どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、飛鳥坐神社です
捨篠神社からザクザクと歩くと予定より一本早い電車に乗れた! これは助かる!! と橿原神宮前駅に到着した私は奈良周遊の赤かめバスのバス停へ向かう
...Σ( ̄□ ̄;
なんということだ、熟考に熟考を重ね万全を期したはずの行程表だったはずなのに間違った!! そう、何度も何度も検索を繰り返した末にまさかの赤かめバスだけ平日運行で調べてしまっていたようだ(その他の行程は完璧だったのに!!w)
いや、何がって...30分あったら何か食べられたじゃないかーw もしくはお店見たりも出来たのに東口って何も無い! かと言ってぐるっと回って西口へ行って戻るのもアレなのでポケーっと過ごすw
そしてやって来た赤かめバスに乗り込み飛鳥大仏で下車
右スグ あとは黒くなっているな、とこの時はちゃんと読まなかった
今見れば 元伊勢 と彫られていたのだ
いやーほんと凄いよね、こんな凄いところまで来ておいてほぼ何も調べていないってんだから(凄くない)
まぁこれがいつもの なんか行かなきゃいけない気がする というやつなのでございます、もちろんこの写真だって字を読めていないのに なんか撮らなきゃいけない気がする だけで撮っているのである
そして右を見れば確かに、スグ!!(というかバスは目の前を通った)
街並みも素敵です
さぁやって来ました、、、なんたる神聖感、息を飲む
それを元伊勢と知らぬままに感じていた自分がなんか嬉しい(自画自賛)
飛鳥坐神社は あすかにいますじんじゃ と読みまして、扁額は飛鳥社になっています
手水舎で手口を清めつつ心をまっさらにしていく、理由はわからないけれど、ここは全身で氣を感じなければならない場所だ
では、、、と思ったら井戸? ...飛鳥井? 飛鳥井...飛鳥井?!
でも聞いた事があるのと違う気がする、と思ったら有名なのは京都上京区の白峯神宮の方ですね
境内に入る前から息を飲むほどの強い御神氣を感じておきながら御祭神と由緒の冒頭部分しか読まない私、そう、それが私
そして創建は不明と書かれています...ますます、なぜここに来たのだ? なぜ今回、ここだけは来なければならないと強く思ったのだ? 実はこちらもまたルート選定に四苦八苦していた時にやむなく一旦外そうと思ったけれど絶対外してはダメだと思った神社だったのですが、さすがに御祭神には仰天しました
だって、事前にサラッと調べた時は天照大御神と高皇産霊神としか知らなかったのですから
これは確実に 呼ばれた 、勝手にそう確信した私は鳥居を潜る前に再度心身統一を試みたけれど不思議な事に程よいというよりも僅かな緊張を残しただけで驚くほどのリラックス状態になっていました、これがまた不思議
それではご挨拶
まず祓戸四神を祀る祓戸社、うん、ありたがい
石段を登った正面には石が並んでいますが謂れなどは書かれておらず
おもかる石がありました(*´ω`*)
願いもないままに右手で持ってしまい、あれっ軽い? と思ったところで男は左手でと書かれていることに気づき、では2025年を心豊かに過ごす事が出来るでしょうか、と思いつつ左でで持ち上げようとしたら滑る?! 改めて持ち上げるとびっくりするほど重い...w
あはっ、意外といけてると思っていたけれどそりゃそうか、表面上では穏やかに過ごせていたとしても心の底から豊かさを感じて生きるなど私にはあまりにも大きな課題なのである、そう考えればやっぱり良い豊富だったのかもしれない、うむ、一年で進めそうなレベルでは無さそうだけど頑張ります←コロコロ変わるな
...と思ったのですが、後で気付いたので戻って追記w
これ、おもかる石だと思い込んでいたけれど違う!! 力石!!www そんでもって持つと幸運が掴めるって書いてあった!?! つまり、すっげー重かったのはそれほど大きな幸運が掴めるってこと?! それとも...いや、やっぱり幸運を掴むには困難が多いぞってことかな(そっちな気がするw) いや、でもこんなにも素晴らしい大巡拝が出来たのだから大幸運ですよ(*´ω`*)
はー...なんの事はない景色だけれど物凄く素晴らしいのは今立っているこの場所が素晴らしいからなんだろう、居るだけで心が満たされる、ってまだ石段を登っただけなんですけどなんだこの充足感は
並ぶ石の隣に四社殿、御祭神は不明、調べてみると八十萬神社でした
はて、それほど風があったような記憶は無いのに紙垂はかなり靡いていますね
そして先へ進むと神楽殿でしょうか
なんと後ろ戸(窓?)が空いており景色が見える
映画のような、まるで時代を飛び越えたかのような感覚に陥り暫し時を忘れてしまいます、、、いやぁ、美しい
さぁご挨拶、いやー、なんと穏やかで優しくて温かい氣でお迎えくださることか、油断すると涙が零れるんじゃないかってくらい胸が満たされていく
飛鳥坐神社 本社、御祭神は八重事代主命、下照姫命、高照光姫命、建御名方命の四柱
まさか、ここで下照姫様にご挨拶出来るとは、そして高照光姫様も祀られている、さらにさらに八重事代主様と建御名方様、なぜこうも繋がっていくのか、感謝の想いで胸が詰まります
ふーーー・・・だから私はここに来なければならなかったんだ
かなり古びた、でもとても素晴らしいな、と思ったら指定などは不明ですがHPに宝物として紹介されている麒麟欄干でした
先へ進むと結びの神石がありました、男根女陰ですね、参道からそうでしたが境内には至る所に石が置かれており、古代より石に神力が宿るという信仰が今も大切に残されているのがわかります
思ったよりも広い境内をゆっくりと巡る、この後も予定はあるのだけれど多分何とかなるのだろう、何しろここは凄い、居るだけで満たされるし居れば居るほど氣が満ちていくのがわかる、氣枯れている私には有難いことこの上ない
こちらも何も書かれておらず、HPを見ても何も書かれていないのですがもしかしたら八十萬神社だったりするのでしょうか
こちらも御祭神不明、と思ったら神狐様がいらっしゃるのでお稲荷様? そういう雰囲気もあるしそうでない気もする、今思い返しても確かにこの一角はより氣が密だったのですが
で、今見直してみれば薄過ぎて気づいていなかった、お賽銭柱に白髭神社と書かれていました!! つまり、、、猿田彦命?! ただこちらもHPには書かれておらず不明、もしかしたら合祀されてふた柱の神が祀られているのだろうか?
あっ、似ていて勘違いしていました、HPではこちらが八十萬神社とされていました ^^ ; では前の二箇所は?
そしてさらにその右手、拝殿が外拝殿のようになっているお社
もはや境内全体が、特に山上はどこも凄い御神氣に包まれていているので常にふわふわした感じで何が何やらわからないのですがこちらもまたHPに書かれておらずわからない、こんなにしっかりとしたお社なのに?!
八十萬神社と隣接はしているけれどHPの写真はしっかりと合殿だけで切られていてこちらは含まれていない
ちょいちょい調べながら軽い説明を挟んでいますが参拝中にはもちろん何の確認もしていませんので中の社か奥の社かとは思ったのですが、いやここは違う、という謎の理解をしておりました、なんでだろう?
こちらも説明は無いのですがとても氣が強い、ような思い込み
なんとなくですが、右上部分がお顔で左の方を見ている動物?のようにも見えたり、中央のぼわっと緑色になっている感じが物凄く好きだったり、とにかく惹かれる神石です
美しい竹林を背に祀られるこちらも不明、支えの石なのか、くっきりと濃く 万 の文字が書かれていますが次の文字が見えず、堂、光、當常、、、なんでしょう? 背後の竹林は崖のようになっていて下の方まで続いています
そしてこちらはお賽銭柱の文字が読めました、中の社の八坂神社と金比羅神社ですね、御祭神は素戔嗚尊と大物主神です
勝手ながら、もはや私の中では昨年からこの年末まで繋がるほとんどが大物主様のお導き、こちらにも祀られていて驚くという段階はとうに過ぎ、理由わからぬままに行かなければならないと感じる所にはいらっしゃって然るべきと受け止めるようになっていました
が、少し驚いたのはこちら、二社の間に陰陽石が祀られている
これはたまたまなのか意図的なのか
そしてこちら...は...? お社が祀られていた跡なのでしょうか、それともこちらも聖跡なのでしょうか、もう空も木も土も全てが御神氣に包まれているのでよほどの強さが無い限りは考えれば考えるほどわからなくなります
いや、まぁそんな事が分かるような能力を持っているわけではありませんけれども(苦笑)
あぁ、こちらがきっと奥の社だ
間違いない、御祭神は天照皇御神と高皇産霊神
ありがとうございますありがとうございます、こうしてこの地に来ることが出来て心より嬉しく、感謝いたします
もう御神氣に包まれ過ぎてずっとふわふわしながらも神前で思う、なぜほとんど何も調べていなかったのにここに来なければならないと感じていたんだろう、とても素晴らしいのは間違いないけれどなぜ来られた事をこれほどまでに感謝しているのだろう、勿論どんな神社であっても御縁いただき参拝出来ることには感謝しか無くいつも心からそう感じていますがここではそのレベルが格段に違う、言うなれば心から求める神々が祀られる本社よりもその想いが強い
語弊を恐れず書きますが
天照大御神は記紀だけでなく様々な記録からも高貴な神様であるだけでなく素晴らしい功績を残された神ですが数多くの神社で祀られていらっしゃる、あまりにも各所でご挨拶していることからいらっしゃって当然の神という感覚になっていたのです
伊勢の神宮へ参拝した時も正宮の素晴らしさは当然ながらもまだまだ巡拝経験が浅かったこともあり特別な何かを感じることは出来なかった、それはつまりあまりに高貴過ぎて下々の下の私などにはその御神威を感じることなど程遠い、そう思っていましたから、なぜ天照大御神が御祭神に祀られる飛鳥坐神社に固執したのかがわかりませんでした
本来は下々の民までをも照らす神なのに
そして到着した時に由緒板で本社の御祭神を見て これか!! と思っていたのですが、それよりもこの奥の社の御神威が物凄い、なんなら圧の強さで手首だけでなく薄らと頭痛に近いものまで感じる、なんだこれは!?
と、神前で暫し留まり周りを見渡していて漸く気付きました、違う! 御祭神は天照大御神と豊受大神で奥の大石に御皇産霊神(高皇産霊神のことでしょう)が祀られて(宿られて)いると書かれている?!
少し立ち位置をズラしてお社の後ろを見ると、、、大石!!
そのお姿が僅かに見えた途端にぐぁーっと頭が重くなる、嘘やん、そんなんある??
社殿脇へ進んでしっかりと拝み、ご挨拶、、、さすがに撮影はやめておいた方が、と思ったその時にすーっと軽くなった、勿論濃密な御神氣はそのままですが、あれ?撮影を許された?!(撮影禁止とは書かれていません)
失礼します
想定外だったのですが、奥の大石は男根の形をしてらっしゃいました、今こうして写真を見返すだけでも頭への圧迫感がリアルに思い出されます
ぐるりと社殿を一周、ゆっくりと拝ませて頂き、お背中のところでひと言お断りをしつつ失礼ながら大石に背を向けさせていただき社殿を囲む竹林を見上げる、あぁなんて素晴らしい御神域なんだろう
右手側に立て札がありました、こちらは正面からは見えず、氣の強さに留まって正面の札をよく見なければ奥の大石に気付くことなく先へ進んでしまっていたかもしれない
奥の社は手前が皇太神社だそうで、その並びにも石が並べられています、調べてみるとこれらの石は全て 陽石 と呼ばれ、磐代として山の神を迎えることで暖かい春の到来を祈るという信仰なのだそうです
少し周りこんで進んだところにお社、こちらは飛鳥山口神社
御祭神は大山津見乃神、久久乃知之神、猿田彦之神の三柱
恐らく歩いていた感覚的にこちらが最後のお社と感じ、総じて参拝出来た事に心から感謝をお伝えする
とその時であった、事件が起きたのは
いや、果たして事件だったのだろうか、それも定かではない
短く、でも心から感謝をお伝えしていた中ほどだった
どどどどどどどぉぉぉ...
えっ? はっ? なにごとっ?!
背後は石垣で、その上後方から重く低く、短いけれどまるで地滑りかのような音が響いた
何か落ちた?! いや、崩れた?! 嘘でしょ?!
急ぎ山口社に礼をして裏手、つまりあの謎のお社の方へ向かう
ぐるりとは回って来ていたし背後の石垣で見えはしないけれどなんとなく真後ろが八十萬神社隣の謎のお社あたりだろうということが分かった
意外とすぐに上がる道が無く本社脇まで来ると正面から人が来る、だがその人達は何も無かったかのように和やかにのんびりと歩いてくる
嘘だ、あんな大きな音が響いたのに、なんの音だろう?ってならないのだろうか? かと言って突然おっちゃん(似たような年頃のご夫婦かとは思う)が、今凄い音しましたよね?なんて来よう物なら はい? 何言ってんだこの人? ってなりそうな雰囲気でとてもじゃないけれど聞けない、変な事言う人に会った、などという負の想い出をこんな素晴らしい神社で作って頂きたくはない
尋ねたい気持ちを抑え込み、本社に変化が無い様子を確認しつつ白髭神社~八十萬神社を確認するけれど当然、なにもない...
強いて言えば、その前の広場?にちょっとだけ大きな枝が落ちていたけれどさっき通った時もあったのか無かったのかお社側に気を取られていたので気づいていなくても不思議はない程度の大きさなのでこんなものであんな どどどどど なんて音はするはずがない、せいぜい どすっ くらいには音がするかもしれないけれどあんな大きな音では響かないだろう
あれ? こんな黒い円あったっけ? とも思ったけれどやはりお社や凄く氣を放つ謎の石に気を取られていただけで視界の中に捉えていた記憶があるような気もする、っていうかこんなのが突然出現して どどど なんていったら落雷じゃないか
空は、というと確かに雲はあるけれど雷が落ちるほどではないし万が一そんな距離で落ちたら例え小さくても ビシャーン バリ-ン ともっと異なる音がする(間近に落雷の経験は何度かある) っていうか雲の真ん中がポッカリ空いてる...
ではまさか...と謎の外拝殿がある社殿を隈なく見る、、、がやはり変化は無い、なんなら先程も見下ろしたその並びの竹林(ちょっと崖のようになっている)も確認するけれどつい先程見たのと変わりは無い程度に倒れた竹があるだけである
そもそもこちらが崩れたんだとしても先程からそこにあるように一、二本が崩れたところで他の竹に引っ掛かって止まるので崩れ落ちることはないし音も ザザザザザッ になるだろう、絶対に違う
音は山口社にご挨拶している時に完全な真後ろから響いたのでそこの木々も見たけれど似た理由でここで何か落ちたのならば どどど ではなくざざざ にしかなるまい
ここまで来たら、とそのまま音の位置からは確実にズレているけれどもう一度中の社、奥の社と周り山口社まで戻ってきたけれど注意深く観察してきたのに何の変化も無かった
あの音...そうだ、身近で例えるならば積もった大雪が屋根から雪崩落ちた時の音に近い、そのくらいの音だったのである
いったいどうなっているんだ...
山口社正面(ご挨拶している時の背後)の石垣がこちらである、紛れもなくこの上から どどどどど と何かが大きく崩れたような音がはっきりと聞こえたんだけどなぁ...でもあんな音がする山崩れとかだったら境内の反対側だったとしても少しくらい足元も揺れるよな
うーん、遠雷でも聞こえたのだろうか、そうだ、遠雷だったらあんな感じで低く長く轟いても不思議は無い、きっとそうに違いない
と暫く耳を澄ませて見たけれど全くそんな気配はない、あまりの事にアプリを開いて雷レーダーを見たけれど近隣一帯、雷どころか雨すら降っていない
今でも鮮明に思い出せるあの音はいったいなんだったのか...
山を降り、深々をお礼をして、、、と、何も無さそうなのに飛鳥井の奥の方から呼ばれている? と進んでみるとまさにその位置の木陰から石碑が見えた、え?! と思ったけれど普通に 筆塚 と書かれている、ありゃ? それに見えもしなかったのになぜ呼ばれた?
と思ったら今度は頭上から ブルルルルルルルルル と音が響く、明らかに先程の凄い音とは違って軽いけれど物凄く小刻みの音、なんだこれは?! と上を見上げると真上でヒヨドリが凄い勢いで下半身?をブルブルブルブルッと振るっていたw
写真を撮ろうとしたら、思わず 何してんのー!w と声を出してしまったからか少し斜め奥へ移動してしまい、再びそこで何度か ぶぶぶぶぶぶぶぶっ と振るっていたけれど上手く撮れなかった(>_<)
ん? ほんで、なんでこっち呼ばれたんだろう?
ちなみに筆塚の前に筆ではなく小さな丸石がたくさん供えられているのが不思議だったのですが、こちらは産石といってよくある安産祈願なのですが産後の初宮詣にて子の名前と生年月日を記入し握らせてから神前に供えて末永く見守っていただくそうです、勤勉聡明に育つようこちらに供えられているのかもしれません(*´ω`*)←違う意味の石だったらすみません
あとやはり気になっていろいろ調べてみると、個人の方のHPなどの情報ですが八十萬神社に隣接していたお社は八幡神社で途中、手前に祀られていた合殿は摂末社とされていました
いやー...凄かった、凄すぎた、あまりに凄すぎた、そして不思議がいっぱいだった...
さて、では本日最後の、、、とスマホにナビを出しながらふと看板の方を見ると社務所は駐車場奥に、という張り紙が目に留まった
うん、そうね
というわけで御札をお迎えさせていただきました
え? もうひとつの袋? これがね、自分でも意外だったのですが、ひと目見てお迎えしなければならない、って思ってしまったんです
そう、私が半ば頑ななまでに頂かないようにしている御朱印です
その御朱印がこちら、縫の鏡
御神鏡の本当の意味(一説ですがw)を知ってからというもの、我が家の神棚は簡易的なので御神鏡を置くスペースが無い、だけれど置きたい、ただ手軽で小さく便利とはいえなんかしっくり来ないものを置いても意味が無い、、、と思っていた私の心にストンと刺さったのです
あまりにもアレだったので御朱印について自分語りをしたくなりましたがそれは後述の後述にてw
そして色々調べ続けているとなんとこちらの御朱印は昨年晩夏より領布が始まったばかりで、それはこちらの大御神鏡が鋳造として日本最大だとされた事を記念したものだそうです、そのサイズはなんと122cm260kg!!
で、でかい...( ゚д゚) 紙と糸ではありますしそんな事を知らずでしたがその御神威を受けた御朱印だったからこそ天照大御神様が頂いて帰るよう導いてくださったのでしょう(と思いたいw)
天照大御神の御魂が宿り伊勢に鎮まる八咫鏡はヤタ、この八尺を昔の数値に換算すると鏡は147cmだと言われています、神代ではもう少し違いがあるかもしれませんが、鏡は人々の全身が映るよう八咫にされたという話がありますので120cmもある大神鏡はそれに匹敵するか同サイズということになります
いつ頃作られたものなのでしょうね...?
一般的には八咫鏡は46.5cmほどだったと言われていますが神宮や宮内庁の正式発表というわけではありませんし、火災によって喪われており現在は改鋳もしくは新鋳されたものという説もありますが、浪漫を求めたい私としては偉大な神だから動かせないだけでなく147cmもあって天皇の行幸に合わせ動かす事が非現実的だったという方に考えたいですね
だって、姿の全てが映るよう国民の身長に合わせて八尺で造られたなんて物凄く素晴らしい話じゃありませんか(*´ω`*) それこそ、国を知らす神ですよ
さて、、、やや寝不足気味だったのは新幹線で寝てある程度解消していたとはいえなかなかハードに動いて来て時既に15時、にも関わらず驚くほどに疲れが吹っ飛んでいることに驚きつつ、初日最後の目的地へ向かいます!!
っていうか、初日だった?! それにまだ先がある?! いやぁ、、、今回の巡拝、社数はいつもより少ないはずなのにもの凄過ぎるんだが...w
では、後述扱いで神社と御祭神について調べていきます、後述としたのは勿論、今回ばかりはいつも一定の線引きをしているホツマツタヱと絡めて考えざるをえないからです
HPの御由緒でも創建は定かではないとしつつも御祭神については、大国主の第一子事代主神は国譲りの際に八十萬の神々を天の高市に集めて天に昇られ「首渠(ひとごのかみ)」、つまり統率神として称えられていると書かれています
そう、記紀にはそのような事は書かれていません
また、出雲国造髪賀詞には事代主の御魂を宇奈堤に坐せ、賀夜奈流美の御魂を飛鳥神奈備に坐せて皇御孫命の近き守神と貢り置きて、とされているという
記紀をメインにお考えの方には意味不明となりましょうがホツマツタヱにおいては、大国主の第一子とはクシヒコで初代事代主、後に大物主となり皇孫ニニキネ(ニニギ)の文字通り右腕となって諸臣を纏め各地の開拓に尽力したとんでもない神なのです
創始は不明ながら古くは673年の記録があるといい、829年の神託により高市郡賀美郷の神奈備山より現在の地 鳥形山へ遷座されましたがこの山は天照大御神が伊勢に鎮座されるまでに一時祀られたことから元伊勢と呼ばれ、その名残が奥の社だとされています
...元伊勢だった...?!Σ(゚д゚;) そ、そりゃぁ凄い御神威溢れる山で且つ奥の社が凄かったわけだ!! これを最初の石柱や由緒板にあった元伊勢の字に気付いた上で参拝していたらどうだったのだろうか、凄い凄いと思いながら参拝しても果たして同じように感じられたのかどうか
あと、宮中から出て最初に祀られたのがこの鳥形山だったとする説もあるようです、確かに感覚ではこちらが物凄かったのですが、、、折衷するならば檜原神社は一旦鎮まった地でその後鳥形山では鎮座という形で祀られたとすればどちらも 最初 にはなりますね、まぁ一説ですから(。-_-。)b
ちょっとまだ先も書きますがこれは「知らずの参拝」からの答え合わせで過去最大級の、いや、級じゃない、最大の驚きであります、関係性など無いと思っていたものがヒクほどに何から何までが線になって繋がっていく...もし他人の書いたものとして私がこのブログを読んだとしたら、いやいや実は知ってて行ってるんじゃないの?(。-∀-)ニヤリ と思うでしょうw
でもこの事実を知ったのはついさっき、たった今ですから一番仰天しているのは私自身です...この記事を書けば書くほど参拝当時の感覚を思い出し、さらに調べる事実がそれをあまりにも後押ししてくるので今朝はバシッと氷が張るほどの寒さだったのにそんな事も感じることなくずっと胸をバクバクさせながら書いていますw
さて、御祭神についてですが、まずHPにおいては下照姫はその御魂である加夜奈留美命と共に祀られ飛鳥神奈備三日女神として鎮まっておられ、事代主神の妹神で皇室御守護、国民をあたたかく照らすと書かれています
高照姫は御利益のみが書かれ、建御名方命は大国主の子、そして高皇産霊神あ天照皇大神と共に天上界を主導される造化三神の一柱と書かれています
さぁ、そろそろ混乱してきましたね、そう、こちらには高皇産霊神と天照皇大神を奥として祀りつつ、出雲系の神々がガッチリと祀られているのです
慣れない方にはさらに頭が大混乱になるかと思いますがホツマツタヱにおける関係性(しかも解読に諸説ある)を簡単に列記します
クシキネ(大国主)がアマテル(天照)の娘タケコを娶って産んだ子がクシヒコ(事代主)・タカコ(高照姫)・ステシノ(味耜高彦根)
ステシノが妻としたのがアメノワカヒコの姉オクラ姫(下照姫)
高照姫と下照姫は共にワカヒメに仕えていました、このワカヒメはなんとイザナギイザナミの長子であるヒルコです、ヒルコは跡を継げる男子ではなかった為に川へ流すという禊をさせつつその後すぐに保護して育て、やがて重要な役割を担っていくことになります
ヒルコが未熟児で流されたというのは第二子の話と混同されているというわけです、と全て説明していくととんでもないことになるので戻りましょう...って、待って?!?! 今気が付きました、まだまだ先が見えていないのになぜ先駆けて年末からホツマツタヱ読み解きの記事を上げていくことにしたのか、なんなら年末大巡拝の記事も終わった頃に上げていこうと思っていたのになぜ先走って上げることにしたのか、理由としては一度上げたからには間が空いても最後までやれよという自己圧力ということにしていましたが真相は自分でも謎だったのです...そうか、ここで必要だったのか
待って待って、確かに既に読み解いて記事にした部分だけれどこの記事より前にそれがアップされるのか?と既に日程まで予定している読み解き記事を確認してみたところ、この記事よりも先の予定になっていましたまだまだ未熟ですがそちらもご確認いただければm(*_ _)m(一応、2月半ばまで全てスケジュールが出来ているのですがw 何が都合が変わって逆転してしまったらすみません)
ちなみにアマテル(天照)に教育を施し支えたのはトヨケ(高皇産霊)で、自分をトヨケの傍に祀るよう願ったのはアマテル、そう、豊受大神は天照の食事係ではなく育ての親であり師である高皇産霊だということになります
こういうところなんですよ、ホツマツタヱがただの偽書と断ずることが出来ないのは、記紀からは関連性の読み取れない神社の由来や御祭神の意味が書かれているんです
ただし、ホツマもまた現実(発掘調査などの証拠)と異なる部分もあったりしてそのままそっくり信じる事は出来ず、各地や各社固有の伝えを併せて創作されたものである可能性もあるわけですが、各地の伝承に基づいているならば大筋は真実ということになりえます(。-_-。)b
元鎮座地とされる神奈備について調べてみたのですが完全な比定とまでは行かないようで有力とされる山やその説に押されてはいますが可能性の高い別の山もあるようです
御神託とはいえ何故遷座されたのだろう? もしかしたら、ですが創建は古ければ630年頃よりも前、都の守護として創建されたとすれば奈良時代のどこかの段階で創建されたと考えられますが694年に藤原京、710年に平城京、さらに794年に平安京へと都が遷っていったことで城の守護としての役割が無くなっており、勢力地の変遷などの理由もあったかもしれません、元伊勢である鳥形山へ遷されたとも考えらます
また、なぜこの山だったのかといえば、、、って、どこいったぁぁあ? 検索ページを残しておいたはずなのにどれだけ探しても見付からない...これは後で絶対使う!けど全部読むと情報がぐちゃぐちゃになる、と後回しにしてしまった事を後悔...だって違う事を追っている時だったんだもの(´;ω;`)
カヤナルミだったかシタテルヒメだったかタカテルヒメだったか、それによってどの段階だったかまで変わってしまうのですが御魂が鳥となって飛び立ち舞い降りた地を鎮座地としたというような話を見たのですが(>_<)
また、加夜奈留美命神社が元鎮座地ではないかとする説もありまして、そちらでは葛神とも呼ばれた加夜奈留美は高照姫であるとされる事が多いようです、そうなればより話が繋がる
もしかしたら鳥形山へ遷る時代には既に高照姫と下照姫の混同が始まっていたりするのかもしれません、とすればさらにその後で編纂された記紀でもごっちゃになっていたのも頷けます
後述の後述(上述と被る部分もあるかと思いますが)
御札は特別な想いや御縁があればお受けする、でもそうでなければどれほど素晴らしい神社であってもお迎えしない、それはこれだけ巡拝していると神棚が大パニックに陥ること間違いなしだからである、これは我が家に神棚を備えたその時からの自分自身での約束事である
ただし御朱印については御札と違って頂きやすい、だがそれが良くない
私の巡拝は時には早朝に始まり夕方に終わる、夜に参らせて頂くこともあるのに御朱印集めをひとつの目当てにしてしまったら、とんでもなく素晴らしい体験をした神社にも関わらず御朱印が無い、ということを悔やむようになってしまう自分の性格をわかっていたからです
その鉄則(そこまで厳密に決めたわけではありませんがw)を初めて崩したのは意外にも深大寺でした
偶然参拝した時に鬼大師の御開帳が行われていました、私は角大師様が大好きなだけなので特に興味は無かったのですがなぜか凄く気になったのと偶然にも並ぶ人が少ない、調べてみるとコロナ禍収束を願って205年ぶりの御開帳だという、そんななの?!
そして拝観すると小さくも生きてらっしゃるとしか思えない、夜になれば普通に動いているのではないかと素で思えるほどの凄さでこれは特別御朱印を頂かずにはいられない、それにほら、205年ぶりなんだからしょうがないよね、っていう逃げ道もありましたw
次にお迎えした御朱印は御所の葛木御歳神社でした、もう嘘でしょ?としか言えない状況なのですが、、、境内に15分ほど居て何も無かったのに最後に賽銭箱脇のレターケースを開けていき最後の棚を開け御朱印を見たその時、チリリンと音が鳴りはじめる
え?は?なんの音?と思えば拝殿に風鈴が提がっていたのである、簾(というか防温何かのビニールシートだったかも)に紛れて全く気付かなかった、ケースを閉めると音がピタリと止む...え? 再び違う棚を開けていくも音はならず、また御朱印の棚を開けると音が鳴る、閉めると止むいやいやそんな偶然...
再び開けるとまた鳴り、御朱印を手に取ると音が止む、あれ? それを棚に戻すとこれまでより強く鳴る、暫くして再び御朱印を手に取るとまた鳴り続ける、いやこんなんありえへんやんか!! もう連れて帰りなさいと言われているとしか思えない!! というわけでお迎えを決めると暫しお話をさせて頂いた間もずっと綺麗な音色を奏で、お礼を伝えて石段を降りるとピタリと止み、社殿の見えない位置で耳を澄ませ続けたけれど、もう風鈴が鳴ることはなかった
そして今回が三枚目、神社としては二枚目の御朱印でした
余りにも悩むことなくスムーズに頂くと決めた自分が余りにも意外に思ったのですが、参拝日を記入していただいている間に気が付きました
そう、境内社も含みますが、天照大御神、高皇産霊神、事代主命、高照姫が祀られており飛鳥坐神社と重なるのです
そしてあの時の事がハッキリと甦る
御朱印を頂いてから退出するまでずっと静かに音色を聞かせていた風鈴がピタリと止まった時、それは私が「高照姫と下照姫が同じ女神で、味耜高彦根は事代主で天稚彦は饒速日で…」と当時思っていた勝手な考察を口にした直後であり、あまりの止まり方に考察が違っていると悟り謝罪しつつこれからもっと調べますと言ったところからまた鳴り始めた事が
今回はそういった確認をする術も無かったのですが、今の私の考えはもう違う、下照姫と高照姫は別の女神だし味耜高彦根も事代主も大物主も別の神、ただし関係性はとてもとても深い、そう思っています
そう、葛木御歳神社で御朱印を授けてくださったのは高照姫様、そして飛鳥坐神社で御朱印を授けてくださったのは下照姫様だ、と
そもそも余りに凄くて御札をお迎えする事にしたわけで下照姫が授けてくださった、という明確なものは何も無いわけで都合の良い思い込みだとは思いますが(苦笑)
それに御神鏡と元伊勢、そして奥の社での事を考えれば、まさかの天照大御神様が授けてくださったと言う方が有力でしょうか
勿論、だったらいいな(*´ω`*) という程度の妄想ですけれどもw
いやーとんでもない長さにしてしまいました、誰がこんな長ったらしぐだぐだした記事を読むだろうかw って、ここを見ている方は読んでくださった方ですよね、ほんといつもいつも申し訳ない&ありがとうございます
こうなってしまうくらい、凄かったんです
さて、なんとこの記事が神社参拝に限った600番目の記事となりました!
いやー、特に意味のある数字という訳でもありませんが、100刻みの区切りとなる記事にいったいどの神社が当たるのだろうと思っていたら飛鳥坐神社となりました、そして記事を書いていたらこんなことになりましたw
内容に乏しく勝手な妄想ばかりなブログですが、お陰様で細々と続けられております
いつもお読みくださる皆様、たまたま検索に引っ掛かった皆様、ほんとうにありがとうございますm(*_ _)m