どうも、ひのきですm(*_ _)m
柏流山巡拝二社目でございます
別雷・稲荷神社から10分弱、豊受稲荷本宮です
こちら、気になって先に由来を見たのですがどうも不思議な神社さんでございます
神仏習合のお稲荷さん とおっしゃっていて不思議な事も起こるパワースポットとしても人気があるそうなのです
あぁこれはそういうところだな、とすぐにピンとは来たのですが写真からは禍々しさを感じないしどちらかと言うと行かなければならない気がしました
元は巡拝の最後に予定していたのですが、来る途中の車内で急遽順番を真逆にしたのは早朝に来るべきだと考えたからです
時刻はちょうど7時、静かな境内へ
優しくお水が滴る手水舎は綺麗にされています
神仏習合のお稲荷さんとはどういうことか、と思っていたのですが手書きの境内図を見ると裏に観音堂があるからでしょうか、そして豊受と書いて ゆたか と読むと書かれています
こちらにまず惹かれた理由は豊受稲荷とされているところ、そしてHPを見てみると妙に気になるコラムがあったからです(それは後述にて)
もしかして独特な思想の...という杞憂も若干はあったのですがその心配は全く無さそうだ、という感じをこの境内図から受けました
やや狭い参道、右手には石碑が並び正面に主殿が見えます
かしわ七福神の福禄寿様、とっても優しい笑顔をしてらっしゃる
そして綺麗に並ぶ石碑群と白蛇様
前列右手から白蛇辨財天、金神大明神、諏訪神社、水神大神、中列が稲心坊稲荷大明神、分高谷稲荷大明神、愛染坊稲荷大明神、三峰神社、後列に御嶽大神宮、猿田彦大明神、石清水八幡宮
そして白蛇様とその後ろにも稲荷石碑、中央には女化稲荷大善神とあります
なんだろう、なぜだかわからないけれどここに居ると騒ぐ心が落ち着く気がする
そしてこちらが拝殿、いやー・・・この時も気付いてなかったなーこんなに目立つのに、というのもやっぱり私の崇敬するお稲荷様ですから神仏習合が何を指しているのか、どのように感じるのか、そして何よりこのような状態でご挨拶に来てしまったけれど是非厳しく見ていただきたいという思いが左右の神狐様と共に拝殿へ意識を集中させていました
実は事前に見た情報では正一位豊受稲荷大神として稲蒼魂命、大己貴命、太田命、大宮姫命、保食神(HPまま)を祀るとされています
はて、蒼というのは誤植なのか正しいのか、大己貴命?! このあたりがオリジナルで神仏習合なのだろうか
ウカ様とダキニ様を祀ってたりしないかと思ったのですが表記的には全てが神道の神、では実際に参拝して何を感じるのか
これが驚くことに伏見さんと同じ空気感だったのである
なんとも表現しづらいのですが一般的な神社とお寺の間のような感じで凄く見られているというか自分の化けの皮を全て剥がされるというか裸にされるというか
凄く神聖であり御神威を感じる、でも風も無ければ音も無い、ただそこには神の前に立つ自分自身が居る
社殿脇から裏手へ行くと狐塚と観音堂がありました、朝早いからか観音堂は開いておらず
お狐様達は凄く良い氣でいらっしゃったような気がします、ただこの時の私にはお近くに居られるような気分ではなく
本殿お背中が休憩処になっているのはとっても贅沢ですね
ひと通り参拝を終え、素晴らしい氣であるにも関わらずそれを受け取れる状態ではない事に申し訳無く思いつつ、後ろ髪を引かれなから境内を後に
しようとしたのですが、どうにも心残りを感じて白蛇様の前へしゃがみ込む、どうやら今の私にはここが凄く居心地が良いようだ
決して自虐にはならぬように、でも自分自身を冷静に俯瞰し、今を想う
今思えば、これがキッカケだったのかもしれません
さてこちら、調べてみると昭和40年の創建だという、恐らく境内図に書かれていた初代管長石井善祥という方開かれた神社なのでしょう
固有の神社となると怪しい感じもしますが稲荷、白蛇、弁財天系では個人の方が開かれ祀られることも珍しくはなく怪しいわけでもない事はよくあります
それこそ昭和40年とかなり新しい部類に入りますが、私の思い込みでなければこちらで感じた御神威はしっかりとしたものでだからこそ人気もあるのでしょう
不思議なのは神仏混淆に拘られたとされていますが表記通りであれば裏手に観音堂があるだけで主殿は神道の神々であること
これは一体どういうことなのだろう
そこで冒頭で触れましたHP内のコラムです
伏見稲荷の御札と題し、蛇と狐の関係性について綴られています
稲荷五社大明神は古来より土地によりまちまちなものであり、伏見は明治維新により愛染寺が壊され祭神を指示されたものだと書かれています
愛染寺を調べてみると伏見稲荷本願所だったとある
応仁の乱により消失した伏見再建に尽力された十穀聖という僧侶が稲荷信仰を広め1655年に本堂として愛染寺を建立、荼枳尼天・辯才天・歓喜天を三大和合尊として伏見とは対立したという
また伏見祠官の秦親臣が御絵札について記したものとして(抜粋)、本社三柱大明神はウカノミタマ、サルタヒコ、オオミヤメであり、鍵は堅く閉じ塞ぐものでよく導き開く田中之神の神徳、杉は三輪の御神木で四之神は三輪神と同体となることを示す、俵は主神三柱の恩来を表し、蚕もしくは蛇においては神徳、雌雄命婦は当社付属の霊獣だという
写真はありませんが、確かに伏見の御絵札と検索し出てくるものはこの説明に合っている(現代のものだからか蚕ではなく完全に蛇ですが)
さらに、サルダヒコとアメノウズメの恋物語(稿を改めて触れると書かれているが更新は無い、是非書いて貰いたいのだが)により生まれたウカノミタマは稲荷信仰の根幹となる父と母と聖霊という三柱の神霊構造でありそれこそが秦氏による信仰の中核であり草創より平安までどの資料においても三柱だけであると書かれている
ただし、日本古来の神の名前を用いて三神構造を築いたというような感じで書かれているので猿田彦命天鈿女命の子が宇迦之御魂神というのが真実であるとは書かれていない事が、これは何気にただの個人思想と切り捨てるような感じではない気がする
また、ウカとは白蛇のことで元来は俵に白蛇が乗る宇賀神が稲荷社の目印で陰陽五行説により狐に変わったとも書かれている
そう、この記述があったからこそ実際にこの神社へ来てみたかったのです
崇敬するとはいえ稲荷神の歴史というか背景についてはやはり謎が多く、もしかしたらこの一説が今後の考えに大きなヒントになるかもしれない
結局のところ、神仏混淆の意味するところを正しく掴むことは出来なかったけれど、この参拝はこの後の私に大きな影響を与えることになる
やっぱり順番を入れ替えて朝イチで来てよかった、多分最後にしていたらまた違ったものになっていただろう
そう思いながら歩き始めると目が合って思わず あら龍神様 と声に出た
どう思われるだろうか
この時の私には見た瞬間からずっと龍神様にしか見えなかったのだが、脇を過ぎ暫く行ったところで気付いた、待って、マンホールに龍神様の意味がわからない?!
戻って行って見てみると何のことはない、カシワ・オナガ・カタクリの図柄である...エッ 今みると逆さまでもそうは見えないんだけれどこの時は龍神様にしか見えなかったのです
では、こんなところで晒すべきではない話なのに記しておかなければならない気がするコーナーです(どんなや)
豊受稲荷本宮で荘厳な氣に包まれるも白蛇様の前で巣の自分を吐露したことが引き金となったのか、はたまた往路で急遽巡拝先を追加したことでいきなり50分近くただただ歩くことになったのが原因か(距離とか考えずただ追加してしまっていた)
やはり考えないようにしても常に考えてしまう、見知らぬ街を眺め歩くのは楽しく周りを見回しながら歩くけれどふと浮かぶワードが鋭い矢となり胸を抉る、苦しくて下を向いて歩く、何気ない言葉達が次々と姿を変え胸や脳、腹に深く突き刺さっていく
そして時は来た、溢れる涙が止められなくなる、一度は抑えるものの暫く歩きまた人が居なくなるとボロボロと嗚咽まで溢れさせてしまった(安心してください、誰にも見られず恐怖は与えていないはずですからw)
はーーーやっぱダメだ、誤魔化しきれない、いや、誤魔化そうとして来たわけではないし多少は予想もしていたけれど早くもこうなってしまうとは...幸いだったのは驚くほど人が居なかったこと
こんな状態で続けていいのだろうか、と思ってもこの位置からじゃどの駅も遠くこのまま続けるしかない、そして三社目へ到着する