人々が祀ったのでしょうか、或いはその逆の可能性もゼロではなかったり?

 

いずれにしてもしつこいようですが、やっぱりなぜ尾陽神社が久延毘古命を勧請したのかについてが気になりますね、大須大神神社と何か関係があったりするのか無いのか...

 

境内左手にはもうどう見てもお稲荷様ですね、その右手にも境内社が並びます
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お稲荷様は永世稲荷神社、鳥居の手前から凄い氣が社殿から押し寄せるようでゆっくりと神前へ、こちらはなんか凄いぞ、、、と気を引き締めてご挨拶

 

こちらなんと1973年に遷された徳川本邸の邸内稲荷だったのです! いや、そりゃ凄かったわけだ、だってとてもじゃないけど社殿の撮影が出来なかったくらいですからね

 

そして右手の境内社は垣に囲まれ祭壇のようになっている、こちらもやはり特有の氣が流れていて御祭神名が見えなかったのでその隙間から覗かせていただくと迦具土命を祀る秋葉神社、そしてなんと龍神社!!
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こちらもまた凄い渦を巻くような不思議な御神域となっていて龍神様の氣かと思っていたのですがそれだけではありませんね、火と水が並び祀られて渦を巻いている

 

つまり火水の陰陽!!

 

ちょっとこの境内、東は久延毘古命がおひとりで陰陽の氣を放たれており西は稲荷神の力を火水の渦で巻き上げその結界に守られた境内中央はとんでもなく朗らかな氣で満たされている

 

なーんてそういう相の知識も無い奴が思うままに言ってるだけです

 

多数の災難に遭ってきた神社ですから火防と水難避けでしょう、と思ったところでこちらの立て札を発見しました
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御器所西城、、、ここだったのかぁぁぁぁぁ! つまり平城だったそうですが濠は巡らされていたので龍神様が祀られているのは当然ですね、濠を埋めたからという可能性もありますが元々祀られていたのかもしれませんね

 

やっぱり川や濠の多い名古屋は龍神様も多い!

 

いやー、ほんと、今回は由緒も調べず参拝しているのに凄く繋がりの多い巡拝になっています

 

これまで近くの神社を巡拝してもそんなにあっちもこっちも繋がるところってあまり無かった気が(私の調べ・感じる力が弱かっただけかもしれませんが)

 

いやー、しかし名古屋の神社が持つポテンシャル恐るべし

 

さて、移動する為に最寄りの荒畑駅(もしかしたら初めて使ったかも)へと向かったら、、、な、な、な、なんだこれは!!!
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ここは山王通り(そういえば山王様ってどちらなんだろう)、幼少期は自転車で市内広範囲を走りまくっていた私は何度も通ったことがありますがこんなの無かったはず?!

 

調べてみると2008年秋にオープンした結婚式場なんですね! こんなところにこんな凄いのが建ってたとは...

 

 

さて、後述にした伊勢湾台風についてです

 

はい、問題です

 

過去大被害をもたらした台風と言えば?!

 

という大きな括りにするとかなり広くなるし地域差がさらに大きくなってしまいますね、では

 

昭和三大台風を全て述べよ!!

 

ってそんなのほとんどの人が無理ですよ(≧ε≦*)   壮年の方ならばお答え頂けるかもしれませんが

 

室戸台風枕崎台風伊勢湾台風です

 

室戸が有名なのでほか二つは霞んでしまうかもしれませんが授業でやったので聞けばなんとなく耳馴染みがあるかと思ったのですがなんと東京に来ると9割以上の人が聞いたことも無いと言ったのです

 

どこでも授業でやってると思ってたのですが私の年代ではもう東海地区だけだったようです、伊勢湾台風物語ははだしのゲンと共に授業で必ず観るアニメ映画でした

 

その後、別件ですが愛知南部へ社会見学に行った際にバスガイドさんが何か質問ありますかーって言うじゃないですか、私引っ込み思案なので絶対に黙ってる性格なんですがその時はどうにも気になったことがありました

 

車窓を見ているどの家にも必ず、軒下か二階の壁に木船がぶら下がっているのです

 

誰も何も質問しない中、気になって仕方が無かったので手を上げて聞いてみると(セールストークでしょうが)驚いた顔でその質問は初めてされました、良い質問ですね!と伊勢湾台風の教訓として必ず備えられるようになった事を教えてくださいました

 

そう、あれとあれという間に高潮がまるで津波のように押し寄せ一階は全て埋まってしまった、さらに1時間近くもその状態だったという

 

ご興味をお持ち頂いた方は是非、伊勢湾台風浸水地域のマップを画像検索して見てください、恐ろしい範囲が水没しており押し寄せた高潮は湾から木曽三川をも遡上して下流の弥富から大量の金魚や鯉が20km以上も北まで流れて着いたそうです

 

ちなみに一般的にはやはりあまりイメージが無いでしょう、災害ニュースなどでも近代では酷い高潮被害は滅多に聞きません

 

実は1959年に甚大被害を出した伊勢湾台風時の高潮の高さは気象潮で3.45m、で天文潮で3.89mと共に観測史上最大となっており、895hPa、最大風速75m/s、死者行方不明者5098名、負傷者約3万8000名という酷さでした

 

勿論この時は台風の規模、潮、そしてちょうど伊勢湾を通って海水を押し上げてきたという針路などが重なってのものですが大昔は海岸線がもっと北にあり河川の多い名古屋において水害には常に悩まされていたでしょう

 

古代より蛇信仰、龍神信仰が篤くそれは失われることなく続いている土地、つまり、龍棲まう地

 

だからこそ名古屋を龍脈とされる方が多いということなのでしょう

 

式内社 八所大明神 御器所八幡宮

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

御器所

 

そのまま読むと ごきしょ ですが奈良の御所(ごせ)と似たようなもので  ごきそ と読みます(特に難解でもなんでもないですw)

 

実は今回初めて知りましたが昔は熱田神宮神領で神祭で使われる土器を調達する場所だったのが由来なんですね

 

というわけで今回は御器所八幡宮です
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折角白山社まで来たのでその周りを、と地図検索しただけだったのでまたしても思っていたよりも規模が大きく、そして参拝者も多くてビックリしました

 

狛犬さんが特徴的で素敵です、そしてとても賑わっていて嬉しそう
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初めて来たエリアですがごく近隣の方々だけでなく車でも結構来られているくらいの八幡様がこんなところにあったんですね

 

良い、凄く良い、まさに住宅地の中の杜、鎮守様ですね
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さすがにイチゲンさんなので凄いウェルカムさは感じられませんが和やかに賑わっている人々と御祭神の穏和な氣で満ちています

 

川はありませんが石橋が中央に、元は小川が流れていたそうです
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そして左手の手水舎は、、、龍ではなく亀!!
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しかも長寿の象徴 蓑亀 です、なんか良いですね(*´ω`*)
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さて、みなさんお気付きでしょうか

 

石仏白山社にもありましたがこちらにも蕃塀があります、こちらではその色から朱塀と呼ばれているようです
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そういえばあるにはあるけど滅多に無い、なのに名古屋ではちょいちょい見かける、、、これも名古屋に多い気がする!! と調べてみたのですが後述にします

 

参拝列はこの蕃塀の所まで並んでいました、そして私が並んだ後はさらに鳥居近くまで、なんか嬉しくなってきますね

 

二の鳥居は目の覚めるような朱色、境内を包み込む杜にとても映えています

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人が多かったのと、その賑わいで油断していたのですが神前に近付くと御神威が強く社殿の写真はこちらから
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御祭神は八幡大神、八剱大神、五男三女神天児屋根命
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一説には仁明天皇の勅令により840年前後に創建され熱田神宮の鬼門守護とされたと伝わっているそうです

 

八剱大神については諸説ありまして、熱田神宮の御祭神つまり草薙剣であるとか名の通り八振の霊剣であるなどとされているのですが、実際にいくつかある八剱社の御祭神が様々なのでよく分かっていません

 

熱田神宮鎮守社としては草薙剣だと思いたい気持ちもありますが宝剱を守護する立場としては邪を避けるほどの武神軍神八柱ではないかと思われます

 

そして五男三女神、なんか他地方の神社であまり見かけない

気がするのですがこれまた名古屋では多い気がする?さすがに気の所為だろうか

 

天児屋根命祝詞の神であり中臣氏の始祖ともされています

 

うん、八幡様ってやっぱりどちらでもガッシリと構えてらっしゃるちょっと怖いけど実は優しいおじいちゃんって感じなのですが少し手前からでも奥の本殿からただならぬ圧を感じました

 

その圧から考えると、八剱大神は草薙剣なんじゃないかと勝手に想像しております(確証ゼロw)

 

主殿左手に総社宮、この地域で古くから祀られていた祠が合祀されているそうです
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さらに西側に並ぶこちらは御器所天満宮、元は北東の天神町天神山に鎮座されていたのが一村一社制度に伴いこちらへ遷座されたそうです

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その先は西参道になっています
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こちらは佐久間社、その名の通り関東から移りこちらを崇敬されていた佐久間一族を祀っているそうで、佐久間といえば信長の家臣佐久間盛政が有名でしょうか
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看板にある勝利へ神鈴を振ろうというのがこちら、必勝鉾鈴
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そ、し、て、この境内にあって空気の違う場所が主殿右手側
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そう、白龍神社ですよ、まさかこちらにも祀られているとは、名古屋どんだけ白龍様信仰篤いんだよ!! って話ですがほんと、住んでる頃は当たり前に祀られていたから離れて初めてその多さが普通では無いことに気づくんですよね
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しかもこちら、元より祀られていた龍神様に加藤清正により名古屋築城時に祀られた城内龍神社、場外龍神社を合わせ祀っており、ただ合祀というのではなく三社殿として篤く祀られています

 

やはり古来より白龍様が祀られていた、そして清正公によって城守護に龍神様が選ばれていた、やっぱり名古屋は長きにわたって龍神様への崇敬篤き土地だったのです

 

え?加藤清正といえば熊本だろうって方もいらっしゃるかもしれませんが彼は名古屋生まれ育ち、幼少期に津島、近江と移っていきますが名古屋といえば何なのか、何を大切に活かせば良いのかはちゃんと知っていたと思われます

 

ちなみにこちらにもおもかる石が2石ありましてかたや丸くもう一方はゴツゴツした隕石のような感じです

 

ちょっと調べてみたのですが、検索で一番出てくるのは伏見大社稲荷でしたがおもかる石(重軽石)の起源というのは石占いが元だろうとは言われているのですがその年代や創始はわかりませんでした

 

白龍様の前がこちら、水の恵に感謝し長寿を祈る神石と吉幸水で遥拝として磐長姫命が祀られています、とても珍しいですね
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さらに境内西側に境内社が並びます、五社宮は地域で古くから祀られていた摂社である村上社、州原社、八幡社、氷上社、春日社が祀られています、御祭神は不明です

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右手には二社鎮座されています

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稲荷社はよく見ると神狐様の存在感が凄いのですが決して厳しくはなく稲荷神を守りつつ静かに参拝者と地域を見守ってくださっています
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左手は地域の出征者を偲び感謝する英霊社、鎮魂のため仏像が並んでいますね

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六社宮の左手、実はパッと見で縁結びなのねーと失礼ながらスルーしようとしてしまいました、まぁ御縁は万事に通ずるわけですがどうしても真っ先に思いつくのは 出会い でして、ほら、色事に注意せよという二連続のおみくじがあったものでw

 

と背を向けた時、なんでしょう、何が過ぎったのかもわかりませんが何故か戻ったんです、いや、美しいですね、良縁・縁結びのみとおし石と書かれています

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神門を支えていた石だという、その神門は崩れてしまったのでしょうか焼失してしまったのでしょうか、にしても凄く大切に祀られていますね、なんだか凄く和やかな気持ちになるのは幸せな、幸せを願う皆さんを見守る温かい心が宿っているからでしょうか

 

これがどっこい、調べてビックリなんですが、というかよく分からなかったのですが公式HPには「御本社にお祀りされている菊理媛命さまは、、、」という説明が

 

んっ?! 御本社というのは本殿の事だろうか、普通はそのお社であれば当社と書くでしょうし、そもそもこちらは新門を支えていたという石であって社ではない、でも御神体とされたのであればこちらに宿られ(祀られ)ていても不思議はありません

 

実は私、この由緒板で右列と隙間が空いているので左は境内社の神々が書かれていると思っていたのですが白龍神稲荷大神も書かれていないということは境内社の神々はこちらには書かれていない?!
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つまり、本殿には天照大御神、彌豆波能女命、菊理媛命木花咲耶姫命、山王大神、高蔵大神、熊野大神も合祀されていることになります

 

つまりはこちらも一村一社に従って合祀された各地の御祭神なのでしょうか、ちょっと後半が手書きなのはやむないとして

熊野大神だけちょっと雑でしかも色落ちが凄いのだけ気になりますが(ボソッ)

 

そしておっそいのですが今更気づきました...こちらは八所明神 御器所八幡宮、そう、八所明神なんです

 

由緒板後半に書かれていたのは右列が四柱、五男三女であることを考えると十一柱と数が合わないどころかそもそも 所 ではありません、そして左列に並ぶ御祭神は七柱、当八幡宮を合わせれば八所になるんです!!

 

あぁ、そういうことだったのか!! なんで後半が後から遷座合祀されたかのように手書きになっていくんですかぁぁぁw←人のせいにするな

 

改めてHPの御由緒を読む限りは八所大明神と尊称された由来は書かれておらず、1441年の棟札にこの尊称書かれているのが初出のようです

 

ということは一村一社、つまり明治の合祀令よりもかなり古いことから合祀されたわけでは無さそ、、、あっ!! 創建推測が840年前後とされるということは!!

 

延喜式神名帳の一覧を調べてみるとしっかり御器所八幡宮が載っていました!!  そして属する愛智郡には34座が記載されている、その中を確認していくといろいろ紐解けました!

 

こちらの八所ではありませんが八剱宮を発見(ダジャレではありません)、やはり洲崎神社での八剱宮御祭神は熱田大神つまり草薙剣でした

 

そしてこちらの氷上大神は宮簀媛命、高蔵大神は高倉下命と分かりましたが唯一、菊理媛命を祀る神社だけがわかりませんでした

 

つまり、御器所八幡宮は総ではありませんがその下の神社にそれぞれのエリアを纏める〇所宮がいろいろあったとしても不思議はない、つまり分霊を迎え配祀されており当社を参拝すれば他7社も併せ参拝したことになるという場所だったのでしょう

 

まさかこんな複雑に調べることになるとは思いもしていませんでしたが、これにはしっかりとした意味がありました

 

そう、高倉下命です

 

もう情報を詰め込み過ぎていて、あれ?なんか土地に馴染みの無いでも物凄く記憶に残っている神名だぞ、、、と思い調べてみるとそうですよ! 神武天皇の元へ布都御魂を献上したのは高倉下です!!

 

そして全然見てなかった!! 高倉下は尾張連、つまり尾張国造です

 

まさかの、洲崎神社の御祭神で謎だった石神、布都御魂と思いっきり繋がりました!! なぜあの時に高倉下が尾張国造だと気づかなかったのだろう!!

 

まさか、、、布都御魂は一時的にでも熱田神宮とか洲崎神社に祀られた事があったとか、、、草薙剣と何か関係があったとか、、、?! まぁこれはもう都市伝説とかどんどんかけ離れるのでやめておきましょう(*´ω`*)

 

凄く長くなりましたが最後の境内社です

 

先程の境内社を囲む玉垣と舞殿の隙間という謎の位置に祀られているのがこちら、稚児社で御祭神は本社と同じ八幡大神

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本殿は本殿であるものの特に地域の子供達の安寧を守るためのお社だそうでその神社により御祭神は主祭神と同じであったり御利益に合った御祭神になっているそうです

 

と、いうわけですっごい神社でした!!

 

いやー、冒頭にも書きましたが白山社の近くで地図検索して選んだだけだったのでここまでの規模だとは、そして調べるとここまで深掘りが繋がるとは思ってもいませんでした

 

菊理媛命はどちらから、という謎はありますが改めて由緒板の社員を眺めていたら、手書きの三柱を除くと八柱で八所と言えなくもないですね(。-_-。)  そもそも印字か手書きか、八所なのに元から祭神名が抜けていたとも思えません

 

由来が棟札だけだというのでもしかしたらこうだろうと特定していたのが研究や資料の発見によって新たに本来の配神名が判明して手書きされた可能性も考えられます

 

っていうか多くの神社が式内社を名乗るのにこちらは全く触れていないところがまたなんとも言えず、そんな事しなくても地元の人を守り崇敬されているからそれでいいんだよ、というお気持ちにも感じられてなんかいいな、って勝手に妄想(*´ω`*)

 

 

もう一社とてのんびりと書く事が出来ないという異常事態、そりゃ巡拝で物凄い精神力を使い果たしたと感じたわけだ(普段手抜きというわけじゃないですよ!w)

 

神社では物凄く御神威を頂けます、だから心身が浄化され不思議と力が漲りますが御神氣当たりと勝手に名付けている、所謂効果が強すぎてしまう状態というのもあるんです

 

でもそれはとっても有難い事、物凄く充実した巡拝だったと感じたのはやっぱりそれだけの理由があったのです(*´ω`*)

 

ちなみに徒歩1分のところにどう見ても目を引くこちら
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御器所東城跡だそうで二重の堀を持つ平城があったそうでこの北西には佐久間氏の居城だった御器所西城があったそうです
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さて、蕃塀について(忘れてなかった)(というか実はいつも内容を忘れぬよう 後述 って言いながらスグにその時に末尾の方に書きあげてあるのですw)

 

詳しく調べられてる方がいらっしゃって、正式には神宮のだけを蕃塀と呼びそれ以外の神社のものは不浄門とか透垣と呼ばれその意味は不浄避け、外(入口)から神様を直視しないように、などと言われています

 

ちなみに沖縄の古民家にもほぼ必ずと言って良いほどありまして、そちらは屏風(ヒンプン)と呼ばれていて中国から伝わったのではないかとされているそうです

 

琉球古民家は門の正面に魔を避けるヒンプンがありさらにその上、屋根上の真ん中からシーサーが睨みを効かすというガッチリとした魔除けになっています

 

一部では出入りする時に男性と女性でヒンプンの右左どちらを通るかが決まっていたりとやはりまじない(祭祀)的な要素がありますね

 

琉球は海人の島、祭祀の島、神の島

 

一説では高天原は沖縄の事だったのではないかとされており、実際に神武天皇の出生にまつわる場所があったりもするのです

 

琉球は龍宮でもある、龍の多い沖縄、龍の多い名古屋、ヒンプンのある沖縄、蕃塀の多い名古屋、顔が濃いうちなーぢらの沖縄、琉球の血は入っていないのにうちなーんちゅからうちなーんちと間違えられることもある濃い顔のわたし、何か繋がりがあったりなかったり?

 

なんて軽口を残して次の神社へ~

 

名古屋大須 幸せの杜 三輪神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、三輪神社です
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白山神社の後に母親と合流して元旦の大須を楽しんだので上前津駅から地下鉄に乗ろうとしたのですがまだ夕方まで時間もあるので散歩がてら栄へ向かうことにしました

 

二駅ありますがぶらぶら歩いていくとすぐなんです

 

と、、、えっ、神社?!
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あぁぁっ!!  予定を変更したので完全に位置関係が頭から消えていましたが元々この日は柳里神社→白龍神社→須崎神社→松原緑地→三輪神社→若宮八幡宮と巡拝するつもりだったのです

 

これは絶対に意味があるはずだ、ということで参拝(*^^*)

 

いやー賑わってますね、さすが縁結びの神様(*´ω`*)

 

ちなみになんと有難い事か鳥居が三輪鳥居とも呼ばれる三ツ鳥居になっていまして大神神社では垣奥にありますがこちらでは茅の輪潜りと同じ方式で中央から左右左と潜ってから参拝すれば御利益三倍!とされていますw

 

いやはや、参拝の時にちょっとだけ「潜れるじゃん!」と思ったのですがあの三輪山の三ツ鳥居を思うと恐れ多くて中央を潜らせて頂くだけで十分有難いと潜らなかったんです、、、そういう直感には従うべきですね(と言ってもさすがに茅の輪と同じように潜ろうとまでは思いつかなかったと思いますがw)

 

ちょっと!! 兎が壺から手水を注いでいるとか可愛過ぎ

んか?!

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ちょっと調べてみると大国主と大物主は同神であり因幡の白兎に因んでいるとたくさんの検索結果が出てきました
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いやはや、勝手に考察のせいで大物主=味耜高彦根と考えてしまいます、あまり良くないですね(_ _ )  大物主は大国主の荒御魂とされ、、、ちょっと待ってよ? 何か違和感が、こういう違和感にはすぐに従うべき

 

調べてみると崇神天皇8年(紀元前90年)、大物主神からのお告げにより子孫である大田田根子を斎主として御祭神を篤く祀ったことで疫病が収まったその日が卯の日だったため、卯の日神事と呼ばれ2000年を経た今でも大切に執り行われている神事となっているそうです

 

そして大神神社のHPでも記事(記載)によっても違いますがうさぎとの御縁は卯日神事であり、因幡の白兎についてはそれも踏まえていたかもしれません、というトーンです

 

 

それではご挨拶、御祭神は大物主神、配祀に徳川義宜

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はて、義宣公? 調べてみると当社が尾張徳川家より崇敬篤かった事から大正12年に16代尾張藩主が合祀されたそうですが幼少だった為に実際は父が執政を行い、倒幕後は徳川宗家次期当主候補にもなったそうですが名古屋藩初代知事として病により夭折、御歳18歳というからなんともやり切れないですね…

 

最後の藩主、初代知事として若くして亡くなった義宣公が祀られたのがわかる気がします
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境内右手前の社務所はかなり人だかりですが右奥の境内社側は全然人が居ません、と、今気づきましたが灯篭の元に白うさぎが供えられていますね(*´ω`*)
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こちらの幸宮社は迦具土命を祀る秋葉社素戔嗚命を祀る津島社、そして猿田彦社です

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そしてこちらは、、、白龍社!?
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なんとこちらにも龍神様が、白龍様が祀られていました

 

名古屋は中日ドラゴンズで青い龍のイメージがあるのですが各地で祀られている龍神様は白龍様が圧倒的な気がします

 

そしてこれは大神神社を参拝した時にも学びました、大物主大神には蛇として顕現されたという伝承もあり、大神系神社では 巳さん として親しまれているそうです

 

はて、隣の矢と的は? こちらは尾張藩矢場跡で矢場町の由来となっている、、、知らなかった!!

 

そしてこちら、福光稲荷社
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なんとも素敵な神狐さん、御神威は強いけれどとってもウェルカムな雰囲気が両立されている(*´ω`*)
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そういえば狛犬と神狐ではそもそも意味合いが異なるのですが稲、鍵、巻物、宝珠ではないパターンの多くは狛犬と同じ造りで置かれることが多いので気付きました

 

多くの狛犬は向かって右が口を開いていて左は口を閉じている、これは本来双方とも口を閉じていた(開いていた)ものに阿吽の思想が取り込まれたものだと考えられており、古い物にはさらに吽形には角がありました(双方にある場合も)

 

さらに現代は右雄左雌とされていますが本来は性別無関係(共に雄)だったとされており、そのあたりは諸説入り乱れている感じです

 

ちなみに沖縄のシーサーもまた現代では右が雄で左が雌とされていますが昔は逆だったそうです、さらに古来は門の左右ではなく屋根の上の真ん中に一体だけだったそうです

 

いやー、偶然ながら参拝出来て良かった(*´ω`*) 元旦とあって結構多くの方々で賑わっており、特に縁結びとして若い方がとても多く活気のある境内でした

 

元々は静かな境内でしっかり感じて参拝したい派なのですがこういう時は賑わっていた方が有難いですね、神様も凄く嬉しそうでとっても柔らかい雰囲気になっている気がします(*´ω`*)

 

 

さて、御由緒検索!

 

1570~72年、奈良桜井三輪町から当地へ移った牧若狭守長清が故郷の三輪山より大物主神を勧請されたそうです、以上

 

...短いっwww

 

という事で牧長清について調べてみましたら主君織田信長とありました、そっか1570年ってその頃か!! しかもなんと父は信長公の叔母を妻としており長清もまた信長公の妹 おとく を娶っているという織田家との繋がりの強さ!!

 

そしてこの辺りには小林城があり父が城主だったそうです

 

...以上!!

 

 

いや、もうちょっと何か下さいm(*_ _)m

 

...無い

 

と諦めかけたその時、待てよ? 父だ、父!!  ということで巻き長義を調べてみると小林城主でありながら情報は生没年すらわからず、ただ斯波義統の子であるという説がある

 

斯波氏は尾張守護のほか越前、陸奥、出羽などを治めていたようですが大和が無い、、、となると由緒にある長清が移り住んだ時に故郷の三輪山から勧請したという話と辻褄が合わなくなる

 

例え一時三輪に居たとしてもそれは故郷ともいわないし戻る事を移り住むとは言わない、念の為母である信長の叔母の父(ややこしい)織田信定について調べてみたけれど津島を納めていたようだ

 

これはもう単なる由緒間違いとしたいところですが城主の息子であり信長の妹を娶っており小林城下(内?)に祀られているのだから疑うにはちょっと難しい

 

となるともはや養子として牧家に来たと考える他にない、城主とはいえその息子に織田家当主が娘を嫁がせるだろうか

 

これ以上は資料が出て来なさすぎてむーりー(´;ω;`)

 

少なくとも、何かある、ということだけはわかりました

 

 

この後、栄へ向かって歩いていたのですがなんかお腹減ってきた、そりゃそうだ巡拝に出る前、つまり朝にパパっと食べてからなんも食べてない!!

 

そこでふと信号待ちで気付いたお店に入ることにしたのがこちら、ひとり焼肉の焼肉ダイナマイト!!
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おかん連れて入る店じゃないwww けど大丈夫、肉をあまり食べないおかんは朝食べたので夜まで要らんと言うのでビビンバをw

 

折角名古屋なのにチェーン系の焼肉かよ!というのもあったのですが実は前日から無性に焼肉が食べたいと思っていて、さらに実はひとり焼肉(隣におかん居るけど)って初めてだったんです!

 

じゃん!! 上カルビハラミ定食!!
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えっ、リーズナブルなのにお肉の質良くない?!
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ツラミもめっちゃ美味くてコスパ良すぎん? えっ?
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うっ、、、うんめぇ、、、あれ? ひとり焼肉ってこんなん?!?!
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最も驚いたのはご飯! こういう店にありがちな、量があればいいんだろ的な大量に炊いてカピカピにならないようにしたちょっとベチャッとしたご飯ではなくしっかり炊きたてのような丁度良い具合のご飯!!

 

これらにビビンバで約2300円だからすげーな。。。正直、お腹減ってるし安くて肉ならなんでもいいやって感じで入ったから全部が美味くてびっくりした

 

調べてみたらこちら、このビルの上にある人気焼肉店が1階をひとり焼肉店舗にしたらしく上質な和牛なのにリーズナブルさを実現出来ているんだそうです

 

いやー、偶然だったけどめっちゃ良い店を選んでた!!

 

 

さぁ帰るか~と歩いていき、特に何もないこれから降りようという地下鉄出口の横からこんなアングルなのに何故か撮っておくか、とスマホを取り出しカシャッ
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撮るならもうちょっと拘りたい(下手の横好き)のになんでこんな適当に写真撮ったんだ?とも思いつつ、じゃぁ帰るかと階段へ向かう、スマホをポケットに入れ階段を降りようとしたその時

 

ぶっぶぶー

 

特になんでもない通知バイブだったし帰省中は基本的にスマホ放ったらかしだったので後で見ようと思ったのにこの時は何故かすぐに一度手を離したスマホをポケットから取る

 

その通知は地震アプリからのもので最大震度7と表示されている、そしてP波の波形が北からどんどん名古屋へと迫りS波の波形もそれに続いて追ってくる

 

階段を降りかけたおかんを戻して出口横の壁に捕まらせ頭上からの落下物の危険性を確認

 

すぐに小刻みな揺れ、続いて気持ちの悪いゆったりとした波のような揺れが始まった、、、その波は徐々に大きくゆーらゆらとまるで筏に乗っているような感じだった

 

あかん、これはあかん

 

名古屋の震度は4、別に周りのビルも揺れてないしなんなら僅かに歩いている人は特に気付いてもいない雰囲気、兵庫県南部地震の時も名古屋は4だった(と記憶していたのだけど調べると3になっている)けれどあの時とは全く揺れ方が違う、そして東京で経験した東北太平洋地震の5強ともまた違う

 

なんとも気持ちの悪いガタガタではなくゆーらゆらとした揺れは初めての経験だったのですがつい最近の報道で能登沖地震はふたつの断層が立て続けにズレた地震でとても特徴的な揺れだったことが分かった

 

恐らくあの写真を撮ってなかったら通知にも気付かないまま階段を降りていただろう、あのぐわんぐわんした揺れでは自分はまだしも先を歩いていたおかんは立ちくらみと勘違いして階段から落ちていたかもしれない

 

名古屋の震度は3~4だったので緊急速報は最初鳴らず、揺れがいちばん大きくなった頃に漸く鳴ったのでした

 

普段から地震情報には結構気を配ってはいますが改めて速報よりも通知の速いアプリの有難みを感じると共に関東も東海も既に今日明日、いや、今大地震が襲っても全く不思議では無い時期に入っている

 

歩いている時、寝ている時、トイレ、風呂、、、今発生したら何をすべきか、例え小さな震度の地震であっても普段からどれだけシミュレーションをしておくかが落ち着いた行動に繋がる事を再認識しました

 

阪神以降、被災の映像や写真は出来る限り目を通しておくようになりました、その時自分の居る場所にどれだけのリスクがあるのかを知っておかないといざその時どういう行動が優先されるかが全然違うからです

 

その時どこに居て何をしているかというのはもはや運でしかありませんが、事前予測と心の準備があるかないかだけが自分で自分や家族の運命を左右出来る手段だと思います

 

 

 

 

 

白山さま 大須白山神社と石仏白山社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、大須白山神社です
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予定二社は諦めてさぁ母親と合流するため大須観音へ向かうかーと歩き始めてすぐの事

 

......嘘やん
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地図に出てなかったというか気付いていなかったというか、それもそのはず、予定の神社へ向かうはずだったルートと違うからか!

 

まぁ予定を削ったから若干余裕はあるけど、まぁ多少遅れてもおかんだからいっか← ということで信号待ちの間に参拝決定

 

信号を渡ると、、、嘘やん、白山神社 Σ(゚д゚;)
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社名を見た瞬間に マジか と声に出てしまいました

 

実はこの日、元旦深夜に私のブログとしては珍しくもコメントを頂いておりまして、それが菊理媛神に関するものでした

 

松原緑地から大須観音のルートを調べたついでにメールチェックをしてコメントを確認、とっても有難いけれどこれから歩くから返信は夜にさせていただこう、と歩き始めて1分ほどで真正面に現れた神社が白山神社とかもう驚きでしかありません

 

石鳥居を潜ると直ぐに二の鳥居、こちらは塗り直されたのかとっても鮮やかな朱色で道路の反対よりもさらに手前からでもハッキリと見えていてまるでこっちが前に建っていたかのように美しい
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この鳥居を潜った途端、一気に空気感が変わる

 

うわっ、、、想像していたより、といっても突然出会ったので想像も何もありませんが、ガチガチビシビシに氣を感じる

 

白山さんは私が長く暮らした地元の氏神様でしたから、神様に対して無礼ではありますがククリヒメ様はお姉ちゃん的な存在として捉えていますので思いっきり和やかな気持ちで足を踏み入れました

 

が、この圧、、、!!

 

空を見上げ、深く息を吸い、ゆっくりと吐く

 

よし、定まった

 

拝殿前に立つまでの一歩一歩がやや重い、そして社殿の雰囲気に圧倒される

 

いや、勿論しっかりとして立派なんですがよくある普通の社殿なんです、でも奥から流れてくる氣の重厚感が凄い

 

上述の流れを報告しつつ、このタイミングでこうしてご挨拶させて頂けた事に感謝を伝え参道へと振り返ってふーと空を見上げる

 

あぁ、なんて素晴らしいんだ、、、とそこで気付きました、先程までの圧が弱くなってる? まだ少し重厚感はあるけれど急に柔らかくなってる?!

 

おや? おやや? 境内を見回すと社殿右手には井戸でしょうか
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と参拝者さんがいらっしゃったので境内左手の方へ、こちらは右側に社殿があって左手は結構広い公園になっています

 

あっ、気付いてなかった、奥に境内社が鎮座されていま、、、
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(*°ㅁ°)ハッ‼  なんと真後ろに繋がっているだろうと思っていた本殿はやや小高くなったところ、拝殿との間がちょっと長めで登りになっている
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.....................もしやこちらも古墳?!?!

 

もう一度深呼吸をして近付いていきます

 

あ、あれ??? 近付けば近づくほど重厚感が消えていき、もの凄い温かさに包まれていく、心がどんどん穏やかになっていく
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なんだろう、なんか急に様々な感情が一瞬で噴き出して、そのどれかをひとつひとつ考えるという間もないくらいに一気にぐちゃぐちゃに噴き出して、でも凄い安心感で涙が目に浮かぶ

 

あれ? 私、ここ、来たことあった? いや、でも絶対とは言えないけれど、もしかしたら自転車で市内広範囲を走り回っていた幼少期に目の前を通り過ぎた事はあったのかもしれないけれど、でもそんな頃にわざわざ自転車を停めて境内に入ったりするかな?

 

全く記憶に無いのですが、まるで凄く久しぶりに氏神様へと挨拶したかのような気持ちになったのです

 

でもすぐに気付きます、いや、だってさっきまで全然重厚感の強い、圧 とまで言うくらいに緊張していたじゃないか、なんでそんな急に?

 

改めて見回すけれど境内のどこも記憶を呼び覚ませるものは無い

 

とにかく、ありがとう、という言葉しか出てこなくなりましたが、その時の私の目線がこちら、この写真、とっても気に入っています
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いやー、、、びっくりした

 

もうこの後はずっと、昔懐かしい里帰りの雰囲気でめちゃめちゃに居心地の良い境内になり、ふら、ふら、と空を見あげたり社殿を眺めたり木を見上げたりとゆっくりしていました

 

今どのへん?と送ったのにおかんからは返事が全然来なかったのでさらにの~んびりしてましたw

 

境内社日吉社、御祭神は素戔嗚命ですね
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む? もしかして日吉社の居心地が良かったとかっってこと? と再び拝殿前に立ってみたのですが最初とは全く違って凄く穏やかな氣に包まれている

 

こちらでゆっくりしている間、三組ほど参拝者さんがいらっしゃったのですが皆さんご近所の方という雰囲気

 

もしかしたら、滅多に余所者なんて来ないから最初は警戒されていたのか、それともただ自分側が参拝をする事で御神威の強さに馴染んだのだろうか

 

特に御神木にはなっていないけれど凄く優しい氣に満ちた木
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特に垣でもなく石が置かれているな、と目を向けた先のひとつ
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な、なにこれ?!

 

最初は根が石を避けてというか取り込んで育ったのかと思ったのですがさざれ石? でもよく見ると上部が加工されているっぽいので砂利コンクリートでしょうかね

 

でもなぜこんな目立たない、というか参道側からは見えない位置に何の意味があって設置されたのだろう、、、とさらに見ていたのですがやっぱりこれ、自然のさざれ石じゃないですかね?

 

造成したにしては形に相対性が無いし木の根元に近過ぎる、外側の石達の下にも流れこむようになっているし、、、うん、でもやっぱり謎だ

 

 

いやー、なんかねー、もう、出会うべくして出会ったんだろうな、と思いたくなるほど素晴らしい神社さんでした(*´ω`*)

 

で、調べてみたのですがやっぱり情報が少ないですね

 

創建年も古墳かどうかもわかりませんが一番古いのがこの周辺で起きた大火により社伝などが失われたという1724年の記録ですが産土神として祀られていたというので結構古いのかもしれません、また鎌倉期の創建ともされていますがその根拠は見当たりませんでした

 

日吉社は江戸期に遷座されたそうでそれまでは山王社と呼ばれていたようです

 

うーん、、、結局何もわからなかった( ノ∀`)タハー

 

でも良いんです、ここで感じられた事は恐らくずーっと記憶に残ると思います

 

 

と、いうわけで

 

翌日やって参りました私が姉神様と慕う石仏白山社
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いっつも見上げていた本殿のお背中、、、そういえばここは坂道になっているので参道側は平面なのに本殿周りは道から高さ3~4mくらいの高さまでガッチリとした石垣で囲まれています

 

いや、でもさすがにここは古墳ではないでしょう

 

前日の大須白山神社での感覚が蘇ってもうこの時点でちょっと涙がポロポロ

 

勿論こちらでは圧も何も無く絶対的な安心感の塊、ほんと帰省です、心の故郷です

 

意外な事に結構次々と参拝者がやって来ていて嬉しくなりますね、宮司さんと崇敬会の方が拝殿前で元気におで迎えくださってました(*´ω`*)
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参拝を済ませると脇から境内の奥へ、皆さんが境内社にご挨拶なさっている脇を抜けて本殿の真裏へ上がっていくおっさんはさぞ不思議な存在だったことでしょうw

 

幼稚園小学生くらいの頃はほんとここが好きでした

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帰っておかんにその話をしたら、あの頃友達と遊ぶ以外に一人で良く出かけてて一体どこに行ってるかと思ってた謎が今になって解けたと言われましたw

 

いや、そこまでしょっちゅう行ってたわけじゃないからw

 

そしておみくじを引いたら!! さすがに三連続で色事注意とは書かれておらず安心w でもやっぱり姉様ですね、全体的にちょっと甘やかしのような優しい言葉が並んでいましたw

 

なんの変哲もない手水舎ですがお水の揺らめきが綺麗だったので写真を撮っておいたらなんと青い反射が背中に重なって輝く鱗みたいになってました!!

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まぁ今の時代、全国にそれぞれの地神様が祀られており、崇敬心であったり移住であったりその理由は様々、特に城下なんかだと大名などが武家屋敷に祀りそのまま残るケースもあるのですが名古屋って結構白山社が多い気がします

 

白山信仰の総本社は加賀の白山比咩神社ですがその実というのはなかなかに謎が多いのです

 

そもそも白山信仰はその名の通り福井石川岐阜に跨る白山を御神体とした山岳信仰で加賀越前美濃の三箇所に設けられた馬場からそれぞれの禅定道を通り白山を登拝するものでした

 

717年に天空の貴女よりお告げを受けた僧が登拝を果たしたのが始まりとされており、普通に考えると移行の神仏分離廃仏毀釈により神社となったと思いがちですが実は白山比咩神社の創建は紀元前だと伝わっている、しかもその時から姫とされているのです

 

総本宮の御祭神は菊理媛命伊邪那岐命伊邪那美命の三柱ですがその社により菊理媛のみ、菊理媛と伊邪那美、な違いがありますが菊理媛が祀られていないケースは稀でしょう、あとは白山大神、白山比咩大神の名で祀られています

 

ざっくり言うとイザナギイザナミが黄泉比良坂で言い争いになっているところに現れ仲を取り持ちます、これによってイザナギは無事戻ることが出来たのでククリヒメが居なければ今の世の中は全く別のものになっていたでしょう

 

でもそんなに重要な女神でありながらこのワンシーンでしか登場しないのは不自然だから隠されているという説もありますが記紀には名前が変わるどころでなく素性も朧気で突然登場して以降出てこない神は数多く存在します

 

黄泉比良坂はあの世とこの世を繋ぐ坂ですからそこに現れたククリヒメは死者と生者を繋ぐ存在だとされ大巫女、イタコの祖先であるとされています、つまり霊山に祀る神としては最適であるとも思えますが黄泉の国のイメージとしては記紀の頃から地下世界を思われているのでなぜ山に祀ったのか

 

そもそも記紀のイメージが逆で実は山の上だったのか、天国と地獄のイメージからしてもやはり上の方が良いですけどね

 

多くの方が気になっているのは、ククリヒメがイザナギに何かを言い、それを聞いたイザナギが褒めたというシーンでしょう

 

何を言ったのか、その後の行動からもそれが何だったのか全くわからないのです、そんなことあります?! 物凄い匂わせですねw

 

あくまでも書かれている事だけで妄想すると、ククリヒメには言霊、呪(しゅ)を操る力があったということを示している、つまりは巫女神の祖であると考えることが出来るわけです

 

...が、やっぱり謎の存在である事には変わりがありませんw

 

一説には、白山は命の源であり水の源でもあることからククリヒメ=セオリツヒメであるというものがあります

 

ちょっと無理矢理な話のようにも思えますが共に水に関連しておりつまりは龍神と同一視される、でもククリヒメは龍神では、、、待って!?

 

今調べると石仏白山社の例祭は7月末なんですよね、、、でも私の記憶では6月30日ー7月1日の二日間で龍神祭りが開催されていた記憶があるんです、、、まさか一ヶ月間違えて覚えていたのかな、、、っていうか今では龍神とも書かれていない

 

これは一体。。。

 

さて、結局以前と同じで色々調べてはみたのですが様々な解釈あれど如何せん元となる資料の少なさ故に何も分からないという結果になってしまいました、、、無念

 

ただ、ホツマツタエという資料にはカミムスビと結婚し北陸の根国を治めており、アマテラスの叔母であり産湯に浸からせたという記述があるそうなのです

 

神代文字で書かれているということは記紀よりも古く、本当に古代に書かれたものであるとすれば記紀よりも信頼性が高くなってきます

 

記紀ではイザナギイザナミ以前に夫婦神が存在しませんのでカミムスビに妻は居ませんがホツマツタエ通りであるとするならばスクナヒコナの母でもある可能性があります

 

生み出す神であるカミムスビ、生と死の命を司るククリヒメ、その間に生まれた御子のひと柱が医術の神とされるスクナヒコナだとしたら、、、流れは通じます

 

瀬織津姫が大好きな私としては、僅かな記述のみしか描かれないククリヒメと祓詞にしかその名が伝わらない瀬織津姫が禊を司る同神であるとちょっとワクワクしますけどね(*´ω`*)

 

ただ難しいのは、私は白山信仰廃仏毀釈の流れでククリヒメを祭神にしたと思っていたのですが山岳信仰よりも前から女神を祀っていたとすると全く話が変わってきますが、女神が導いた霊山であるならば同じとも言えますね

 

と、うだうだ言葉を連ねてきましたが何もわからずただグダっただけになってしまいましたが、やっぱり私にとっては人生において最も大切で最も見守っていただいた神様ということで大切な存在であります

 

今後、、、といってもなかなか難しいでしょうけれど、新たな考察や資料が発見される事を切に願いつつ、そうでなくとも私は大切に崇敬し続けます(*´ω`*)

 

あっ、忘れてた!!

 

名古屋に白山系がやや多い気がするので調べてみました

 

なんと最も白山神社が多いのは岐阜県!  続いて福井、新潟、愛知、石川は5番目です

 

石川は意外な気もしますが至極当然でしょう、だって総本社があるんですからあちこちに分社する必要が無いんです

 

三箇所の馬場の中で岐阜が一番である理由も想像に易く、当時の中心である奈良京都から白山を目指すのに湖北から越前加賀へ回って下りてくる来るよりも東海道をそのまま進んで真っ直ぐ向かう方が便利だったのではないでしょうか

 

また東海道方面から向かうにしてもちゃんと馬場から禅定道を進むのであれば美濃ルートということになります、そして美濃から近く人が多く住む場所だからこそ名古屋に白山神社が多いということですね

 

石川より多いとは思いませんでしたがw

 

というわけで、名古屋に白山社が多い気がするのは正しかった!!
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...以上ですw