日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

神示により祀られし大神 白龍神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

やぁ~さすが名駅南ですね、元旦の朝、、、と思ったらちょうどお昼になっていましたがほんっとに人が居ない

 

まさに閑古鳥な街をのんびり歩き柳里神社から10分弱

 

龍神社です
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.........って、えぇぇぇぇえええええ?!

 

信号を渡ってからあれはまさか、、、と思いつつ歩いて来ましたが行列!!Σ( ̄□ ̄;

 

境内はこのちょっと左側まであるだけの小さめな神社さんなのに、そして目の前の大通りには稀にしか車が通らずこの近辺にはこの列以外に人も居らず、たまに歩いて来る人の95%は列に並ぶ、、、その数ざっと100人以上

 

いや、元旦の初詣としては少ないと言っても良いとは思うのですが近隣の方というよりはこちらを目指して来たという雰囲気を強く感じる

 

いや、まぁ、流石に折角来たのでスルーはしたくないしこのくらいならと並びますが皆さん随分と熱心に参拝されているようで列の進みは思っていたよりも遅い

 

有名でもない小さな神社なら元旦でも大丈夫だろうと思いっきり油断してました!! というか並びつつ聞こえてくる周囲の会話からは、とても金運に力のある龍神様で大人気なのだそうです、ということは逆に元旦だからこそこの程度で済んだというべきか

 

本来ならば真っ先に触れるところですが後回しになってしまいました、繰り返しますがこちらの社名は白龍神

 

そう、柳里神社では白鷹龍神でしたがこちらも白龍なのです

 

折角並んでいるのでさすがに謂れを調べようかと思ってしまいましたが、いや待て、既に想定外なのだからこのまま無知で参拝しよう!

 

金運に御利益が凄いのことですが私は徹底します! 金運は大事だけど願い事はせずご挨拶と感謝だけ!! それが通じれば自ずと金運にもご利益が頂けるはず! 頂けなければまだそれだけの資格が自分には無いということだ!!

 

まぁ100名程度なので最後尾に並んでから20分ほどで鳥居までやって来ました
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参拝までには25分ほどでしたが巡拝としては結構予定外w
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境内には人々のお金に対する念が渦巻いて、、、いたでしょうけれどそれほど気になりません、それでいてやはり強い氣があるように感じます

 

居心地の良さは無く厳とした御神威のある境内ですね

 

この送の本殿からなのだろうか、何か圧を感じる
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御祭神は白龍大神とされる高龗神と須佐之男命の二柱です

 

混雑時の私はいつもこうします、拝殿が近づくと心の中で名乗りとご挨拶、まだ時間があれば雑談(境内で感じている感想的な事など)を念じ、そして自分の番になると最低限の所作だけで後に譲れるように

 

と拝殿前に立つと圧倒的な圧!!  やや広めな拝殿内の手前には多くのお供えが並んでいます

 

気圧されるとはまさにこのこと、深々と礼をして感謝をお伝えする

 

うん、これだけの人が来るわけです、小さな神社ですが確かに素晴らしい

 

ただいつも覚悟はしているのですが、初詣期などは特に、大きな神社や人気のある神社であればあるほど特別な何かは感じづらい、それは人の多さによる雑多さ故かはたまた神様(眷属様)も人が多過ぎて個々には構っていられないからか

 

いいんです、それでも御神威は感じることが出来ますから

 

拝殿右手に社務所があり、参拝が終わった人々はそのまま列を成して境内を出ていかない

 

恐らく御札や御朱印、金運の授与品が人気なんだろうな(*´ω`*) と境内を出て行きかけたところでその氣を感じました

 

んっ? と振り返ると授与所への列が社殿右奥の隙間まで繋がって折り返していると思っていたのですが違う!!

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ここから先は撮影禁止となっています、皆さんはこの先の奥宮へと並んでいたのです!!
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いやぁ、、、気付いてよかった( ̄▽ ̄;)

 

手前のお社はどなたが祀られているか分からないのですが心地の良い御神木銀杏が隣に立ってらっしゃいます

 

全体的に圧のある境内においてこの御神木付近の非常に狭い範囲だけ不思議な癒しを感じました

 

そして奥宮へ、覆屋の中にお社が鎮座されており、そのお社専用の小さめながら左右に昇り龍下り龍が施された双龍鳥居、薄暗さも相まってとっても厳粛な氣が流れています

 

人が多いながらシンとした空気の中でご挨拶、そして社殿前にはおもかる石が2石、左はやや宝珠型のような球だっただろうか、右はとぐろを巻いた蛇になっていました

 

特に願い事を考えてもいなかったので、寄り良い一年になりますように、と持ち上げてみるとそれなりの重さがあり軽くもないというごく普通さでしたw

 

うん、でも普通が一番です、有難い

 

ちなみに大混雑を見て社務所の方が出てきて おもかる石は左右どちらも一緒ですからどちらか片方でお願いします~っ! とおっしゃっていました

 

そうか、やたら長いなと思ったら両方を持ち上げてる人が居たんですね(苦笑)  まぁデザインが違うからわからなくもないけどw

 

というわけで社務所の行列かと思った人々は9割が奥宮参拝でした

 

次の機会があれば是非、人の居ない静かな状態でご挨拶してしっかりと感じてみたい、素敵な神社でした(*´ω`*)
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というわけでご由緒を調べてみました

 

柳橋付近でえ熱病が流行した際に大神より神示が下り、現在は地下流となっている江川岸にいある柳の下に祠を建て祀ったのが始まり、、やがて柳が枯れると大神が近くの銀杏へと移られ御神木となったそうで区画整理により現在地へと遷座する際も御神木が移殖されたそうです

 

なんと、だから凄い癒しを感じたのか!!! そしてあのお社は御神木に宿られる大神様を祀るものだったんですね、そして奥宮には白蛇様が祀られているといいます

 

ただ創始としては大神様とだけでいつからか白龍様と呼ばれるようになったようです

 

公式によると本殿以外の末社二社には芸事商いの神と健康知恵の神として崇敬されているとだけ書かれており御祭神名が書かれていません、また白龍大神は高龗神と須佐之男命の総称であるとされてはいますが由緒にはどちらの御祭神名も出てきません

 

いろいろ調べてみると創建は1603年という説がありました

 

勝手な想像ですが、やはり川ですし社名にもなっているので大神様は白蛇(龍神)だったのではないでしょうか、ただ鎮めたいのが疫病なので牛頭天王も併せ祀った

 

やがて神仏分離を迎え、白蛇様と牛頭天王では通らないので高龗神と須佐之男命となったと考えるとスムーズな気がします

 

やっぱり名古屋には白蛇信仰が浸透していたんですね、そして気になったのが江川です

 

現在の白龍神社は堀川と暗渠となった元用水である江川の間に鎮座されている、堀川はその名の通り矢田川から名古屋城のお堀を回って(つまり堀を作って)南へと流れ、、、熱田神宮の脇を通って名古屋港へと流れ込む、、、城と熱田神宮を繋いでいる!

 

そうだ、住んでいた頃はそんな考え方なんてしてもいなかったけれどそういうことだ、そして当たり前に住んでいたけれどこうして考えてみると名古屋ってほんとに川が多い!

 

ふと思いついてマップで 白龍 と検索してみたところ、思ったのと違って南北ではなく東西から南東に複数の白龍を祀る神社が出てきた、つまり名古屋南部がまだ海岸線だった頃から白蛇・龍神が祀られていたラインということではないでしょうか

 

川は清らかなものでありますが人々が住み様々なものを流していくと下流になればなるほど汚れや病も流れていきます、またこれだけ沢山の川が流れていれば水害も多かったでしょう

 

ただやっぱりどうも気になるのは、やはり他の地域と違って白蛇様を龍神として祀っている、つまり龍よりも蛇としての存在が大切にされている所です

 

白鷹龍神とされる柳里神社には蛇の姿あれど龍はいませんでした、そして白龍神社には双社名と双竜鳥居だけでお供えは卵だし奥宮は白蛇様、おもかる石も蛇

 

既述のように、私は神の使いである蛇が神格を持つと蛇神(龍)となりさらに神階を高めると龍神になる説をとっており、どちらかというと神として祀られやすいのはより力のある龍神で白蛇は川というより池、つまり弁財天系の眷属神になっている事が多くありませんか? むしろ主流と言っても良い

 

でもそれは恐らく、池に弁財天を祀り白蛇が眷属として崇められるという流れだからでしょう

 

熱病を鎮める水神として白蛇を祀り、龍と習合されながらも白蛇としての存在を大切に守り、やがて安寧な世の中になり弁財天信仰と習合されて金運の霊験とされるようになってもなお本来の白蛇信仰を守っているのが白龍神社なのではないでしょうか

 

本当は白蛇神社なんでしょうね、でも社名的に許されなかったのか龍とした、でもやっぱり白蛇なんですよ、だから社紋は蛇にしたかったけれどそれだと結局蛇信仰じゃねーか!とバレバレで神社として存続出来ないから 白 とした、なんて妄想はどうでしょう←聞くなってw

 

 

そういえば蝮ケ池では池主の怒りを鎮めるのに龍神を祀り、それでも足りないからと弁財天を併せ祀ったとされていました

 

あちらは蛇ではなく龍である理由は創建が大正期という時代的な違いではないでしょうか

 

 

さぁ、この先の巡拝で何かさらにヒントが見つかるのかい? 見つからないのかい? どっちなんだい?!

 

 

白鷹龍神 柳里神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

 

本日はこちら、柳里神社です
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何気に名古屋駅から大須観音までの道程で神社を検索したら龍関連の多いこと多いこと、そんなにあるの?となり、じゃぁ巡拝しようじゃないかという元旦の朝

 

なななな~なななな~ナナちゃん、ドロンジョ~♪(なんでっw)
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というわけで名古屋駅から僅か徒歩7分でございます

 

白鷹龍神の幟が林立しており白鷹神社なのかと錯覚しますが幟に隠れて柳里神社の社号碑が見えました

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こちら、主祭神龍神様ではありません!!

 

どゆこと?!w ってなりますよね

 

まず鳥居を潜ってすぐ左手が気になりながらもこちらは主殿へ先に挨拶しなければダメだと感じ正面へ、社殿より手前の参道中央に御賽銭箱が置かれるタイプ
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作法は分からないので我流にて、横を通り神前で二礼、ご挨拶してからこちらへお賽銭を入れて二拍手一礼

 

ビルの谷間ですがもう少しするとしっかり陽が当たるでしょうか
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1697年に天王社として創建されたようなので牛頭天王を祀っていたでしょうか、後に津島社となり須佐之男命が御祭神となります

 

川の氾濫や行政などにより各地を遷座したそうで大正期に軻遇突智命を祀る秋葉神社が合祀されて柳里神社になったそうです

 

どうも一度廃社にされたそうですが再祀されているということはそれだけ御神威があったか凄い嘆願があったことかと思われます、通常の嘆願程度では戻されることは無いでしょう

 

狭い境内ではありますが十分にその崇敬の篤さが伝わってきます

 

狛犬さんもとっても良い表情です
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いや、確かに元旦の午前中ではありますが名駅オフィス街の裏手という土地柄ほとんどだーーーれも歩いてないんですよ、なのに私が居た短い間になんと参拝者が一名、二人ひと組、そして5人組とやって来たのです

 

確かに辰年だし私も来ているくらいですがこりゃ凄い

 

というわけで参道を戻り始めるとまずこちら
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龍神様というよりは蛇神様のような感じですね

 

そしてこちらですね
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実は白鷹龍神とあれだけ幟が奉納されているのにいつどういう経緯で祀られたかがわからないようです

 

先程よりもしっかりハッキリとしたとぐろを巻いた蛇神様
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つまり、こちらの白鷹龍神というのは白蛇が龍に化身したということなのでしょう、龍は伝説上の存在ですが蛇が神になり龍神となるともされていますし、川を龍に見立てその眷属として蛇神が居る的な感じだったり

 

つまるところの、ご祭神が始まる前からの土着信仰、つまり古代祭祀ということで天王社などよりももっと古くから祀られていたんじゃないでしょうか

 

いや、想像ですけども、龍神様が人気だとはいえ供えられているのは蛇神様だし牛頭天王信仰の篤さから廃絶を免れたにしては天王社というより龍神様の方へ傾いているからです

 

白蛇龍神様を祀る祠があり、そこへ天王社が祀られたのかもしくは天王社が遷座を繰り返し白蛇龍神の祀られるこの地へ落ち着いたのかもしれません

 

いずれにしても、鷹の由来は謎ですがこの後渡った走が柳橋でしたので柳里神社となったのでしょう

 

 

さぁ、狙ったというほどでも無いのですがここから龍神蛇神神社が連続します

 

はて、そういえばこれまでも名古屋市内を参拝してきて龍神に関する、しかも白龍系が多い気がします

 

それ即ち白蛇と関連があるのではないかなぁ、なんて

 

なぜだろう、いろいろ調べてみても本格的に理論的な説は見つからなかったのですがやっぱり名古屋の龍脈と言った話は結構出てきます

 

折角なのでその由来などを見つけたかったのですが難しそうだ…

 

そういえば名古屋晴明神社の由緒にも蝮が多く困っていたのを晴明祈祷により蝮が出なくなったとされていたし信長と大蛇伝説まであるようだ、他にも様々な御祭神を祀る境内に龍神が祀られている神社が多い

 

龍神蛇神が多く祀られる、つまり古代祭祀の痕跡である事とキーワードは川、ということで古代の尾張地図を見てみれば当時の名古屋南部はほぼ海、そして有名な(名古屋でだけかw)東海三川、木曽川揖斐川長良川、さらに庄内川が伊勢湾知多湾へと流れ込む大きな扇状地なのである

 

それはつまり川の氾濫も多く水神たる蛇や龍への畏怖も深かったことでしょう、そしてそれらを祀り制することで今の名古屋が出来上がったと言っても良いでしょう、後世になっても川が多く築城風水の観点からも重要だったと思われます

 

でもそれだけでは無い気がする、、、今後の巡拝でその辺の謎が解けるのか否か

 

 

というところで今回の名古屋飯テロコーナー( ´ω` )/

 

と言いながらの伊勢うどん!!

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名古屋じゃねぇじゃん!! あぁそうだよ!!

 

でも名古屋で伊勢名物赤福とか売ってるし伊勢うどんは当たり前に市内のスーパーで買えるんだよ!!

 

というわけで伊勢うどん味噌煮込みとは真逆とも言うべきほぼコシのないやわやわうどん(べちゃべちゃなわけではありません)に甘めでドロっとしたタレを絡ませて食べるタイプです

 

これはねー結構好き嫌いが出るとは思うんですが、私結構好きなんですよね

 

お伊勢詣りに行った時なんか夕食付きのホテルだったのでうさどうしても食べたくて近くのスーパーでやっぱりこんな感じで買って来てこのままチンして袋にタレを流し込んで掻き回して食うという暴挙w

 

そして今回もおかんから「嘘ぉ、お皿使えばええがね」と言われつつ、ええんやこんなんだからこんな食い方が一番手軽で美味いねん、と言って同じ食べ方をしましたw

 

好きだと言いながら逆に伊勢の皆さんごめんなさいw

 

でも普通のうどんだとスープに入れるとかザルやぶっかけでもお皿が必要じゃないですか、でも濃いタレを絡めるだけの伊勢うどんだからこそ出来る食べ方なんです(*´ω`*)

 

さぁ、次の神社も龍神様ですよ!!

 

 

ひとりごち雑記 ~地震と能登と菊理媛命~

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

 

首都直下地震南海トラフはいつ来てもおかしくないといわれる時期に突入していると言われている昨今、私の周りでも今年は大きな地震や事故災害が連発しているからヤバいという声が多く聞かれます

 

 

私が地震に興味(敢えてこう表現しますが)を持ったのは1995年、まさに学校で地震のメカニズムについて学んでいる時でした

 

当時は寝坊こそすれ時間前に目覚める事など無かったのにその日はなぜか、パチッと目が覚めました

 

トイレでもない、何があったわけでもない、ただパチッと目が開いたのです

 

外はまだ真っ暗、時計を見ると5時40分前後だったと記憶しています、前日早く寝たわけでもないのになぜこんな時間に目が覚めたのかも分からずもう一度眠ろうと、、、したのですが今でも二度寝三度寝は当たり前でアラームは5~6回ほど鳴らさないと危ない(笑)ような目覚めの悪い私にはありないほどスッキリと脳が動いていてどうにもこうにも眠れない

 

あれ? なんだこれ? と思っていると大きな揺れがやってきた、時間をあけて更に揺れが大きくなったことで離れたどこかで大きな地震が発生した事を悟った(修正されたのか記憶違いか4だと記憶していた名古屋の震度は3)

 

その後暫くして二度寝出来た私はやはりギリギリに起きて慌てて学校へ、今のように携帯やスマホを持つ学生など居やしませんので家を出る時のまだ少ない情報だけの皆がざわざわしていると始業時間になってやって来た先生が特別にテレビを着けてくれてあの惨状を目の当たりにしたのでした

 

先生にこの話をしたところ、発生数分前だったことを考えるとナマズじゃねぇか?(地盤が割れる直前に発する電気を感知した)と言われたのでした

 

 

まぁご存知だとは思いますが震度1だと環境によっては座っていても気づかない程度、2でも少し動いていたら気づかない、3になるとさすがに気付くでしょうがそれでも歩いていたら全く気付かないでしょう

 

4ともなれば歩いていても気付くしょうが私の経験では夜間の静かな住宅地を歩いている時に何か感覚的な違和感を感じそれによって音に気付き、立ち止まると路面がやや波打つように揺れているのを感じた事があるので日中ガッツリ歩いていると気付かないかもしれません

 

さすがに震度5以上ともなれば恐らく屋外を走っている人でも足が地面に触れる短い時間でも感じるでしょうし、電柱や電線の揺れ、音などで感知するはずです

 

個人差はあるでしょうが感覚的な恐怖感や家屋などへの負担が大きくなるのも5以上で一気に上がると思います、そこで震度5以上の地震について過去の地震履歴を調べてみました

 

 

一部記事などを参考にしつつ地震履歴から目をシパシパさせながら数えたので間違っていたらご容赦くださいw

 

過去50年で最も多く震度5以上を観測したのは意外なことに東京ということでこれにはびっくり、千葉の方が多いと思っていました

 

北太平洋地震の影響も含めた福島茨城宮城、そして北海道、少し減って新潟熊本岩手石川青森千葉鹿児島と続きます

 

最も意外だったのは阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震のあった関西地区は最も多い和歌山ですら6回なんですね、如何に普段大きく揺れない所で起きた災害だったかを今更ながら知りました

 

そして2000年以降を細かく見てみました

1995年 6回  ← 震度7 兵庫県南部地震 M7.3

2000年 8回

2001年 3回

2002年 3回

2003年 3回 ← 震度6弱 十勝沖地震 M8.0

2004年 6回 ← 震度7 新潟県中越地震 M6.8

2005年 11回

2006年 3回

2007年 8回

2008年 6回

2009年 3回

2010年 5回

2011年 60回 ← 震度7 東北地方太平洋沖地震 M9.0

2012年 17回

2013年 11回

2014年 8回

2015年 10回

2016年 29回 ← 震度7 熊本地震 M6.5

2017年 8回

2018年 10回 ← 震度7 北海道胆振東部地震 M6.7

2019年9回

2020年7回

2021年 10回

2022年 15回

2023年 8回

2024年 19回 ← 震度7 能登半島地震 M7.6

 

通常であれば年間3~10回程度の震度5以上を記録する地震が発生しており、目立って数の多い2011年と2015年はそのほとんどが余震活動となっています

 

今年もまだ3ヶ月ながら既に19回発生していますがそのうち16回が能登付近の前震余震活動であることを考えれば目立って多いわけではないことがわかります

 

逆に震度7やM8を記録するような巨大地震があっても震度5以上がこれほど頻発するということはそうそう無いんですね

 

さて、つまり、今年は地震災害の年だ、各地で大地震が連発する、と煽られている方もいらっしゃいますが能登の前震余震をひとつと考えれば実際のところは能登、福島、茨城の三回となり平年と比べても特別多いというわけでも無いということがわかります

 

なぁんだ、じゃぁ怖がることねぇじゃん(*≧▽≦) というのは大間違いで能登新潟沖も危惧されていたようにやはり首都直下地震南海トラフ、そうでなくとも北海道沖、東北沖、千葉沖、長野、東海沖、瀬戸内、宮崎沖、熊本、鹿児島、千島沖縄方面で大地震が起きる可能性は刻一刻と切迫し続けているわけです

 

来ないにこしたことはない、来て欲しくない大地震ですが地球が生きている限り、そして4つのプレートが交わるこの国においては地震は避けられない

 

それこそ、定期的にやや大きめの地震が来ていれば歪みが解消されるから大地震は起きないなんて大間違いな古い説で、大地震の後にさらなる巨大地震が起きるのも通例のようになってしまいました

 

先日の千葉群発地震も巨大地震の前兆であるスロースリップを伴っていることが発表されており数ヶ月~1年は予断を許さない状況ではありますが、何よりも情報を正しく取り入れ相応の準備をする事が大切だと思います

 

SNSやあろうことかネット記事などでも無駄に煽るものが散見されますが、ぶっちゃけいつ来るかなんて専門家でもわからず、前兆の有無もどれが前兆でどれが前兆ではないのか、関連性があるのか無いのか、無いと思っても誘発することだってある

 

つまり

 

ずっと来ないという可能性がほぼありえなくていつ来るかわかんないんだったら常に備えておけ

 

ということですね

 

 

やれ地震雲だ、やれ前兆だ、予言だ、と徒に煽られ、信じ、そして実際には起こらない、これを繰り返していると どうせ来ない という油断に繋がり、いざという時の対応が遅れます

 

あっ、今日はちょうどエイプリルフールですね( 'ω')

 

まさにオオカミ少年、しょっちゅう予言だ前兆だと騒がれていると一定の人が地震なんでどうでも良くなってしまいますよね

 

普段言われている地震雲の99%は嘘です、嘘、気象学的にも解明されている珍しいだけの雲です

 

本当の地震雲があるとすれば、同高度で他の雲が流れているのに不自然に留まり続ける雲がある、つまり大地震前に発生すると言われる地磁気の影響を受けていると思われるもの、かつ、その日の気象条件的に発生する可能性の無いもの、だけですね

 

また、誤報だ、実際の震度より大きな警報を出すな、という声をあげる人もいますが、もしその逆で予報が小さかったり無かったりして油断していたところに大地震が来て被害を受けたらその時こそ文句を言うでしょう?

 

誤報や小さなアラートの時こそ、自分の中で防災訓練をする良い機会なのです

 

地震は予知が出来ない以上、その時どこにいるか、何をしているか、これはもうその人が持つ運でしかありません

 

ですが、どういう時はどのようにして身を守るか、どういう場所に避難すればいいか、というシミュレーションをどれだけ多く出来ているかによって生き延びる、大切な人の命を救える可能性が広がります

 

私はずっと、反応地域を日本全国に設定したアプリを入れていて地震を感知した時点ですぐに確認する癖(毎回は出来ませんが)を付けています、業務中はPCに強震モニターを立ち上げています

 

私の知人の中には緊急地震速報はびっくりするから入れてない(ヲイヲイ)、どうせ直下地震だと間に合わない、とアラートを切っている人も居るのですが...(苦笑)

 

確かに直下で発生するとアラートの方が遅い可能性が非常に高くなりますが、震央が離れていれば数秒でもたった一秒でも猶予が出来ます、机の下に潜る、何かを被る、最低でも身構えたり心を整える猶予があります、それが命運を分けるかもしれないのです

 

もし直下地震でアラートも間に合わぬうちに建物が崩れて避けられぬとしても、いや、絶対とはいえませんが、シミュレーションを何度もしていれば一瞬で気持ちを切り替えることが出来るはずです

 

出来る限り命を守りたいとは思いますが、どうにもならないにしてもその時には僅かでいい、人生における大切な人への感謝や無事で居て欲しいという願い、そして人生を終える覚悟くらいはしてから旅立ちたい、その一瞬があるかないかは大きいと思います

 

 

さて、阪神大震災から約1年半後に西宮を訪れる機会があったのですがその時には所々に爪痕がある、けれど気にしてみなければわからないかもしれない状態でした

 

東日本大震災から10ヶ月、色々葛藤した上で宮古気仙沼、翌年に釜石、陸前高田気仙沼を訪れました

 

センシティブなエリアへ足を踏み入れる、正規ルートではない押しかけボランティアなどは絶対的なタブーで1000%の迷惑でしかありませんが、例えば復興屋台村や営業再開しているお店があるということは、お客さんが必要なのです

 

そして、被災地だけでなくその周辺もまた観光客が止まってしまうと経済が回らない、周りが元気でなければ被災地を支える力が弱くなってしまう

 

 

そうだ、北陸へ行こう(*´ω`*) ←唐突

 

というわけで私も北陸応援割の争奪戦に参戦してみたのですが、いやーもう牛歩以下ですねw 一歩進むのに何度もエラー、やっと進んでもエラーの連続、そして運良く進めてももう一度旅程から組み直せとゼロに戻される

 

私は賽の河原に行こうとしているわけではない!!

 

で、やっとクーポン適用、クレジット確認までを済ませて最終ボタンまで来た!!   ぽちーっ!!   .........エラー、最初からやり直してください

 

アリエン

 

旅程最終確認も決済カード確認も済ませた最終ボタンまで三回も行ったのに全て、最初からやり直しに戻され、そしてクーポン終了...(lll-ω-)チーン

 

いや、マジで、つながらなーいのはやむ無しとして途中まで進もうが最後まで進もうが簡単に全部やり直しってのはほんとアリエン

 

というわけで、第二回のチャンスにもチャレンジ!!

 

こちらはもう一歩も進めない、全く進めない、漸く進めて最後まで行った! のにやはり最後のログインで弾かれて最初からやり直し、、、をまたしても二回喰らい、その直後にクーポン終了

 

いや、ほんと、酷いね、、、某サイトのようにまず入るところで順番待ちor入るタイミングを競う感じでアクセス数制限のみにして入れた人はちゃんと進めるようにして欲しいわさ

 

最悪でも全部やり直しを連発させんのはほんとに酷い

 

アクセス環境が整って無いにも関わらず請け負って、さらにその為にサーバー強化などもせず、それを散らす為に予約日(や時間)を分けたもんだから更に酷い

 

せめて複数の会社が同時に予約開始でもしてれば多少はバラけただろうに毎回一極集中状況を作りだしちゃぁねぇ...

 

いやー、半額になる分だけ現地で沢山使うor寄付に回そうと思ったんですが、まぁ自分が行けなくても他の方達がやって来てくれるでほうからいいんです(*´ω`*)タノンダゼミンナ

 

(*´ω`*)

 

(*´ω`*)

 

( 'ω'   )

 

それでいいのか?

 

いや、実は予約開始前に行くとしたらどこへどう行くかと皮算用をしていたんですよね(´>∀<`)ゝ

 

そしたらもう、行く気満々になっちゃってまして...

 

うん、そうだよね、行こう

 

というわけで費用を抑える為に夜行バスを選択、その結果、新幹線よりかなり早いのでより多く巡れることになった! 帰りは新幹線だけど早割で結構安く出来た!!

 

さらに宿泊は某サイトでの予約直前にふとホテル情報を調べようと公式サイトへ行ったらまさかの応援割直予約分が残ってた! えええええ!?ってことで二泊目も調べてみたらそっちも応援割枠が残ってた!! Σ(゚д゚;)

 

ホテル単独の応援割はもっと前に始まってたからすっかり無くなってると思い込んで完全に考慮外だった...( 'ω')

 

結果、応援割に合わせて制限していた部分までも行きたいところへ行けるようになり充実、さらに金額も応援割よりも僅かに安くなるという驚きの結果が待っていた

 

いやー片道を夜行バス(さらにちょぴっとポイント使用)にしたとはいえホテルのランクを下げたわけでもないし片方は元の予定には無かった朝食も付けたのに半額ツアーよりも安くなるとは( 'ω')オドロキデアル

 

と、いうわけで! ずーっと思い描いていた白山比咩様へご挨拶に行ってきます!!

 

応援割を使わないのにわざわざその時期に行かなくてもいいんじゃない?とも思ったのですがw その後はWの混雑、その後は第二弾があると言われているし(もはや取れない前提w)それが終わると夏休みで混雑が始まる(といいな)

 

そうこうしてるうちにズルズル行かなくなって結局タイミングを逃してしまう気がしたのです

 

元旦早々から御縁(近々の記事になります)のあった白山さん、今思えば能登半島地震が起こったのはその日の夕方でした

 

今回は行けて七尾まで、それより先へは当然足を踏み入れられませんから地域と神々へしっかりと祈りを捧げる神社巡拝を中心にいつもよりちょっと高いお土産wを買い込んで来ようというタダの旅行ですが、、、またいずれ、行けるようになった時に応援しにいけたらいいな(*´ω`*)

 

と、こんな感じの記事を一度下書きし、そして消し、、、もう一度書き、、、うーんやっぱりやめておこう、と再び消す

 

そう、なんかね、ボランティアに行くわけでもなく、地域活性とかいいながら結局神社巡拝がメインで地元のお店を回れる時間は考慮されていない(そもそも一人旅なのであちこちで食べたり買ったりはあまり出来ませんが)

 

それなのに行くぜー! なんて、なんで書こうとしたんだろう、、、って思ったのです(今でも思ってる)

 

二度目に消した後、うん、やっぱり記事にするのは辞めておこう、と決めた翌日のこと

 

いつもの様に家を出る前に無心にして神様カードをシャッフルしているとなかなか神様が出ていらっしゃらない

 

あら、今日はそういう日か、まぁそういうこともよくあるしね

 

なんて思いつつふと 菊理媛様が出ていらっしゃったりして なんて思ったのです

 

この記事の事など頭に無いし、なんなら普通の出勤前なので既にほぼ予定を決め終えていてまだ2週間以上先となる旅程の事など頭の片隅にもありませんでした

 

あれ? なんで菊理媛様って思ったんだろう? っていうか滅多に出てくださらない(大好きな神様ほど滅多に出てくださらない)のにここで出たら余りにもスゴ過ぎるわ

 

なんて考えながら切り続けるとすぐに シャッ と手元から飛び出たカードが一枚、膝に落ちる

 

裏向きのカードを捲り、唸る...............菊理媛様だ

 

たかだか49分の1

 

とはいえククリヒメ様は年に2~3回くらいしか出てくださらないのである

 

でもなぜ? 旅を予約した日ではない、旅に出る日でもない、なんてこともない日に、しかも突然御名が浮かぶと共に出ていらっしゃったのか

 

...あ、記事だ

 

いや、無理やりなんですけどねw でも、ただ出てくださっただけならば有難いと感じるだけなのですが、やっぱお名前が浮かんでらっしゃって本当に出てくださるというのはさすがに何かあると考えてしまうわけです

 

 

これまでもいろいろ調べたけれどやっぱり謎の多い白山比咩神社と菊理媛様、そして名古屋で私の人生の半分を見守ってくださたった氏神様の御祭神であり勝手に姉のように慕う女神

 

 

たしいたことは出来ないけれど、巡拝という自分本意の旅だけれど、しっかり心を込めて巡ってきます

 

 

そういえば、ちょっと気付いたんですよね(実際の巡拝に影響するかもしれないので余り深堀はしませんが)

 

位置的にも時間的にもさすがに今回は渡れませんが、能登島に伊夜比咩神社というのが鎮座されており、それほど大きな神社ではないけれど式内社だという、その御祭神は、、、大屋津姫命

 

なんと、五十猛と共に全国へ木種を巻いて最後に住んだとされる紀州に祀られているスサノオ姫神!!

 

( ゚д゚)ハッ!

 

高天原から高句麗を経て降りてこられたスサノオ一行が降り立ったのは、、、能登!? はじまりに木種を植えた地に浮かぶ能登島を神島として大屋津姫が祀られている?!

 

よく考えたら、七尾とは七つの尾、、、調べてみると由来は七つの尾根だという、尾根とは山々の盛り上がっているライン状の場所を指す、つまりその両側は谷か平地になっていて山に降り注いだ雨は谷を流れ川となる

 

七つの尾根の両側を川とすると、、、八本の川、つまりヤマタノオロチ?! 

 

ま、まぁ何も調べていないこじつけ妄想ですけどね←

 

となると、能登から出雲へと行ったスサノオはわざわざ戻ってきてこの地を収めていた部族を平定したことになる、なぜ最初から統治しなかったのか...否、スサノオが離れた事によって蜂起したから討伐したのかもしれない

 

八つの部族は征服者が去った後に結束を固め、スサノオの国から女性を攫った(これは攻撃を仕掛けた比喩かもしれない)

 

でもこの地に大屋津姫が祀られている理由は?

 

島に祀られている女神、、、つまり巫女

 

では巫女が鎮めていた存在とは、、、スサノオ根の国を目指した理由、その地に眠るのはイザナミ、、、白山比咩神社!?

 

え、まさか? 菊理媛の正体が大屋津姫命?!

 

いや、さすがにそれはありえませんね、だってスサノオが生まれる前にイザナギイザナミを結びつけた存在という一点のみがククリヒメとして描かれている事ですから

 

ただ、大屋津姫はスサノオの娘とされていますが母神が分かっていないということもあって本当に娘なのかもわかりません

 

いやー、巡拝前なのに勝手に考察するなんて初めてのことで、しかも無知で参拝する流儀のくせに事前に固定観念持ちまくりで行くってどういうことだ?!と自己ツッコミw

 

でも避けてきた事をこうして行っているというのも何かしら意味があるんじゃないかと前向きに捉えておきましょう

 

 

まずは、何事も無く巡拝が出来ますように

 

無事に行くことが出来たら、恐らく記事は5月半ば頃から上がるかと思います(*´ω`*)

 

 

いやー、なんだろう、巡拝が新しい次元に入ってきた気がするけれどハードルを上げるだけ上げておいていざ巡拝したらなーんにも無かったー(*^▽^*) なんてことにもなりそうですがw

 

まぁそれはそれ、ってことで( 'ω')b

 

名古屋寺巡り 日泰寺・大須観音・万松寺

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本当は年明け早めに記事を書く予定でそのまま忘れていたが為に思いっきり巡拝と同じ流れになってしまった名古屋寺巡り

 

と言っても神社巡りがメインな私にとっては数少ない毎年のルーチンとも言えるお寺ですのでいつも読んでくださっている方にはお馴染みのお寺ですね

 

名古屋に限らず年に一回以上参詣しているお寺はこの三箇寺と東京の深大寺くらいじゃないかな

 

まずはこちら、日泰寺、、、から北へ10分弱の釈尊御真骨奉安塔です

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シャム王国のお計らいにより各仏教国がお釈迦様の御真骨を拝受出来る事になり、さぁこれは大変だ、そんな御力のある御真骨をどこの寺が拝受するのか、これは宗派の多い仏教にとって大問題でした

 

数百年前だったら戦争が起っていたいたかもしれないこの事態に各宗派の代表が集い出した答えは、どこにも属さない国内唯一の無宗派寺院を創って奉安し住職は交代制としよう、という最強の平和的解決案でした

 

何ヶ所か候補があった中で広大な土地の寄付があり列島の中心に近い名古屋が選ばれました

 

当時の名称は覚王山日暹寺、日本とシャム王国(暹羅)を繋ぐ寺として建立され、やがてシャム王国タイ王国となったことで日泰寺と変更されています

 

恥ずかしながら最近知ったのですが、、、各地にある舎利塔には所謂依代的な石や水晶が納められていると思っていたら御真骨が納められているとされる所もあるんですね

 

ではなぜ日泰寺だけが日本で唯一とされるのか、それは由緒が確実に分かっているのがこちらだけだからなのだそうです

 

 

裏手は一般のお墓になっていますが参道は真っ直ぐこちらの奉安塔へと繋がり、奉安塔の為だけの境内となっています

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普段は神社巡り一辺倒な私ですが、こちらに来ると自然に全身全霊の力が抜けて普段心に背負っていることなどどうでも良い事だと思えて純粋な心で感謝の気持ちが持てる、戦争や災害などで苦しむ人々に少しでも安寧が訪れるように願えるのです

 

覚王山駅から北のこちらが日泰寺本堂、こちらにはタイ王国の国宝だった釈迦牟尼如来像が安置されています
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みなさん御存知無いのか、こちらにはいつ来ても参拝されている方が多いのですが奉安塔には例え元旦であっても僅かにしか参拝者が居ません

 

もし日泰寺を参拝されることがあったら是非、10分ほど北東へ歩いた奉安塔へもお参りください

 

続きまして名古屋人なら外せないお出かけスポット大須観音
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今回は巡拝の流れでやって来たので実は表参道って初めてですw

 

後村上天皇勅願所の北野山真福寺寶生院で御本尊は聖観音です
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大須観音は広大なアーケード街となっていて所狭しと新旧の店舗が連なる一大テーマパークのような場所なので三賀日の人出は凶悪ですがw それ以外でも土日祝日を中心にいつでも大賑わいな街です
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大須観音名物と言っても良いでしょう、鳩の餌やりで鳩まみれになることも出来ます
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大須グルメでオススメなのは名古屋風お好み焼き!
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こちらもご時世により値上がりしましたがそれでもミックス(豚・イカ・卵)で一枚350円、ソースを塗ったら半分に折り曲げてアルミホイルと緑色の紙でクルクルっと包まれて渡されますので口の端はソースまみれwになりますが手を汚さず食べ歩ける最優秀食べ歩きソウルフード!!

 

食べ歩き出来ると言っても一枚で結構お腹いっぱいになるボリュームなのでお持ち帰りで夜食や新幹線の中でなんてのもアリ!

 

ウン十年前なんかはもっと町のあちこちにお店(一坪で出来るw)があったので中高と部活帰りに豚玉200円を食べるのが楽しみでした(*´ω`*)

 

そんな大須観音ですがアーケード街の反対側にあるのが再建で随分とモダンになってしまって ん? という外観になってしまいましたが(個人的には昔も今もそれぞれ好きです)織田信秀公により織田家菩提寺として建立された亀嶽林萬松寺
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パチンコ屋か?ってなくらいに華やかな和傘模様を映し出した横長の液晶パネルが煌びやかで昔のような蝋燭立ち並ぶ独特の雰囲気は全く消えてしまいました

 

賛否ありますし私もあの古い雰囲気が大好きでしたが今の方が参拝者層も広がり多くの人で賑わっているので時代に合わせてということでアリだと思います(*´ω`*)

 

ちなみに萬松寺のすぐ近くに私イチオシの名古屋喫茶店 コンパル がありますので是非!!
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今回は元旦で営業していなかったのですがコンパルも私が帰省したら必ず行くお店のひとつであちこちにあるのですが大須店のThe喫茶店という独特の雰囲気は他店舗では味わえないのでオススメです

 

珈琲はやや少なめですが名古屋らしく濃いめの苦め
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珈琲は濃くて苦くてナンボという土壌で育ったので未だに自分で淹れる珈琲は苦味の強い豆を選び通常の倍の豆を使いますw

 

そしてコンパルでアイス珈琲を頼むとこうなります
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これを、自分で、こうじゃ!!
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なんで自分でやらされるん?と思います?思いますよね?

 

私もそう思いますwww でも、これが良いんですw

 

いや、ちゃんと拘りがあるんですよ!! ホットコーヒーと同量の豆で少なめに入れられた熱々のコーヒーを飲む直前に一気に冷却することで風味を損なうこと無く、そして溶けた氷によってホットコーヒーに遜色無いままアイスでいただけるのです

 

いや、マジでうめぇから自宅でもやってみて? 濃いめ少な目に淹れたら冷める前に多めの氷へ一気に注ぐ!! ゆっくりじゃないぞ、一気にだぞ!!

 

あと大人気なのがこちらのエビフライサンドですね、独自レシピのソースとタルタルが最強!!
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ですが、私の推しはカツサンド!! ソースはちょっとケチャッピードレッシングな雰囲気でこれがまたうめぇんだ(*´ω`*)
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ちなみにたまごサンドも美味いぞ(*´ω`*)

 

あと店舗限定なのですがホットドッグがまたうめぇんです! シンプルなんだけどキャベツは胡椒が効いてしんなりとしていてこれが他に無い味、是非ご賞味あれ~

 

 

おおぅ、お寺と食べ物が同量になってしまった気がするけれどこんな回も良いよね~ってことで(*^^*)

 

 

池の主神 蝮ケ池龍神社・辯天社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

小高い丘の上に鎮座されていた蝮ケ池八幡宮から池下駅へと降りていくと鎮座されているのがこちら

 

蝮ケ池龍神社・辨天社です
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いやはや、先程まで雲はあれど青空の方が多かったのにどっぷりと曇りました、勿論、参拝を終えて離れるとまたすぐに青空

 

さて、やはり丘上ではなくこの辺りが蝮ケ池だったようです、かなり広かったそうでマムシが多く出たからというのが有力な説のようです

 

やがて時代が移ろい街造りが進んだ大正期に池を埋め立てて建設工事を開始したところ事故が多発、責任者は原因不明で倒れるなど凶事が相次いだ事から池主大神、つまり龍神を祀るよう当社が創建され、それでも収まりきらなかったのかさらに辨財天も祀られたそうです

 

まぁ気象条件なんて偶然でして私ひとり(おかんも居ますがw)の為だけに天候が変わるなんてこたぁ無いわけですが、それでもやっぱり近付いたら真っ白に曇り離れると快晴になるとそりゃ信じたくなりますよ

 

ちなみに年明けの日泰寺詣りの帰りにぼーっと歩いていたら方向を間違えて覚王山ではなく池下へ来てしまったので再度参拝、この時は思いっきり晴れていましたがこんな感じの三角値に祀られています

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ちなみに鳥居は無く境内に入るところへ御神域を分けるかのように木の根が這っております、やや踏まれてしまっている感もありますがとっても美しい
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右手が祭壇のようになっていてこちらにも彫刻が、やっぱこの雰囲気好きです(*´ω`*)
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半分網が張られていますが四角い池、そして二社が並んでいます
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空模様もあってとても不思議な感覚になる御神域ですね、参拝時には謂れを知りませんでした知った上で考えると地鎮というか池鎮というやや重厚感がありました

 

お社には御祭神の書かれた札が掛かっているのは見えるのですが肝心な大神の上が紙垂に隠れてみえすw ただ左手に蝮ケ池大神の石碑があるので正面(左手)が龍神社でしょう

 

境外から見ると中央のお社前に彫刻があるのですが龍のようにもガネーシャのようにも、、、とよーくアップにして見ていたら目に見えていたのは球ですね、左右の龍がそれぞれ手に球を掴んでいます

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いやー、、、分かった上で見ても胡座をかいて座るガネーシャに見えてしまう(≧∇≦)

 

ちなみにどちらも大きな鏡餅が供えられていました、橙が無いのはカラス対策でしょうかね
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いやはや、池下駅は住んでいた頃から何度か使ったことはあったのですがこんな近くにこうした場所があるとは知りませんでしたし池下という名前の由来も初めて知りました(*´ω`*)

 

やはり八百万の神々に守られる国、例え寺社仏閣やお墓でなくとも山や森、川や池には神様や人々の想いが宿っていますから無闇矢鱈に破壊するのは良くないですね

 

とはいえ理由があっての開発もあるでしょうが、それなりの想いを持ってしっかりと礼を尽くした上でお遷り頂くとか小さくても感謝の祠を遺す場所が多いというのはそういうことですね

 

さて、さらに名古屋巡拝は続くのですが、ここで問題です

 

じゃじゃん

 

名古屋と言えば?(ザックリ過ぎるw)

 

ちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっ

 

はい!!

 

ドラゴン!!(酷い問題)

 

いや、私どっちかってとサッカー推しなので(シャチも正解としますw)すがそれは置いといで

 

そう、ドラゴンズなんですけどね、よく考えてみたら子供の頃から当たり前のように龍にまつわる単語やお祭りを目に耳にしてきたので特に意識してなかったんです

 

こうして神社巡りを初めてみると、、、ちょっとなんか名古屋って龍の神社多くない?!

 

ってなわけで辰年の今年に最適な龍関連の神社をいくつか記事にしますのでお楽しみに~(*´ω`*)

 

そういえばどんどん曇ってくるなぁ、と八幡宮から歩いて居る時にふと足元を見たらマンホールの蓋がアメンボでした(*´ω`*)
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さぁやってまいりました名古屋飯テロコーナー!!

 

本日はコーチラー、風来坊!!
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瑣末なブログではありますが以前から見て頂いている方にはお馴染みの食べ物しか出てきませんねw 年イチ帰省なので食べたいものが固定されてしまうんですw

 

名古屋と言えば手羽先!! 手羽先と言えば山ちゃん!! というのは観光客目線、勿論山ちゃんも美味しいですが手羽先と言えば誰がなんと言おうと風来坊です(´◉ᾥ◉`)

 

持ち帰りの間にがっちゃがちゃになってしまっていますがw
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表面はパリッと、小ぶりなのに中はふっくら肉汁ジューシーなので骨離れも凄く良くて食べやすい、ガンガンビールやレモンサワーが進むやーつです⸜(*ˊᗜˋ*)⸝

 

ただ持ち帰りだとやっぱりパリパリ感が失われてしまうので(それでも美味しいですが)出来れば店舗で食べて頂きたいですね(*´ω`*)

 

暖簾分けが主なお店ですから古ければ古いほど(必ずではありませんが)年期の入ったお味となっておりますので店舗毎に基本の味には忠実に守りつつオリジナリティもあって良いですよ(*´ω`*)

 

ちなみに以前は店舗でなければ買えなかったのですが今や市内のスーパーでも魔法のスパイスが手に入ります(*´ω`*)

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まぁ秘伝の味そのままではないでしょうから手羽先や焼き鳥に掛けても風来坊老舗店舗と全く同じ味とはいきませんが十分以上に美味しいです(*´ω`*)

 

手羽先は勿論、ポテトフライをシャカシャカしても酒のツマミに最高ですしお肉や野菜、焼き物系炒め物系のメインでもちょっと隠し味でも最強です( ´ω` )/

 

お取り寄せでも楽天などで買えますから是非~♪

 

兼松源蔵の元邸内社 蝮ケ池八幡宮

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

名古屋巡拝、開幕です( ´ω` )/

 

ふとしたことから突然その存在を知った蝮ケ池八幡宮です
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立派な幟、そして参道の先は、、、見えない?!
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と思ったら薄暗いだけでそれほど高くは登らないようです、というか表から見てこんな高台があるようには見えなかったなー
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参道には個性的な狛犬、というよりシーサー?が供えられた大きな岩、、、よく見ると左を向く狛犬のように見えなくもない? ちょっと目と耳に当たる上部が無くなっている感はありますが(´・ω・`)

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右手に社務所、左手に手水舎、ごく普通の雰囲気ですが
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境内全部そうですけど手水舎って豪華とかシンプルとか無関係にその雰囲気でその神社の性格が凄く出ますよね、わたし、多分こちら、好きです
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まぁ鳥居の前から、そして潜れば大体はその性格はわかりますが

 

では石段を上がります、っと、それほどキツイ階段ではないのですが丁寧に遥拝所が用意されているので高年齢の氏子さんが多いということでしょうか、やっぱり手水舎で感じた通りとても心遣いを感じますね
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心地よい参道を上がると
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右手に鳥居、、、の向こうには何も無い?!
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案内板でも無く御神木でもなく八幡社の社号碑と龍神大明神は少し脇なのである
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元々この後ろに蝮ケ池があった、とかそういうことなのだろうかとも思ったのですがこの高台に池を作るだろうか

 

下の岩に供えられていたのと同じタイプの素敵な龍さんがいらっしゃいますね、こういう雰囲気、大好きです(*´ω`*)チョット沖縄ッポイ
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左手には境内社が並びます
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正面社殿の三社合殿は伊勢神宮から下賜された御神木で再建されたそうです、須佐之男命を祀る津島社、迦具土命を祀る秋葉社、州原社は伊邪那岐命伊邪那美命大穴牟遅命が祀られるようです

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となると左手が鎮霊社でしょう、祖霊か地域の戦没者が祀られているかと思われます

 

いやー、年末差し迫って全く人が来ない、なんと長閑なんでしょう

 

さきほどの鳥居横には中央に賀正と貼られた神楽殿f:id:hinoki_kaonashi:20240130100407j:image

 

そしてこちらが主殿、いやーーー良いですね、良い(*´ω`*)
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The八幡様!! と言いたくなるような素晴らしい御社殿ですね

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御祭神は応神天皇、1624年に地元の大庄屋が石清水八幡宮より勧請した屋敷神だったのですが地域住民からの請願によりこの地へと遷座されたそうです
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邸内社が請われるほどに地域から見て大庄屋さんに御利益が凄かったということなのでしょう、と調べてみたら兼松源蔵は名古屋新田を整備するなどかなり名古屋の発展に寄与された方なんですね
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というか大庄屋と言えば武家ではなく商家さんですが、自ら京都から勧請しているのにお稲荷様ではなく八幡様というのは珍しいと思ったのですが肩書き?は尾張藩士だったようです

 

そうかー、この物凄い和やかさと居心地の良さはそういうことだったんですね、地域の想いが溢れている(*´ω`*)

 

だからこそ400年経っても変わることなく大切にされ続けている

 

奈良京都でとんでもない神社を巡拝してきた後ですがほんと、神社は決して古さや格だけではない、それぞれにそれぞれの素晴らしさがあります(*´ω`*)

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いやー、おかんも一緒だったのですがそれでも少しのんびりとして温かな御神氣をいただきました

 

おぉ? 石なのに苔のようでもあり青錆のようでもあり、でも青錆にしては上から垂れたというより穴から湧いているような
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じーっと見ているとお猿さんに見えてきました(≧∇≦)

 

参拝を終え階段を降りていくとこちらにも素晴らしい巨石が
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こちらはほんと、何か不思議さや美しさの凄い石がありますね、そしてやっぱり彫刻が供えられている、石愛を感じます

 

とにかく素晴らしい氣に満ち満ちている御神域でした(*´ω`*)

 

 

さてさて、恒例の名古屋飯テロ♪

 

名古屋に帰ったら絶対に食べる山本屋の味噌煮込み(*´ω`*)
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当然ですが八丁味噌が濃いので白飯必須ですw

 

山本屋は総本家と本店とチェーンが別れておりますがどちらもほぼ味もお値段も一緒、これだけ濃い味噌でもかなり強く主張してくるカツオ出汁が最高!

 

ちなみに本店では以前はお漬物もご飯もおかわり自由だったのですがこのご時世なので中止になってしまったようです、残念
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最も特筆すべきところは土鍋と味噌という保温性抜群でグツグツ状態でも伸びてしまわぬよう専用に開発された麺! ほったらかしにして(そんな事は無いでしょうが)冷め切るまで置いておいてもうどんは伸びません

 

知らずに食べると生茹でで芯が残ってると言う方もw(土鍋でグツグツ提供されるのでそんなわきゃありませんw)

 

ちなみに山本屋の土鍋は蓋に空気穴が空いていません、これは熱すぎるため蓋をお皿にうどんを冷まして食べることも出来るようになっているのです(。-_-。)b

 

そしてこれ!! 久田見あげ焼き!!
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いやー知らなかった、厚揚げといえば栃尾と思っていたのですがこちらは岐阜なんですね、栃尾に勝るとも劣らないと言っても過言では無い美味しさ(*´﹃`*)

 

なんでも予約困難レベルに人気があるそうで納得のお揚げ、いや、お味でした(*´ω`*)

 

 

なお、高いので食べませんが観光で行かれる方は是非名古屋コーチンの焼き鳥もあるので食べてみてください

 

味噌煮込みメニューにあるコーチンも良いですけど串焼きになっている方がより地鶏の旨さがわかると思います(*´ω`*)

 

鴨氏と秦氏とサルタヒコ

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

今回は葛城三社、山城二社を巡った鴨族の総括回でございます
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総括と言いましてもあまりにも複雑過ぎてまとまりの無い記事になるかと思いますが( ̄▽ ̄;) それほどに、知れば知るほど、調べれば調べるほどに謎が増えて行きました

 

まず私は勝手に記紀考察と称し、最後の記録とされながらも神話のような書き方で複雑に描かれ、さらに編纂者による改竄なども否定出来ない記紀だけを頼りに自分なりの考察を行いました

 

そもそも神話における都市伝説が好きだったものでそういった人の考えた情報に頼ることなく(ある程度は影響してしまいますが)考えるには、今の世にある先代旧事本紀(僅かに参照しましたが)や竹内文書、宮下文書、出雲口伝などは除外してまず記紀だけに絞ろうと考えたのです

 

その結果、それまであまり感じていなかったスサノオの存在感に気づき、そして味耜高彦根というキーポイントに辿り着きました

 

その直後、偶然旅先に選んだ地、長岡に味耜高彦根が祀られている、そして違うかもしれませんが高照の扁額が掛けられた神社があった

 

もうどうにもこれは調べなければならない、と葛城鴨三社の事を知り、その流れで山城賀茂二社と併せ参拝しました、この間僅か二ヶ月というから自分でも驚きです

 

では、各社伝を組み合わせた勝手な解釈に入りますw

 

渡来人だとされる鴨族はまず葛城の地に降り立ちます、そこで祖として祀られたのが味耜高彦根と高照姫、同様に鴨族が祀った社では事代主と下照姫(高照姫と同神とされる)となっていることから味耜高彦根は事代主という職位にあったという勝手な考察が合っていた可能性が大きくなりました

 

つまりは、大己貴が大国主という統治王になったのと同じで、大物主など〇〇主というのが役職名である可能性は非常に高くなります

 

何が困るといって、所謂オオクニヌシには名前が多くあり過ぎる、それが呼ぶ人の立場によるもので同一人物の事を指しているのか、はたまた代替わりした子孫や後継者を指しているのかというところが大きな問題ではあるのですがこれは置いておきましょう

 

大物主といえば大神神社、その社伝では大国主の元へ我を祀れと大物主が現れ三輪山へ祀った事で国造りがうまくいったとあります

 

主が職位名で魂が所謂戒名のようなものであると考えると、大物主は決して魂ではなく生きていたということになります、つまりは地方統一に苦労していた大国主が大物主を派遣し、三輪山を拠点に大物主が大和を制圧したことで国造りが成ったということではないでしょうか(勿論、自分自信が大物主となって大和征伐に向かったという解釈も出来ますが)

 

となれば、大物主は誰なのかということですが神武天皇に嫁いだ媛蹈鞴五十鈴媛命は大物主の子である、また事代主の子であるとされている、つまり同一人物である可能性が高いとされています

 

それが私は、味耜高彦根だと解釈しています

 

そして味耜高彦根大国主の娘下照姫を娶った天稚彦だったのではないか、戻らぬ事を怪しまれ死んだ事にした為、死という穢れを受けた大物主は魂として祀られ、新たに事代主という役職に就き三輪に続いて葛城の地を制圧した

 

三輪氏と賀茂氏は同祖とされているのでこの解釈は問題無いと思うのですが、ただし大物主と事代主を繋ぐ祖が居ると考えると兄弟ないし親族ということになりますのでここは無理をせず、ただ記紀に大物主=事代主とされる記述が多いのは無視出来ないかと思います

 

葛城に降り立った味耜高彦根は現地の豪族と協力しつつ多紀理姫の血を引く正当祭祀の下照姫の力もあり鴨族として大きな力を付けていきます、迦毛之大御神が坐す地が鴨や加茂ではないことが元より葛城氏が治めていた地でかなりの豪族だった事が伺えます、、、あれ?

 

ここで年代的な謎が、、、調べると鴨族は葛城氏と共存していたという説を多く見かけたのですが、肝心な葛城氏の祖とされる葛城襲津彦は竹内宿禰の子とされており4世紀頃に存在したとされていますが八咫烏が神武東征に協力した時代には葛城姓はまだ存在していないはずなのです

 

つまり、鴨族が居た頃の現葛城の地には別の豪族が居たということになります、それは誰か、そう、神武東征で敗れた長髄彦ではないでしょうか

 

長髄彦を倒し(裏切りでもある)神武東征を助けた八咫烏山城国へと移住(全てではない)し治めた、長髄彦が居なくなり鴨族の一部が残った地にやがて東征の功績により椎根津彦が国造に任命され葛城氏となりその地が葛城となった

 

あれ?でもそうであれば確かに長髄彦は強大な豪族ですがニギハヤヒ(私は味耜高彦根だと思っていますが)に仕えていたのであればニギハヤヒ側の名前が地名でも不思議は無いはず?!

 

と調べてみるとなんと葛城山は古来、鴨山と呼ばれていたそうです!!

 

ではいつから葛城に?と調べてみると神武天皇がこの地で土蜘蛛を捕らえるのに葛で編んだ網を使ったことから葛城と呼ばれるようになったんだそうです、つまり鴨族が去り地名が葛城となって国造が葛城姓を名乗る事になったんですね(葛城の由緒、実は野口神社の案内板に書かれていましたね)

 

...はて?土蜘蛛?手足が長い、、、長髄彦?!  土蜘蛛を調べると天皇に恭順を示さなかった土豪の総称とあり長髄彦もそのひとりと書かれていますがそもそも初代天皇を神武とするのであればその呼称の由来が長髄彦であっても不思議は無い?!

 

ただ資料によってはヤマト王権に恭順しない~と天皇とは書かれていなかったりするので実際のところは不明です

 

ではなぜ京鴨社にはその御祖である味耜高彦根が祀られていないのか、勝手な解釈では恐らく鴨族=八咫烏ではあるけれど実際に神武東征を助けた一族が八咫烏として分家していったと考えても良いかもしれません

 

いずれにしても祭祀の知識を持っていた鴨族なので京賀茂氏にもその力は受け継がれており、天皇家とも密接で宮廷祭祀にも大きな影響力を持っていた事が賀茂大社の斎王制度に現れています

 

山城国へ移った鴨族は後に移ってきた秦氏と密接な関係にあったと思われます、それはつまり説のひとつではありますが賀茂氏玉依姫秦氏が祀る大山咋神の間に賀茂別雷が生まれているとされることです

 

ただし、大山咋神には大年神の子という説もありそうなってくると鴨族と親族であることにもなってくる、、、難しい!

 

大年神というのが尊称のひとつであり全てが同一人物ではないという可能性もありますが、実際に葛野の地を治めた秦氏氏神 松尾大社の社紋は鴨神社と同じ二葉葵であり松尾山の別名は別雷山というのですからかなりの関係性があることは間違いありません

 

ちょっとこじつけですが、松尾大社の前を流れる桂川と鴨社の前を流れる鴨川はやや歪みつつもY字を形成しおり、そしてその扇状地平安京があった、さらにやや下流ですが鴨川の東側には稲荷山もある、いかに力を持っていたかが伺えます

 

この頃には既に鴨族は多岐に渡っており、また姓からカモという文字が消えていったりもしているので追うのは諦めましたw

 

、、、といったところでふと浮かび上がった一説はたかが一説と見逃す事が出来ないものでした、それが伏見稲荷大社を創建したとされる秦伊呂具の存在です

 

秦伊呂具は稲荷社家系譜図におい賀茂建角身命24世賀茂県主久治良の末子だと書かれているそうなのです

 

めちゃめちゃザックリですが世代的に1世を30年として計算すると、24世の末子ということで25代をかけると、、、750年になります、、、なんと、伏見稲荷大社の創建年711年から逆算すれば八咫烏とされる賀茂建角身の代が神武天皇即位の時代に重なってくる!?

 

これがその通りであれば、賀茂氏から秦氏が派生していることになる、またはやはり姻戚関係などにより強く結びついていたことの証左となるわけです

 

 

こちらも社紋で気になっていたのが高鴨神社の社紋です
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天皇を表す菊花紋の下に川が流れているのです

 

調べてみると、南北朝時代南朝に属した楠木正成がその功により後醍醐天皇から菊花紋を下賜されたもののそのまま使うには畏れ多いとして縁のある川を併せた紋だそうです

 

あっ、だから参道に楠木正成像があったんですね!!
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高鴨神社の記事を書いている時には正成公が高鴨神社を崇敬していたからだと思っていたのですが由緒ある神社の社紋が正成公の家紋となるとかなりただごとではない

 

さらに調べてみると、楠木正成の素性は自称橘氏ということだけではっきりと分かってはいないそうで、物部氏である、つまり鴨族である、などとされているようです

 

最古の神社のひとつにも数えられる神代創始の高鴨神社が崇敬篤かったというだけで南北朝時代に活躍した武将の家紋を社紋にまではしないでしょう

 

公式でも特に触れられてはいないのが気になり調べてみたのですがどうも調べた説にも様々

 

葛城山へ狩りに登ると天皇だけに許された装束を着た者に出会い無礼に怒るも大神だと知り献上品を奉じたというのですが、別説では怒って一言主を土佐への流罪にしたと言われています

 

調べてみると実際に土佐には高鴨大明神が祀られているのですがそこにはアジスキタカヒコネが葛城から来て土佐を開拓したとされており、なんと愛媛には社名も同じ高鴨神社まであります

 

さぁこれはどういうことか、勝手に解釈

 

葛城の地を治めていた鴨族は神武東征に貢献し、その一族が山城へと移り住んだ、やがて雄略天皇の代(450年頃)に大和における鴨族の権力を嫌って土佐へ流罪に、葛城から鴨族が消え山城が残ります

 

やがて764年7月とありますので4ヶ月後に淡路へと流されることになる淳仁天皇の代に葛城へ復祀されているそうなので300年ほど葛城から追い出されていたことになります

 

その間に強大な力を付けた山城鴨族が歴史の主舞台へと立っていったと思われます

 

では総本社でありながら流祀(神社ですからね)になった高鴨神社は葛城に戻ることが出来たものの苦労したでしょう、というよりも天皇により島流しにされているので戻れるというのは天皇による力だと思われますが、戻ってすぐに流罪により天皇が交代している事を考えると、、、? 直後に称徳天皇として復帰即位した孝謙天皇八咫烏である熊野総本宮を日本一大霊験所としているのです

 

調べてみるとそもそもでした、鴨族は葛城だけでなく熊野にも勢力を持っていたんですね、つまり孝謙天皇に貢献(ギャグじゃないですよ)した熊野鴨族により、いや、年代的な事を考えると高鴨神社の復権を条件に孝謙天皇の復帰に手を貸したと考えることもできちゃいませんかね?!

 

しかもですよ、しかも、称徳天皇で調べると当時の衣装を再現した(のか?)というお祭りで天皇役が着る衣装には肩にド直球の八咫烏マークが入っているのです

 

これ以上詳しく調べていくとほんとに何の話かわからなくなるのでここまでにしますが(既になってる)、、、つまり、味耜高彦根を祖とする鴨族は数多くの氏族へと分家していった中で苦労した葛城と成功した山城という状態になってしまった

 

だから族の祖である味耜高彦根ではなく氏族の祖である賀茂建角身と玉依姫を祭神としている、ただし葛城や熊野も共に八咫烏を名乗っていることや高鴨神社が鴨族の総本宮であることに異を唱えてもいない

 

そして話がやっと戻ってきました、葛城鴨族が天皇家と密接な関係に戻るやいなやなんと京が山城国へと遷都してしまうのです

 

決して山城賀茂氏の策略であるとまでは思いませんが、いや、思いたくはありませんので恐らく、300年の間に葛城の鴨族は周辺へと散ってしまったのでしょう、高鴨神社が戻ったからと言って300年のブランクがそのまま埋まるとは思えません

 

やがて迎えた南北朝時代、そう、実際に鴨族の血族かどうかは別として南朝方に属した楠木正成が崇敬篤く参拝していた高鴨神社にも同じ神紋が使われているということは、葛城八咫烏南朝後醍醐天皇方に付いたということではないでしょうか

 

調べてみるとビンゴ! 後醍醐天皇八咫烏を崇敬していたと出てきました!

 

ただ、血筋が枝分かれしているとはいえ皇祖を同じとする天皇家が即位争いをしているわけですから、八咫烏もまたそれぞれで南朝にも北朝にも協力していたでしょう、だって天皇家に入り込んでいるのですから

 

葛城と山城であまり仲が良い雰囲気は感じませんが、だからといって敵対している風も無いわけですからそれも時代の流れとして捉えている、願わくば時相応にそれぞれの最前を尽くし何があっても鴨族は残り繁栄する事を第一としていたのではないと思います

 

まぁ、、、部分部分しか調べずに書いているのでもっとそれぞれを細かく調べたら お前何言うとんじゃ って感じかもしれませんがこれが私の落とし所ですw

 

こうなると結構繋がってきちゃいます、大御神の尊称で呼ばれる神は僅か三柱、神話においても初めて人の姿であり性別を持った神である伊邪那岐大御神、皇祖神とされる天照大御神、では迦毛之大御神とされる味耜高彦根は何故?というところですよね

 

つまり、北朝南朝なんじゃないですか...?

 

都市伝説寄り寄りの寄りですが、明治天皇が実は即位時に入れ替わっていた説があります、これは学友と写った頃と即位後の写真で人相が違うということ、また歴史的に北朝天皇が続いてきたにも関わらず正当な天皇家南朝であると明治天皇自身が発言したこと、南朝天皇明治天皇として担ぎ上げすり替えることで九州勢が入れ替えたという説ですね

 

逆説だと、写真写りの問題なだけで発言も南朝方に華を持たせたなどと言われています(それにも違和感が大きい)が、どちらにしても北朝南朝それぞれに皇祖神が居ると考えた場合です

 

本来であればスサノオだったのでしょうが厄神とされてしまったのでそれは難しい、続いて各地で強く祀られた大国主が一大候補になるはずですが王朝としては滅びてしまった、そこで味耜高彦根です

 

私の勝手に考察では味耜高彦根天孫族天稚彦であり大国主の子は子でも下照姫を娶った義理の息子だったのではないかと考えていますので結局のところ、天孫族です(まぁ血縁によって殆どが天孫族にも国津神にもなっていくわけですが)

 

兄妹とされていますが天孫族である天稚彦=味耜高彦根天孫族正当祭祀王の血を引く下照姫を娶った、つまり天孫族の血族です

 

大御神は始祖である伊邪那岐高天原天照大御神、そしてこの島に降り立った迦毛之大御神ということになり、ひと柱だけ影のような存在になっている理由は歴史の表舞台から消えてしまいつつも裏の存在八咫烏として存続しているから、というのはどうでしょう(*´ω`*)←聞くなw

 

山城鴨族は天皇家にも入り込んでいったのでその代表社である賀茂大社にも斎王制度が敷かれ伊勢と並ぶ、高鴨神社ではなかった理由は上述のように一度流祀にされるなど所謂ケチがついてしまっていたからであり、京鴨で大御神が祀られていないのもその理由であると考えればスムーズですね

 

記紀南北朝よりもかなり昔に書かれているわけですが編纂されたのは高鴨神社の流祀・復祀後なのでその辺の事情も入っていた事でしょう、そして山城鴨族の力が確立されていくのは後の平安時代になります

 

どちらかと言うと裏の存在でありながらも脈々と着々と力を付け続けた所謂出雲族、鴨族の凄さと言うべきでしょう

 

つまるところの、時々大きな喧嘩もしてしまうけれど結局の所ではしっかりと協力しながら国を守っていると考えたいですね

 

え? 天孫系なのになぜ出雲系を祀り続けているかって?

 

そこなんですよ!! 一説では出雲系を裏切って(見限って)ヤマトで王朝を開き、さらに神武天皇に寝返った味耜高彦根と考察する向きもあるようですが、だとしたら鴨族系神社でちゃんと出雲系も祀られているのはあまりに不自然です

 

出雲大社大国主を封印しているという解釈もありますが、だとしたら斎王を置く官幣大社で本宮の目の前に大国主を祀っているはずがないのです

 

え?あの十二支に分けて名前も分けて祀っているのが封じているんだ、という声が聞こえてきそうですね、まぁそれはそれで個人的には面白いからありです(≧∇≦)

 

じゃぁ高鴨神社で出雲大社の神札授与が始まった理由は?

 

...あ

 

北朝側として出雲系を封じる立場の山城と南朝側として出雲側に立つ葛城という見方が、、、出来て、、、しまう?! 厄神封じとしてスサノオを祀っていることを考えると平安の考え的にありえなくはないですね

 

 

いやー、長いですねー、でも強大な氏族の話であり最強の謎と言っても良いくらいの八咫烏であり葛城山城鴨五社の総括なんだから仕方がない!! これは記事を分けられん!! ってことで継続します(៸៸>∀<៸៸)

 

ここまで鴨族について考えてきましたが、下鴨社の参拝によりそれ以上の謎となってしまった事があります、おわかりでしょうか

 

そう、猿田彦大神の存在です
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一説によると紀元前658年2月に葛野主殿県主部が賀茂建角身命を奉斎していたという記録があるといい、天神玉命を祖として鴨氏と同じ氏族だと書かれています

 

そして驚きの、、、賀茂神宮賀茂氏系図によれば賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より11代後の大伊乃伎命の孫、大二目命が鴨建角身命を奉斎しておりそれが賀茂御祖神社創始の一社だと書いているのです

 

大混乱!!  天孫降臨で登場したサルタヒコがカモタケツノミの12代孫ですと?! それはつまり、神武東征だけでなく天孫降臨を先導したのも八咫烏ということになってくる、いやそれどころではない、先に天孫族高天原へ導き、その上でさらに大和への神武東征を助けたことになります

 

いやいやいやいや、むーりー!!  無理、、、むり? ほんとに?

 

もう根本的に覆すしかないのですが、スサノオオオクニヌシ、アジスキタカヒコネ、カモタケツノミ、(11代)、サルタヒコが天孫降臨を助け、その後タカヒコネかタケツノミの同じくらい代替わりした子孫が実際に神武東征を助けた八咫烏ということになってしまいます

 

勿論その可能性もあるのですが、さすがにもうこれを解き明かすのはやっぱり無理ですね...

 

ただ、諸説をごちゃ混ぜに考えると、鴨族は葛城に降り立つ前に九州を経由していたというのでそこで猿田彦が居た可能性があります

 

ただ伊勢の猿田彦神社によると、天孫族を高千穂へと導いた後は天鈿女命と共に伊勢に戻って全国の開拓に務めたとあるのです、、、戻って?!

 

うーん、うーん、とにかく神代を紐解いているとどうしてもこの地域的問題というやつにぶち当たりますね

 

個人的には鴨族考察まで至っても国譲りー天孫降臨ー神武東征に時代差はさほど無い説を採用していたのですがどうも猿田彦まで絡んでしまうと齟齬が多すぎる、でもつまり齟齬が多すぎるということはどこかでどこかが(意図的も含め)間違っているという事ですから、考察でひとつの説に絞ろうとすれば自ずと自説に都合の良い解釈をするしかないということですね

 

ちなみに稲荷大神にも佐田大神が猿田彦の事であるとされているのでもしそうだとすれば賀茂氏だけでなく秦氏にもサルタヒコとの繋がりが深いことになります

 

導く八咫烏、道開きの猿田彦、どちらも意味合いが似ているにも関わらず同族とはされていないところを考えると、どこかで協力体制とか姻戚関係があったのではないかとも思えますね

 

猿田彦の地とされる伊勢と八咫烏の熊野は目と鼻の先ですから

 

 

ということで、全然まとまってない気もしますが私の中では正誤は別としてなんとなくおおまかな勝手に解釈が成りました

 

といっても勿論これで終わりというわけではなくここからまた広がりがあるのか無いのか、また新たな方向へと導かれるのか、今の段階ではわかりませんが(*´ω`*)

 

これにて年末巡拝と鴨族考察は一旦終了!!(`・ω・´)ゝビシッ

 

続きまして大晦日から年始にかけての名古屋巡拝の記事をアプしたら再び、秋冬に巡った都内の記事へと戻ります(*´ω`*)

 

こんな長くて纏まりの無い記事を最後まで全部読んでくださった方いらっしゃるのかしら、、、感謝しかありませんm(*_ _)m & 事実とは異なるであろう勝手な解釈ばかりですみませんm(*_ _)m


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