どうも、ひのきですm(*_ _)m
さて、安房口神社から35分ほど歩きましてこちら、西叶神社です
こちら、有名なようで私も以前職場の人から聞いたことがあったのですが自分が来るとは思っていませんでした(*´ω`*)
折角浦賀まで行くんだから、といつもの地図で神社検索をしたら表示されまして、あーーー聞いたことある! となったわけでございます
石段を上がって右手に手水舎と御由緒があります
いやー、来る前に願いを叶える神様とはどなたなのかと御祭神を調べたら八幡様なんですね!! その時に多少知ってしまったので今回はご由緒を先に(。-_-。)b
平家の横暴ぶりに頼朝の勝利と源氏再興を願った文覚上人が霊山 鹿野山で願いが叶った暁には神社を建立すると願いを込めた修行を行い、大願成就の予兆を得た1181年に自ら京都へと向かい鹿野山対岸となるこの地に石清水八幡宮を勧請、1186年にその大願が成就したとされ叶大明神と呼ばれるようになったのだそうです、1186年は奥州追討にも目処が付いた頃という感じでしょうか
なるほど!! そして対岸には東叶神社がある、東西に別れた理由は浦賀港の入江を挟んで行政区が分けられてしまい、それでも住民は叶大明神を崇敬していたことから分霊されたんですね
実は...二社併せた参拝で願いが叶うとはまたなんと、という先入観を若干持っておりましたので、それもあってこちらは事前に調べたのですがなんとも崇敬神篤き理由じゃないですか、素晴らしい
それでは、ご挨拶!! いやーとても気持ちの良い境内です
御祭神は誉田別命、比売神、息長足比売命、相殿に天照大神、食保神、大己貴神、少彦名命、火産霊神、白山比売命
比売神とは景行天皇の孫娘である仲姫命のことで調べるとこのさん柱でよく祀られていると書かれていたりしますがどちらかというと仲哀天皇である方が多いような気がします
ちなみに仲姫の同母姉妹である高城入姫命と弟姫命も妃になっていたんですね
私のお宮参りがされたのも八幡宮でしたので八幡様は産土神様としてご挨拶するととっても胸がスッキリします(*´ω`*)
いやー、にしても素晴らしい彫刻ですね
天井にも龍彫りがいっぱい
振り返れば建物の上に少しですが浦賀港の入江が見えます
さぁこれ、実は(大袈裟に)奇跡の一枚なんです
実は肉眼ではまーったく気付いていませんでしたが狛犬の後ろ、玉垣の裏に隠れ狛犬が掴まっていたんですw 反対側にもあったそうで、この時しばらく拝殿前に居たのですが遠くばかり見ていて気付かず、後で知って写真を見返したらこの一枚だけに写り込んでいたんですw
これぞ下調べゼロによる見落とし! からの偶然w
境内右手、社内を覗くとやはりお稲荷様でした、こちらは老山福寿稲荷神社で1726年勧請とのこと
左手のお社は不明でしたが調べると1844年勧請の武雄神社で武内宿禰、武雄心命、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀るそうです...武内宿禰!! そして武雄心命は一説では孝元天皇の孫で武内宿禰の父神だと言われているようです(奥にお狐様がいらっしゃるのが気になる)
そしてこの階段は...どこまで登るか危険な気がする...けれど金毘羅大権現と書かれていちゃー行かねばならぬ!!(でなくとも行くけれど)
上がってみればそれほど上ではありませんでしたがこの石段がもう一本、そして上の方は石段が手前側に少し傾いており特に降りる時は手摺り必須ですがユラユラと揺れて心元無いので足元の滑る雨天や雨上がりは十分注意してください
こちらは1726年だそうで全体的にどちらの境内社も住民の方々が勧請されているという浦賀村民の想いが詰まった素晴らしい神社ですね
降りて来ると拝殿本殿が見えます
そしてこちらにも境内社、本殿脇がごちゃごちゃしているのは残念ながら左手の岩窟に祀られる1626年勧請の福寿弁財天が社殿補修で入れなかったからで完成までは主殿に祀られているそうです
右手の四社合殿は1630年勧請の三峯神社、1739年勧請の船守稲荷神社、叶神社より前から祀られ元鎮守とされる大鷲神社、そして1724年勧請の淡島神社
なんと元は大鷲神社が鎮守様だったんですね、大鷲神社の御祭神はさまざまですが土地を考えると日本武尊でしょう、こちらに滞在されたとか由来があったのだと思いますが不明です
そして西岸叶神社といえばこちら、勾玉!!
三色ありまして無色透明のクォーツ、ピンク色のローズクォーツ、そしてこの緑は ヒスイ とされていますがインド翡翠と呼ばれるアベンチュリンですね(後述します)
西で勾玉をいただき東で御守袋を頂いてセットになるんだそうです(*´ω`*) 私にはそうして願う事が思いつかなかったので頂く予定ではなかったのですが、こちらの神社に込められた人々の想いに触れ、そして 恋愛に限らず人生を豊かに過ごすための人との良縁を という言葉が胸を打ったからです
昨年末からこの一年を過ごす指標としたのは 我唯知足 でした、それはそれはなかなか難しく考えれば考えるほど自虐で負の感情へと向いてしまう、頑張って真っ直ぐ捉えようとしても今度は諦めにも似た状態に陥ってしまう
白山比咩神社の川濯様での仏様のお言葉などもあってどのようにしたらこの想いを真っ直ぐに噛み砕けるのかと四苦八苦した一年とちょっとでしたが、ここに来て漸く、でも満足出来るほどではありませんが少しだけ分かった気がします
さてその想いは胸に残しつつ来年はどういう年にしよう、と思っていたところで目にした言葉から 残る人生、心を豊かに と思ったからでした、いやー前向きですね、うんうん(自画自賛)
このまま来年の指針になるのだとしたら、より相応しい言葉や何かのキッカケが訪れるでしょう、出なければまた変わるかもしれませんけどね(´>∀<`)ゝ
再度拝殿前へ上がり、勾玉を胸に 心豊かな日々を送れるよう精進します と感謝を告げると、、、あれ? 当たるか当たらぬかわからない程細かな雨が...
そして東岸へ向かおうとしたらこんな場所が
これはなんだろう、巨大な井戸なのだろうか、背後のパネルには文字も無く不明でした
さて、チラッと後述です
天然石を使用した御守りを様々な神社仏閣で見掛けます
先に断っておきますが、神職様方は石の知識があるわけではないでしょうからやむ無しだとは思います、そして俗に言えば本翡翠だったらそのような初穂料で領布するのは無理ですから騙すといった気は全く無く、神前で御祈祷もされている御守りですから御神威は宿っていると思っています、これは絶対にお間違い無く
天然石を使用した御守りは神社仏閣で良く見かけます、私も石が好きなので特に感じたものがあるとお迎えするのですが、やっぱり少し心に引っ掛かるのです
緑色をして翡翠とされているものはほぼ間違いなくアベンチュリンという鉱物で石英の中にキラキラした鉱物が含まれるものですから天然石ではあります
ではなぜ翡翠と言われるかといえば、主にインドで算出され色が翡翠に似ているからと インド翡翠 と呼ばれたんですね、そこからインドが取れてしまってヒスイと呼ばれるようになってしまいました
つまり、翡翠ではない、これは硬玉ジェダイトと軟玉ネフライトがどちらも翡翠と呼ばれるけれど所謂本翡翠は硬玉のことだというのとちょっと似ています、ただし宝石や鉱物の価値としては全然変わってしまいます
そう、つまり宝石や鉱物としての価値は変わるけれどそれぞれに魅力があるわけで価値、即ち価格を誤魔化すわけではないのだから個人的には便利な名前を使わず正しい名前を使って頂きたいわけです
でもやっぱり翡翠という名前の方が通りが良いということでそっちが使われてしまい、その勧めのままに採用されるんだろうなぁ、とその流れは理解出来るので一々嫌な気分になったりクレームを入れる気は一切ありませんし、アベンチュリンも好きなので喜んでお迎えします(*´ω`*)
これを 翡翠なんです!! と胸を張ってしまうと知る人には「あー・・・」と思われる場合があるので、一応知っておいてくださいねー程度なので石好きの民として後述させて頂きましたw
ちなみに天然石屋さんを謳っていて数多くあるその辺の曖昧さをそのままにされているお店があったとしても私はいちいちクレームを付けたり他の人に告げ口をしたりはしません、ただそのお店では石を買わないし人にも勧めないだけですw