どうも、ひのきですm(*_ _)m
本日はこちら、御香宮神社です
奈良から京都へと移ってまりました(*´ω`*)
御所から宿を取ってあった京都へ戻る間にどこかを巡れないか探していたのですが次に参る神社の近くになんと素晴らしそうなこちらを発見したのです
御祭神が神功皇后で御香宮とはなんとも華やかでお水も有名だという情報だけで参拝を即決しました(*´ω`*)
桃山御陵前駅から歩いていくと美しい扁額が掛けられた大鳥居
とてもあじのある御由緒板です
いやー、とっても素晴らしい門ですね
こちらは大手筋にあったという木鳥居の基礎石
左手には門があり、、、って巨大な狛犬!!
こちらは伏見義民と呼ばれる命をかけて悪奉行から伏見町民を救った七名を称える碑
こちらは大杉社、お社右後ろの御神木を祀るお社でしょうか
祖先が菅原道真公であるとして前田利家が屋敷に建て祀った天神様で廃城後に観音寺を経てこちらへ遷座されたそうです
撫で牛は石製です
いやぁ、素晴らしい風が吹いています
前田家が菅原道真公の子孫だとは知りませんでしたがそういえば前田家の家紋は梅鉢、調べると南光坊天海より源姓を勧められても頑として菅原姓を選んだり北野天満宮へ50年毎の太刀奉納を江戸期中欠かさなかった大名家は前田家だけであるなど近年の研究により名乗っていただけではないと見られているそうです
こちらは紅梅殿、白太夫者、老松社
奥には厳島社が、、、と思ったらお稲荷様です
手前に鎮座されているこちらが厳島社でした
この左手に散乱しているのは伏見城跡の残石だそうです
やや暗くなって来たのが逆に雰囲気最高、美しい
ちょっと見かけないタイプの手水舎、、、とても好きです
伏見の戦跡? なんと知らなかった、薩摩藩はこの素晴らしい御香宮に陣を敷いたんですね、、、なんてこったい、傷つかなくて良かったというかある意味で神功皇后を盾にしたのか?(怒)
年末の陽は短い…もうギリギリ日没前
それがさらに美しさを際立たせる、、、本当に美しい
なんですかこの美しさは!!!
いや、こちらね、表門を潜ってからずっとなんですけど拝殿、つまり境内の中心に近付けば近付くほど物凄い癒しの氣に満たされているんです、とにかく凄い
そしてこちら、門かと思ったのですがここから既に拝殿という扱いになっており通常参拝でも拝殿内からご挨拶できる形なんですね
提灯が並び、その先には本殿が、、、意図せず日没間際になりましたがこの美しさと人の少なさは御神氣を頂くのに最良でした
ご挨拶を始めるととても涼やかな風が通り抜けます
御祭神は神功皇后 息長足姫命 ですが相殿に応神天皇、仲哀天皇、仁徳天皇、高良大明神(高良玉垂命)、宇倍大明神(武内宿禰)、瀧祭神(五十鈴川の水神)、河上大明神(神功皇后の妹君 與止日女命)、応神天皇の御子とされる菟道稚郎子尊、そして白菊大明神(天太玉命)が祀られているとされています
最っ高に気持ちいい!! ほんと、ずーーーーーっと居られる!!
もし写真だけでも何かが感じられたという方は是非、近くに宿をお取りになって早朝でも夜間でも存分にこの御神氣を頂くと凄く良いと思います
境内社を巡った後もまた神前に戻ってきたりして結構のんびりしましたが、ほんと、御香宮、イチ推しです!!
お賽銭箱の左手に御香水が流れていますがこちらは濾過されておらず飲用不可とのことで触れてみましたがびっくり、少し温かい、そして手触りが柔らかい気がするのは思い込みでしょうか
貞観4年、993年に境内から水が湧き出しその香りは四方へ漂い、この水を飲むとたちまち病気が癒えたことから清和天皇により御香宮の名を賜ったそうで、それまでは御諸神社と呼ばれていたようです
御安心ください、その左に濾過されて流れる御香水があります
伏見七名水のひとつであり、日本の名水百選にも数えらるそのお味は、、、やはり少し温かく、そして滑らかで美味しい!! 香りという香りはわかりませんがこの御香水で日本酒を作ったらそれはもうとろりとして美味しくなりそうな(*´ω`*)
ちなみに取水出来るのは7~19時とのことなのでご注意を
そしてぐるりと回るとなんと美しき御本殿でしょう
本殿右手には御香水の石碑と井戸がありました
本殿右前には安産乃社の碑と銅像
神功皇后と言えば妊娠したまま自ら軍を率いて朝鮮へと渡り三韓征伐を成し遂げ、帰国後に無事誉田別命を出産したという伝説から勝負の神だけでなく安産の神様としても崇敬されています
そしてここまで来て気付きました、垣内に青く素晴らしい青灯篭が左右に立っていました、いやー、間近で見たいほど美しい
本殿左右にびっくりするほど大きく育ったソテツ
所謂御神木ではないのに物凄く力を感じるのが不思議だったのですが調べてみると、南方系裸子植物にも関わらず冬は寒い京都にあっては絶対必要な保温の覆いをしなくてもこちらのソテツは活き活きと育っているのだそうです
暖冬とはいえ陽も落ちてきて結構な寒さになり始めた中、御香水の不思議な温かさが頭に浮かびました
こちらは絵馬堂
こちらの四社殿は扁額の太文字がぼやけてしまって読めませんが所々に八幡、夢、大明神と読め、一社は八坂社ですね
明治天皇による京都豊国神社再興の勅令を機に1873年に稲荷社の北側へ創建されたという豊国社、豊臣秀吉を祀ります
一際存在感の違うのがこちら
拝殿に多くの額が掛けられています
御香宮境内全体が癒しの氣で満ちている中、ここだけが凄い重厚感で何事かと思ったら1694年に創建された大神宮でした
公式HPには書かれていませんが、勝手な感覚で恐らく天照皇大神だけでなく豊受大神も祀られているのではないでしょうか
本殿裏にはこちら六社殿
春日大明神、天満天神、新宮、熊野社、そして那智? 最後は不明
本殿左手、こちら稲荷社は1710年の創建で菊姫大明神と源福大明神を祀られます
お稲荷さんは宇迦之御魂命ですが勧請した主が各々に想いを込めた〇〇大明神とするのが通例ですし、後々に由来がついて〇〇大明神と呼ばれるようになるのでなかなか判断が難しくなりますが、基本的には全て宇迦之御魂命としてご挨拶すれば問題ありません
お顔がとても愛らしい神馬舎
そして清浄な空気感が強いこちら、創建不詳という厳島社で区画整理により現在地へ遷座されたそうです
池後ろの森から輝きが、と思ったらギリギリの夕陽が(*´ω`*)
こちらは1891年建立とのことで東末社の山祇社だったという松尾社、遷座前の創建はもっと古そうです
狛犬さんの表情がとっても素晴らしい(*´ω`*)
お社の彫刻もお酒ですね
あれ?こちらは?
神さんがいらっしゃる場所かとも思ったのですが左手に石の基礎があるのでお社が祀られていたか今後遷座予定の場所でしょうか
驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか、私は驚きました、滅ぼされた秀吉公と滅ぼした家康公を同境内に祀る神社は多くはないでしょう
創建から1961年までは大神宮の東に鎮座されていたそうなので東に家康、西に秀吉と祀られていたことになり、豊国社が現在地へ遷り東照宮が西へ遷るまでの34年ほどは目と鼻の先に祀られていたことになります
豊臣・徳川両家から篤い崇敬と寄進を受けていた御香宮だからこそということでとっても良いですね、天上界で昔を詫び、許し、酒を酌み交わしながらこの国を見守ってくださっていると信じています(*´ω`*)
そしてこちらが裏門でございます
初期の歴代天皇は神降ろしが出来る巫女家系を最優先(むしろ絶対条件)に皇后を迎えており神功皇后も数々の神託を受けるなど巫女としての事績の伝えが多く、その神託を信じなかった仲哀天皇が崩御されると自らが神託により熊襲を討ち、誓約を行い三韓征伐を成し遂げ、さらに誉田別命の危機を早期に察知しその難を逃れ、その即位まで政務を執り行っていたことから聖母とも呼ばれています
やや伝説寄りの伝承もありますがその事績は素晴らしく、また権力を求め自ら女性天皇になることなく摂政として国を導き住吉大社にも祀られるなどとても人気があり私も大好きです(*´ω`*)
研究上で実在するとされている天皇は初代神武天皇説、10代崇神天皇説、15代応神天皇説、16代仁徳天皇説、26代継体天皇説など様々ですが実在が否定されている理由のほとんどは在位年数や事績が現実的ではないという理由です
ですが神功皇后においては近年の研究により実在性が少しづつ高まっているようで、今後の更なる調査が楽しみです(*´ω`*)
由緒によれば、元々の祭祀は不明ながら神功皇后が祀られており、その後に御香水が湧き出したというのでこの御神域に満ち溢れる素晴らしい氣は決して御神水のお力だけではないでしょう
勿論、それぞれの個性と素晴らしさがあるわけですが、ちょっと御香宮は群を抜いて相性が良いかもしれない、、、私の崇敬する伏見稲荷さんに匹敵するほど凄かった
今回の巡拝は奈良でバス移動があったのでいつもより歩く距離が短い、とはいえ夜明け前から起きていたのと各社での御神氣あたりと言いますかw やっぱり夕方にもなると疲れていたんですよね
ただ、裏門を出て歩き始めた時に気付きました
疲れがびっくりするほどに吹っ飛んでいることに
(桃山のとび太くん)
それが御香水によるものか御神氣によるものか、はたまた思い込みがそうさせたのか、、、その結果はその後に(*´ω`*)
少しでも近くに住みたい、そう思わせるほどに素晴らしい御香宮、是非ご参拝ください!
ひとつ気になったこと
高良玉垂命は諸説ある中で武内宿禰説があるのですがこちらでは宇倍大明神として祀られている、、、つまり、玉垂命が武内宿禰である説はもしかしたら違うのかもしれない
と調べてみるとやはり藤大臣の正体は謎のまま、、、説を唱えてらしゃる方もいるようですがその人物を検索すると神として別の説で登場されている
勿論、別々の名によって同じ神が重ね祀られていることもよくありますが、なんとなく、こちらは違うような気がします