日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

平和大鳥居 旧穴守稲荷神社大鳥居

どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日はタイトル通り、神社ではなく鳥居です


羽田の大鳥居


羽田空港のすぐ傍、多摩川の河口脇に大きく聳える朱の鳥居、その先に神社はありません

この鳥居には多くの人が耳にしたことのあるであろうオカルトのような都市伝説があります


この鳥居は穴守稲荷神社の一之鳥居として京浜電鉄より昭和4年に奉納されました


この辺りは穴森として観光地になっており、いま羽田空港がある場所は穴守稲荷神社と住宅地があったそうです

戦後、GHQによる強制摂取が始まり、この地区も24時間以内の立ち退きを言い渡されました

とても無理だと交渉するも48時間に延長されたのみ、住民は身の回りの物だけを集めて出ていくほかなく、神社もまた1万基以上とも言われる鳥居や多くのお狐様を残し、御神体と移動出来るだけのものを羽田神社へ一時避難するのが精一杯だったそうです


ここからが有名な話

その当時の大鳥居は今の場所ではなくもっと中央にあったそうです

GHQが社殿、鳥居、住宅など全ての建築物を破壊し、そしてこの大鳥居を撤去しようとした時

鳥居の上でロープ掛けをしていた米兵が立て続けに落下し数名が死傷、鳥居に掛けたロープを引っ張ったらロープが切れて怪我人、基礎から掘り起こそうとしたら重機に人が挟まれて死亡

あまりに事故が連続した為、ならば日本人に作業をやらせたところ、その日本人作業者にも原因不明の発作など体調不良者が続出、これにはさすがの米軍も諦めざるをえなくなり、島のほぼ中央に位置しているという "邪魔" な鳥居を残したまま土地を利用する事にしました


戦後、土地が日本に返還され東京国際空港となった時もこの鳥居は残され、ターミナルビルの目の前という凄い位置にその姿がありました

後の1982年、空港拡張工事として鳥居の撤去を決定したすぐ後に日航逆噴射事件で羽田沖に旅客機が墜落、関係性があったのかなかったのか、撤去は取りやめになっているようです(この話は詳しい日付がわからないのでオカルトの結びつけかもしれません)(他にも撤去という計画が出る度に大小の航空事故が起きたとも?)

そして迎えた1999年、当たらな空港拡張計画によって今度は鳥居の撤去ではなく "移転" として現在の場所へ

その際は多少の不思議な事はあったようですが無事に工事が出来たそうです

以来、国土交通省管理の鳥居となり、世界への玄関口で飛び立つ飛行機を見守り続ける平和を祈る鳥居となっています




この日の神社巡りは今年3月3日でした

少し前に某国の軍事行動が始まり世界に衝撃を与えていた時

祟りの鳥居という存在は知っていましたが、今は平和の鳥居となっているということでこの日のルートを決めたのでした

平和を祈る気持ちにもいつも以上に気持ちがこもりました


伝わっている話には事実と都市伝説が入り交じり、中には日本の請負会社社長が亡くなった(事実ではないらしい?)など尾ひれがついている部分も多くあるそうですが


祟りという悪い言葉よりは御神威という前向きな言葉を使ってもらいたいな、って思います

この地を守っていた穴守稲荷は御神体やいくつかの狐像の避難は出来たものの社殿や多くの鳥居、狐様、さらに民家は全て米軍によって取り壊されたわけです

八百万の神としてその取り壊された全ての魂が、この大きく立派な鳥居に集まったんじゃないでしょうかね


いろいろ調べてみるとほんと沢山の話が出てきまして、元はこの地に狐が住んでいたからその祟りだなんてものもありましたけど、、、


また、米軍には死者重傷者が多発したけど日本人には発作とか体調不良という程度しか伝わっていないようです(上述のように請負社長の死は事実ではないとされています)が実際のところはわかりません

もし事実であったのならばそれこそ天罰であって、指示する米兵には重罰を、無理やりやらされている国民には抑制を、ということになります

現実的に考えても、当時の信心深い日本人が無理やり崇敬する鳥居を壊すよう命じられたら精神的に恐怖で恐れ慄いた人も居たでしょうし、なんならそんな罰当たりな事したくないという気持ちから仮病を使ってでも鳥居を守った方もいらっしゃったと思います


伝わっている話の中でどこに真実があるのかはわかりませんが、少なくとも、とても邪魔な位置であるにも関わらず大鳥居が残されたという事だけは間違いないわけです


戦前から戦後、そしてこれからも、この地、この国、世界の平和を願う鳥居


鐘を鳴らし、飛行機を見送りながら空に想いを込める


是非、平和の鈴を鳴らしに行ってください(*^^*)

羽田水神社と玉川弁財天

どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日は羽田神社から鴎稲荷を経て川沿いへ出たところに鎮座されているこちら

水神社と玉川弁財天です


堤防があるので境内へは階段で降りる形になっていますが写真右奥、住宅地の方からも入れるようです


上の写真では見えていませんが、階段を降りてすぐ左手に並ぶ白い鳥居とお社

こちらが水神社です

御祭神は水波乃咩命、創建年は不詳ですが江戸期には既にあったようです

やはり澄んだ空気で気持ちが良いですね、凛とした雰囲気があります


階段上にも案内板あったように弁財天の方が主に書かれていますし境内でも弁天様の方がとても目立つのですが水神社の境内に後から弁天様が遷座されたそうです

こちらが、玉川弁財天

水神社と同じく創建年不詳ながら古くから祀られているそうで、天長7年空海作という銘と弘法大師護摩焚きの灰で自刻した跡のある弁財天女像が祀られています


龍彫がとっても素晴らしいですね!!


ご挨拶すると、なんとも言えぬ空気感

そう、いつもの お寺 に似た荘厳な雰囲気に包まれます


凄い、の一言


いつものように下調べをしていない私は立地と様子からして完全に油断していました

唯ならぬ空気、そして呼び込まれる雰囲気


畏れ多く、ご挨拶をして階段を降り、礼をして一旦下がったのですが、どうも呼ばれるんですよね

なぜだろう、とお社を眺めていたら、お賽銭入れの木蓋と同じ高さで木がくり抜かれているのに気付きました

どうにも来なさいと言われているような気しかせず、それでもちょっと躊躇したのですが、あまりにも呼ばれる感に失礼します、と階段を上がりました


思わず、うわぁ、、、 吐息のような声が出たほどの神々しさ

暫しみとれ、拝み、お礼を言い、そして礼をして階段を降り、、、たのですが、都合が良すぎでしょうか、今度は写真を撮っていきなさいと言われている気がしました

ええっ?! いいんですか?

いや、誰と会話してんねんって感じですよねw

別に声が聞こえるわけじゃないんですけどねぇ


たまにこういう時があります

自分の頭の中で判断する時の「撮ってもいいかなぁ?大丈夫そうだよね?」「ここは写真。。。うーん、なんか辞めておこうかな」っていう感じとは全く異なる感じ

見るのは失礼な気がするのに見なきゃいけないという意識が覆いかぶさってくる、撮るのは失礼なほど神々しくて撮る気も無いのになぜか撮っていかなきゃいけないという、それが自分で考えているんじゃなくて思わされている感じ

そう言われている気がする、と正当化しようとしているのとは全く違う不思議な感じです


こちらが、弁財天様です

なんて優しく微笑んでらっしゃることでしょう


この記事を書きつつ調べていたら、江戸期の記録に江ノ島本宮の弁財天と同躰であるとか、厳島江ノ島とこちらの弁財天が日本三大弁財天と書かれていたりもするそうです


また、複数作られた複製のうちのひとつであるとする説もあるのですが、いずれにしても、私は像を拝んだ瞬間にさぁーっと鳥肌が立ち全身が固まりました

まさに、魅入られたという感じです


羽田では 七福いなりめぐり として七社の稲荷神社があるそうですが、こちらの弁財天が別格として含まれて八社となっているそうです


ふーっ、、、と御神威の強さにひと息つこうとお社右手の薮に向かってみたらそこには弁天池と石祠がありました

祠は市杵島姫命が祀られているのでしょうか


また階段から見て右手の方には妙力地蔵様がいらっしゃいました


いやー、とっても素晴らしかったです


こちらはもう、お近くに行かれた際は、ではなく、是非ともご挨拶する為に行って頂きたいですね(*^^*)

豊漁の神 鴎稲荷神社


どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日はこちら、鴎稲荷神社



読めますが?

私は 森鴎外 しか思い浮かばず

おう、、、おう、、、おうむ?

ポチポチ(タイピング)......鸚鵡(全然違ぇ)

あっ!! ここは海の近く!! あれしかない!!

ってなわけで、カモメ稲荷神社ですね


では参拝です!!


閑静な住宅地の中にある境内も小さめなお稲荷さんですが、手水舎にはしっかりとした水盤とそこに水を流すのは手押しポンプの井戸!!

しかも町の方が浮かべたのでしょうか、水仙の花が二輪浮かんでいます

レバーを数回押し下げると流れ出る水はとても清らかで癒されます


もう既にこのお稲荷さんの虜になっています

なんて居心地が良いのでしょう


そしてお気づきになられたでしょうか



やや眼光鋭い黒猫さんがいらっしゃいました


こちらが御社殿、とても美しいです


創建は江戸期、鳥居が奉納された頃もしくはそれより古いとされており、宇迦之御魂神を祀ります

社前に立ちご挨拶を始めるとなんとも言えない幸福感に満たされます

まだ寒さの残る春先、空気は冷たいながら陽だまりの温かさに加えて何かぼわんとした温かみがこの境内を包み込んでいます


いつも書いている勝手な感覚ですがお稲荷さんはとっても個性豊富でして、がっつりと威厳のあるタイプ、簡単には気を許してくれないタイプ、凄く見定めてくるタイプ、氏子さん以外には無関心なタイプ、積極的に呼び込んでくれるタイプ、とてもウェルカムなタイプ、などなど


こちらの稲荷神は、過去最高レベルに温かみに溢れる穏やかな雰囲気でございました


勿論、人により相性というものも大きいので皆が皆、同じように感じるわけではありませんけどね


お隣には厄神様がいらっしゃいます

一般的な 厄神様 を調べてみると、厄をもたらす神と厄を除ける神とあり、神社仏閣に祀られる殆どが除ける方の神だそうですが、一部では厄をもたらす神を祀りあげる事で御機嫌良く居て頂こうという場合もあるそうです

そのまま 厄神様 が祀られている場合と、厄除けの神として愛染明王不動明王、またはその両方であったり八幡様が祀られている場合があるそうです


そうかぁ、厄神様の存在もあっての、この穏やかさなのかもしれませんね


猫神様もいらっしゃいますしね、っと、まだいらっしゃいました

あまりにもじーっと居らっしゃるので少しづつ近づいてみたら間近でゆっくりと降りられてしまいました

でもストン、と下に降りただけで太陽に当たって気持ち良さそうに悟りの世界へ...可愛い


というわけでこれ以上お邪魔せぬよう次の神社へ向かいました


うん、ここまで既にかなり歩いて来ていますが心も身体も一層軽くなった気がします!


羽田の町を守るお稲荷様、なかなか行かれる方は少ないかもしれませんがお近くに行かれた際は是非(*^^*)b

羽田富士と羽田神社

どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日はこちら

羽田神社

川崎大師方面から大師橋を渡り、とあるスポットを目指して大通りを渡ろうと歩いていると


遠目にはためく幟の雰囲気がお寺っぽかったのですがめっちゃ神社ですねぇ~


全くのノーマークだったので時間も考慮してなかったのですが、こんな立派な神社の目の前を通ってご挨拶せぬわけにはいかぬ


とても広くて気持ち良いですね、目の前は車通り激しい道なのですが凄く清々しいです


写っていませんがすぐ右側には立派な神楽殿もありました


早速、手水舎の脇に由緒が書かれておりました

なんと、鎌倉期に牛頭天王を祀ったのが始まりということで、牛頭天王といえば神道においてはスサノオ様ですが、お寺っぽい雰囲気を感じたのもあながち間違いじゃなかったかな


なんと、牛頭天王ということで浄水を流すのは牛でございます


どこかこちらは境内社が気になりますので先に周りからご挨拶

こちらはガッチリとフェンスで保護されていますが、疱瘡治癒祈願の御礼に徳川定家が建てたという碑

当時のものというのですからそりゃ保護されますね

右側には溶岩石でしょうか?で囲まれた八雲神社の扁額で神社自体は無いようですが、ここにもしっかりと疱瘡神が宿られていることでしょう


本殿右手に境内社が並びます


手前は1785年創建の鈴納稲荷神社

赤い扁額が目立つ中央は創建年不詳の増田稲荷神社、共に宇迦之御魂神が祀られています

その隣は、おっとお稲荷さんが並ぶかと思ったら想定外の日枝神社

創建は江戸中期で大山咋命を祀ります

そして最後に羽田稲荷神社

こちらだけお社の雰囲気が違い、ほぼ正面に木があったりしてちょっと空気が違います


突き当たりにの鳳…庫

読めなかったので調べたら、牛が曳く山車で鳳輦 ほうれん というのだそうです

その脇が気になって覗いてみたら、なんと木製鳥居が!? こちらは元三の鳥居だったそうです

うん、素敵な境内だなぁ(*´ω`*)


では、改めまして羽田神社です

御祭神は須佐之男命と稲田姫命ご夫妻

いや、凄いです

とっても素晴らしいです

御神前に立つと本当に車の音も耳に入らなくなり、物凄く広い場所に立っているような、それでいて心地よい圧迫感があります

御神威、そのものと言った感じですね


おや、左手にも何か。。。えっ

まさかの富士塚っ!! しかも凄そう!!

本来は本殿へご挨拶したらこちらから富士参りをして裏を通って右手の境内社側から戻るのがルートのようですが、富士塚が最後になったのはどうにも私らしいな、って思いました


明治初期に築造された富士塚だそうです


門のようになっていますが社務所から拝殿への渡り廊下の下になっていまして、そこにこちら夫婦擬宝珠

ギボシ って読むんですね

東日本大震災で落下した擬宝珠が寄り添っていたことから御祭神である二柱との繋がりを思い、こうして祀られているのだそうです


では、、、こちらが羽田富士!!

やや小さめですがとっても素晴らしいです!!

一歩一歩に重みを感じます

風化と安全面の問題は勿論ありますが、こうして今でも登ることが出来るというのは本当に有難いことです

山頂にて木花咲耶姫様にご挨拶

めちゃめちゃ空気が良い、素敵です


奥宮の後ろを回って羽田神社本殿の裏へ


いやぁ、、、偶然出会う神社がこんな素晴らしくて富士塚まであったとなるとほんと最高です


今まで参拝した富士塚の中でもとってもとっても素晴らしい、、、と書きかけて思いました。

小さく質素なものでも、富士塚は素晴らしい(*´ω`*)



なかなか足を伸ばすエリアではないとは思いますが参拝の為に行く価値はしっかりとありますので是非!!

清らかな風 水神社

どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日はこちら

水神社

マップにその名を見つけまして、水神社と聞いては参拝せぬわけには行かぬ、と向かってみたのですがこれほど大きい神社だとは思いもしませんでした

この少し裏がもう多摩川の土手になります


多摩川沿いの静かな住宅地にあるとは思えぬ大きさからも崇敬が高いことがわかります


鳥居の手前には石柱があります


扁額には 水神宮 とあります


いや、離れていてもわかりましたけど、尚更ただ事ではない神社ですぞ

鳥居を潜ると、とても神聖な感じ

元々閑静な住宅地ですかから静かなんですが、そういうことではなく、とても静かで穏やかです

こう、、、すこし ふわっ とした雰囲気なのにちゃんと重みを感じると言いますか


普段は子供達が駆け回っていそうな広さの境内

こちらもややお寺っぽい感じはありますが、空気感はしっかりと神社です

っていうか、水神社で神楽殿までもあるんですよ?


よく見掛ける水神社は小さなお社とか石祠だけとかだったりするので明らかにこちらは何か違います


創建年は不詳、元はもっと西にあったそうで1648年に幕府から御朱印状を受領したのが最初の記録とのこと

幕府から社領を賜るというのですからそれよりも暫く古くから鎮座していたのは間違いないですね



こちらが拝殿、御祭神は天津罔象神

龍神様だとも瀬織津姫様だとも言われています

そう、だから水神社は "外せない" のです


気持ちの問題ですね、ご挨拶するとどこからともなくすーっと冷たい風が通りぬけました

川が近いからだとは思いますが、この後河川敷を歩いても吹く風はとくに冷たくありませんでしたけどw


とっても清々しい気分です


木の根元にゴロゴロと転がるのは力石ですね


お隣はお寺のようですが、境内右の奥に御堂が


中には道祖神として乳出地蔵尊が祀られています

こちらは育児の神として崇敬を集めているそうです



いやー、素晴らしい神社ですね、まさに水神宮!!


この後河川敷へ出てみたら羽田空港に並ぶ飛行機が見えました


うーん、太陽と風と水を感じられて最高!!


と振り返ったらめっちゃ猫に見られてました

平間兼乗創建の伝 中瀬大師稲荷神社

どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日はこちら


大師稲荷神社です


名前から想像出来るように、川崎大師から少し北側に鎮座するお稲荷さんですが、なかなか面白い歴史がある神社です

先に書いてしまいましょう


創建年は不詳ですが伝わっているところによると、平間兼乗が海中より弘法大師咲くとされる十一面観音を拾い上げ祀ったのが始まりとされているそうです

おや、平間寺、つまり川崎大師とほぼ同じ言い伝えとなっていますね

もしかしたら、その時に弘法大師像と共に十一面観音像も発見していたのかもしれませんので1128年頃の創建ともいえそうですが、言い伝えが重複している可能性も無くはありません

江戸時代には平間寺別当とされており関係性は実際にあるようにも思えます

十一面観音像は御神体であるにも関わらず神仏分離により平間寺へ移され戦災にて消失、、、現在は中国唐時代のものとされるものが奉納されているそうです

ちなみに外からは見えない本殿は戦災をくぐり抜けて今も残っているそうなので移されていなければ難を逃れていたということになりますね、残念

というか、お稲荷さんは不思議と戦災を逃れますね

また、江戸期には逆に平間寺の本尊を神社で保管したこともあったそうなのですが、どこでその情報を見たのやら、どう探しても見つからなくなってしまいましたm(*_ _)m


では、参りましょう


1740年に奉納された水鉢だそうです


やや長めの参道を抜けると、ちょっとお寺のような御堂があります


御祭神は大歳神、相殿に大宜津姫神と尾船豊請姫神が祀られています


あら? お稲荷さんなのにウカ様じゃない? と思いましたが、大歳神は宇迦之御魂神の兄とされる神でございますのでしっかりと稲荷神ですね

オオゲツヒメは排泄物から食べ物を供して素戔嗚尊に斬り殺された神、そしてもうひと柱はヤフネトヨウケヒメ、、、そう、豊受姫ですね!

豊受大神であるとも言われますし、宇迦之御魂神のことであるとも言われています

まぁ元の御神体というか本尊が十一面観音ですし新たに奉納されたのも十一面観音ですから神仏習合の名残濃い神社ですし、雰囲気もどちらかというとお寺な感じではありますが、優しいお稲荷様と似た感じでとても居心地は良いです

特に、時間帯の問題もありますが御社殿が太陽を背にしているのでどう撮影しても神々しく写ります


再建された社殿ではありますが当時を出来るだけ再現したという彫刻も素敵です


仏教色のある石像ですね、なんか首を傾げる角度が絶妙で奇妙な雰囲気なのに可愛いです


鳥小屋?! と近づいてみると中には想定外の!

、、、あ、本物じゃない(爆笑)


こちらにも鶴、、、の置物w


社殿のお隣はオシャレなテラスのあるお家

人様のお家ですが境内で、社務所にもなっている恐らく御神職のお宅になっているのでしょう

ガチャガチャ好きにはたまらない、神道系トイズが入っていますね


まさかの御朱印はカードダスタイプwww


ふざけてるのか? という人も居そうですが、私はこういう感じ、とっても大好きです


隣は公園になっているのですが地蔵堂があり、でも公園との間には突然稲荷っぽい朱の鳥居

いいですねぇ、こういう雰囲気


日本の良いところは、他所の文化でも上手く自国の文化と合わせて取り込むところだと思っています

元の文化が!! という場合や意見もあるでしょうが、その時代時代に合わせて行く事も大切ですよね

だからこそ永く続けていくことが出来るわけですし、そんな時代の流れの中においても全く変わることなく残って来られた純文化もより素晴らしい存在だということです


人の事は言えませんが、無信仰化、無宗教化といわれている今日であっても、お祭りや初詣などで神社仏閣へ行き、お守りを持つということはしっかりと息づいているのはとても素晴らしいと思います


大師稲荷、とても素晴らしい神社でした


川崎大師へお参りされた際は是非、こちらにも

戦後復興の願い 京濱伏見稲荷神社


どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日はこちら

京濱伏見稲荷神社


最寄り駅は新丸子、少し離れて武蔵小杉駅です


既に見えているのですがまだわかりませんよね

普通の街を歩いていくと突如その姿を現します

外から見ても立派な社殿です


両脇に大きな狐様を従えた朱の大鳥居

左手には白狐様もいらっしゃいます


こちらの表示が今現在も継続であれば、三大 日本最大 となっているようです


ここは境内末社から巡るスタイルで参拝することにしましょう、左手に境内社と鳥居が見えます

こちらは駐車場側からの参道になります

参道右手に鎮座するのが文殊稲荷とされる三神知恵稲荷

少しでもこの頭が良くなりますように(。-人-)


そして参道左手は...どーん!!!

ちょ、ちょっと想定外です!w

手前には加賀白山遥拝所記念碑

そして菊理媛命を祀る白山社

おぉ、伏見稲荷さんで菊理媛様にご挨拶出来るとは

そしてこちらですよね、富士山と富士浅間社

山自体に木花咲耶姫命が宿っている日本が誇る霊山ですね

ちなみについ最近知りました、富士山の八合目から上は浅間神社社領なんですね! まだ五合目以上登ったことが無いんですけど、、、徐々に体力衰える中、参拝出来る日は来るんでしょうか


いやぁ、なんと私が崇敬する菊理媛様と咲耶様をほぼ同時に拝めるとは、しかも結構しっかりした造形の富士山と白山です

ご挨拶する時、すーっと春の風が抜けていきました

稲荷様の紋には 恵 の字がありますね


大鳥居右手には立派な手水舎、その先には銅像といくつかの境内社が見えます


銅像はこちらの初代宮司様だそうです


左の気になるところは後にして境内社は三社


身代わり開運稲荷とされる武邦稲荷社には再生、成長、改善の神が祀られているようです

再生、成長で終わらずさらに改善とあるのは素晴らしいですね


奥に鎮座するのは祇園玉光稲荷とされる末広稲荷

歌舞音曲を司る神とのことで天鈿女命様みたいですが庶民の味方である稲荷神は様々な御利益をもって崇敬を受けておられます


そして一際気になるこちら、朱鳥居が並びます

その先は磐座と池、そして沢山の狐!!

磐座は ときわ磐座 といい神様が風神雷神を伴い天降りされた岩だそうで圧倒的存在感です

池は琵琶湖を模したものだそうで、中央には日本三大弁財天のひとつである竹生島の弁財天が祀られています

そして沢山のお狐様は全部で108体いらっしゃるそうで池周りだけでなく境内のあちらこちらにいらっしゃいます


コンプリートするのは大変そうですが一体一体様子が違っていて推し狐を見つけるのも良いんじゃないでしょうか(*^^*) あ、、、蛙さん


そして外からも立派さが伺えた御社殿は九棟稲荷造りとされていて壮観です


御祭神の説明書きはしっかり読まないと勘違いしそうですね

上には五成大明神の宇迦之御魂神、大己貴神(大国主命)、猿田ひこの神、大宮能女命(天宇受売命)、保食神(大田之神)が御祭神と書かれていますが、下の看板に主祭神常磐稲荷大神と書かれています

赤字で複数回書くのならば先に読みそうな上に掲示しても良さそうなんですけどね(^^;)

常磐稲荷大神太田道灌江戸城の守護神として伏見稲荷大社から分霊を勧請した神様です

...!?

っと、横道に逸れてしまうので後述にしましょう


というわけで、こちらが拝殿

写らないように撮りましたが拝殿内は広くてやや暗く、日本最大と書かれていた巨大な御神鏡の存在感が凄かったです

荘厳な空気の中、まるで拝殿内に、いや、本殿までも吸い込まれていきそうです


遅くなりました御由緒ですが

初代宮司神示を受け、戦後の1951年に京都伏見稲荷大社より分霊を受け創建

江戸様式を取り入れ社殿の周りを富士溶岩でかためているんだそうです


いやー、、、白状します


とっても素晴らしい社殿ですが、ちょっと色とりどり過ぎて造られた感じがするなーなんて思っていたんですけどね

軽い気持ちで参拝すると、恐らく何も感じないままさらっと終わってしまって、なんだぁって感想で終わってしまいそうです


ちょっと独特な雰囲気のある境内がその理由だと思いますが、どうも神社本庁に属していないことから他の神社とは一風変わった感じのようですね

あ、勿論、本庁に所属していないところはダメということではありません! というかそもそも、全国稲荷の総本社 伏見稲荷大社神社本庁には属していませんからね


そうです、忘れかけていました


そもそも神道は祀る心が大切なのであって、お社の豪華さや古さだけで判断するものではありません(これはいつも言っていること)

同じように、祀り方が多少独特であっても、しっかりとお祀りされているかどうかが大事なところでございます


参拝初めにはちょっと半信半疑でしたが、ひとつひとつお社にご挨拶をするにつて空気感が変わっていったのを今でもハッキリと覚えています

元から私は境内社からご挨拶するのが好きな方でしいたがここ最近は主殿へ先にご挨拶することが増えていました

こと、こちらのお稲荷さんにおいては、先に境内社へご挨拶していったことでよりこの神社に対し持っていた偏見が取り除かれていき、純粋な気持ちで主殿へご挨拶出来たんじゃないかと思います


最初に主殿へご挨拶していたら、あとはぱーっと境内社をまわって ふーん、こんな感じかぁ で終わっていた気がしてなりません


あ、いや、崇敬されている方々には大変失礼で申し訳無いのですが、ただ、心を込めて参拝するからこそ、ということを思い出させてくれた素晴らしい神社でした


まだまだ見た目や頭で感じてしまうことの方が先になってしまう事のある未熟者でございます


さて、後述です


常盤稲荷神社って行ったことあるような!?

と記事を遡ってみたらやっぱり参拝してました!

もともと江戸城の守護神だったとは思えぬ、よくある街角のお社という感じなのですが、ウカ様だけでなく罔象女命も祀られていてとても狭い境内なのに不思議な空間になっていました



さて、こちら、京濱伏見稲荷神社にはその常盤稲荷大神と同じ御分霊が勧請されているようですが、奇しくも同じ、と書かれているので江戸城由来の常盤稲荷神社から分霊したわけではないでしょう

とはいえ殆どの稲荷社は伏見稲荷大社から勧請されているはずですし、そうなると稲荷大神とされている五柱、もしくは特にそのうちどなたかの大神が祀られていることになり、それぞれ創建された方が個々の神名をつけて祀られるはずです

なので、江戸城守護神として祀られた大神と御同神というのは全国殆ど全ての稲荷社が同じと言えるのではないでしょうか

その中でも特に、常盤大神と同じ神とされたのは何か理由があるのでしょうか、それとも江戸城守護神にあやかりたかっただけなのでしょうか

そのあたりを少し調べてはみたのですが、伏見稲荷大社にも特に常盤大神として出てくる検索結果も無く分かりませんでした


京濱、ということで東京と横浜を結ぶ場所に位置することから東京を代表する江戸城の守護神との繋がりを記したかったのかもしれませんね