日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

むつびの杜 睦神社

どうも、ひのきですm(*_ _)m


ついに始まりました!! 埼玉参拝!!


今回は武蔵浦和から大宮へと巡ってまいりました

ふふふ、そうなんです、遂に、でございます


はじめのいーっぽ、はこちら!! 睦神社


こちら、なんと小さな山ひとつ丸ごと境内!!


南側(南西)からの正面参道と

西側の角からも階段があり

こちら側には自治会館入口の看板があり鳥居も無いので厳密には参道ではなさそうです

敷地の角は木々に覆われた池がありました


ちなみに中腹で自治会館への階段が参道と交差するという珍しい造りです


ご由緒?と思ったら社叢の説明板でした

別の場所にご由緒があったようなのですが私は気づかずw 不思議なまま参拝した様子をそのまま記載していき、ご由緒等は後半にまとめます


石段をのぼりきるとなんと富士社、つまり浅間神社

なんと咲耶様でしたかっ!!


左手には改装之碑と神輿蔵でしょうか

御堂といった雰囲気の美しい本殿


富士社の向かい側にも石碑があり、石段改修とありますが右側に伊勢神宮遷宮と彫られているのは同年あたりだったということでしょうか


特に浅間山とされているようではなさそうですが山の上に鎮座する浅間社は木花咲耶姫命が御祭神

個人的に産土神さまのひと柱でありずっととても身近に感じていた咲耶様なので大抵の浅間神社ではいろいろと感じたりするのですが、何故かこちらでは何も感じず

あ、、、あれっ? どうしたことだろう…


ちょっとショックですが、まぁそんなこともあります、何よりも快晴も相まって凄く凄く心地の良い境内ですからそれこそが温かく迎えられている証拠ということでしょう(*^^*)


右手の方はとても広く、境内社が並びます

そう、この時点では 境内社 だと思っていました


まず三社が並びます


右は建御名方神を祀る諏訪神社

おや、こちらでも空気感はとっても良いのですが特に何も感じず


おかしいな、石段から境内がとっても心地よいのにお社前ではウントモスントモ感じない

境内自体の朗らかな雰囲気と差がありすぎてちょっと戸惑っていました


こちらは稲荷神社

独特な表情で伸びた子狐がとても可愛らしい神狐様がとても良い雰囲気です

すると、ここまで風ひとつ吹いていなかったのにお社前に立つとサァーッと風が境内を包み、雨のように落ち葉が降り注ぎ始めました

さすがお稲荷様、ありがたやありがたや


そして左のお社は三峯神社さんでした!


三峰さんといえば埼玉県が誇る素晴らしい神社でお呼ばれしないと参拝出来ないとまで言われるパワースポット

いつか必ず、と思いつつ その時 を待っているのでお呼びいただけますようご挨拶を

とその瞬間、お稲荷様でのそれを大きく上回る、むしろこの後を含めて最大の強い風が吹きこの身を包み込みました

その風のなんと心地良かったことか

なんとも満たされた心になり、あぁ、これは参拝出来る日も近いんじゃないか、と感じました


行く気になって行けばいいじゃん、という気もあるのですが、三峯さんともなるとそうじゃないんです、今なんだ!? という時が必ず来ると思うんです



少し離れて右側に鎮座しているのは八幡神社! そして鳥居の神額には阿夫利神社とも書かれています

阿夫利神社といえば関東総鎮守とされている大山祇神を祀る神社、産土神様と共に咲耶様のお父様にもご挨拶出来るとは(*´ω`*)

とご挨拶したのですがこちらでも何も感じず


どうしたことか!? 上にも書きましたがお稲荷様と三峯さんでは風と共に強く包み込まれる感覚があり、境内からは天気のせいだけではないとっても温かな雰囲気を感じたのですが、富士社、諏訪社、八幡社・阿夫利社では何も感じることが出来ず


境内全体で何も感じないとか一箇所だけでしか感じるものが無いということはままあるのすが、ここまで異なる感覚が混在するのは珍しいというか、初めてかもしれない!?


この記事を書くにあたって調べてみると、その理由が少し分かったような気がしました


ちょっと調べてみるとなかなか難しい


浅間神社境内に近隣の神社が合祀されていき、神々と氏子達が仲睦まじく発展していけるようにとの願いから睦(むつみ)神社とされたようです

なるほど! 境内社(末社)にしては皆大きなお社で立派だと思いましたが、遷座により集ったからだったんですね!

それで理解できた、あの太陽燦々の力だけではないなんとも言えない和やかな温かみは社名に込められた想いがしっかりと届いているという証拠です

御祭神様方のお力と氏子さん達の想いが届いた素晴らしい境内だったのです


先に結論を言うと、創建等についてはわかりませんでした


浅間神社のもとに各社が遷座したと書かれているのですが、浅間神社はこの地が白幡と呼ばれていた頃には既に鎮座されていたとのこと

この地が白幡と呼ばれたのは将門征伐で藤原秀郷が陣を置き白幡を立てていたことに由来する

そしてその時に秀郷が八幡神を勧請したとありますので八幡神社は940年頃に創建され、それ以前から鎮座していた浅間神社の境内に各社が集められたということになります

ちなみにこの二社以外の創建年代はわかりませんでしたm(*_ _)m


場所が無くなったり氏子の減少など様々な要因により境内社として大きな神社の中に入ることはよくありますし、そうでなくとも兼務社や境外社などの無人社となることはよくありますが、境内社のような形でありながら上下を作らずこれだけの数が 仲睦まじく祀られた集合神社 を参拝したのは初めてです


いやー、なんとも素晴らしい神社でございました


心残りとしては、大好きな咲耶様と八幡様の前で何も感じられなかったことですが( ̄・ω・ ̄)

前向きに考えれば、この時、大山祇様、咲耶様、八幡様、諏訪様は境内の中心に集まってお話でもされていたのかな、って思うことにしますw

だから、境内真ん中があんなにも柔らかかったんだと

え?

じゃぁウカ様と諾冉様はって? お社の中からその様子をのーんびり見ながらお隣同士酒でも酌み交わされておられたんじゃないでしょうかね(The ご都合主義w)


この日、この後に参拝する神社(その前にも出会いがありましたが)を目指すにあたっていつものようにマップを見ていた中で社名がどうにもグッと来て参道の写真で参拝を決めました

大正解であります(´◉ᾥ◉`)


素晴らしい神社でございました

武蔵浦和駅から歩いて行けますので、是非、ご参拝ください(*^^*)

街を歩けばお稲荷さん 伏見火防稲荷神社

どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日は 街を歩けばお稲荷さん のコーナーでございます


神楽坂を歩いていた時のこと、ふらりふらりと適当に歩いていると今まで歩いたことのない小京都のような素晴らしい路地がありました

そして出会ったのがこちら、、伏見火防稲荷神社


とても良い感じの狭さ、小ささ、そして独特の雰囲気と街角稲荷の三条件を素晴らしく満たしています(勝手に言ってるだけです)


調べてみたのですが創建等詳細は不明


伏見となっているので稲荷山から勧請され宇迦之御魂神もしくは稲荷大神が祀られているでしょう


芸者衆の手配や稽古を行う“見番”が沿道にあることから名付けられた、という見番横丁に鎮座していることから江戸期くらいの古さかとは思うのですが通りの名前はかなり最近になって名付けられたものだそうです


この近辺は家康入府前から町があったそうで善国寺が移転してからさらに発展、江戸期には寺町、武家屋敷として栄えていき花街として確立されたのは明治期

火事と喧嘩は江戸の華 と言われるように 火防 が社名に入っているのは当時の世相を受けていたように感じます(通りの名前のように後から名前が変わった可能性もありますが)


この付近は関東大震災では被害が少なかったようですが東京大空襲では全てが灰燼となったそうなのでこちらは恐らく戦後の再建でしょうか


小さなお社ですがしっかりとこの街を守っていらっしゃる素晴らしいお稲荷さんでございました



あ、そうそう

お稲荷さんといえば五穀豊穣の神様でありますが、それだけではなく火伏、芸能、勝負、安産、健康、防疫、などなど様々なご利益に特化された稲荷社を見掛けますよね

基本は稲を生す神、いなり神、なわけですが、貧しい民にとっては御先祖様神様仏様に縋るわけです

となるとこれまた十人十色でお願い事をするわけですが、それが叶った時、そのお稲荷様には~~のご利益がある!となるわけです

勿論、それだけ沢山の人が願っていれば様々な願い事が叶うことにもなるでしょうが、わざわざ ~の御利益 となるにはその願い事が特に叶うとかとんでもない奇跡的な叶い方をした、という風になるわけです


そういう私は、ウカ様は勿論どんな神様にも何の御利益ということ無く日頃の御見守りをお願い・感謝しているので生活全般!? そういう意味では一番のわがままかも知れません(笑)

失せ猫祈願 三光稲荷神社

どうも、ひのきですm(*_ _)m


他を圧倒するほどの数が祀られていますが、それを置いておいてもこれまでの神社巡りにおいて不思議な縁が偏って多発しているのが稲荷神社

この時、私は完全にスイッチを切って歩いていたので全く気付きませんで、お呼ばれしたのは相方さんでございました


人形町駅から少し北に鎮座する三光稲荷神社です

~横丁みたいな感じの看板ですが立派な石碑も


細い路地の反対側がこちら

歌舞伎役者の屋敷稲荷だったという由緒書きがありました

調べてみたところ1600年頃にふたりの地主さんが長谷川町の鎮守として創建したという説もあるようです


後に区画整理遷座すると共に田所稲荷が合祀されたとのこと


こちらが境内

えもしれぬ独特の雰囲気、これは、、、いらっしゃる


不思議ですよね、再建されていても元の御神体が焼失していても変わらず発される御神威は境内の至る所から感じられます



こちらが御社殿、目に見えぬ波が押し寄せてくるような迫力があります


こちらは失せ猫を探すのにご利益があるとされています

これに関して特に書かれてはいないのですが、先程由緒を調べた時に出てきた逸話がありまして


市場で売られていた長谷川町守護神と彫られた祠を手に入れ自宅に祀った福島県の農家が大繁盛、その後、夜な夜なの家鳴りと共に帰りたいというお告げがあり長谷川町役場へと連絡をしてきたところ、大震災により行方知れずになっていた御神体が見つかったという

失せ猫探しのご利益はその辺の話も絡んでいるのでしょうか(伝えとしては迷い猫が見つかるよう祈願したら3ヶ月後に戻ってきたというらしいです)


由緒、逸話にちょっと不思議な点があるもののそういった逸話を生み出すだけの雰囲気がこちらにはある

いや、実際にそういった事があったとしても全く不思議ではない

それは参拝すればお分かりになるかと思います


もしかしたら、創建は地主による1603年でその稲荷が二代目関三十郎の屋敷神として受け継がれた(または崇敬していた)という可能性もあるんじゃないかなぁと思ったり


いずれにしても、何か特別な雰囲気を感じる素晴らしいお稲荷さんでございます(*^^*)

島津家屋敷神と瀬戸物の神 濱町神社・陶栄神社

どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日はこちら、濱町神社


トルナーレ日本橋浜町の東側角に鎮座しています


小さな境内、立派に鎮座する御社殿

しっかりと由緒書きがあります

創建年は書かれていませんが1780年頃に島津家の屋敷神として祀られていた島津稲荷大明神が始まり

島津家下屋敷が無くなっても祀られていたが大震災による焼失後に近くの山田稲荷を合祀して稲荷神社として再建、大戦により再度焼失するも崇敬者により再再建され、濱町神社となりました

島津家を離れてもとても大切にされ続けてきたことが分かります

神社はトルナーレの敷地内に鎮座しているので周囲が自由通路となっていて本殿を含め全体が見えるようになっています


フェンスにより全文を読むのは大変ですが本殿横に再建碑があります


そして境内社がこちら、陶栄神社


御祭神は埴安大神、加藤四郎左衛門景正命、加藤民吉命の三柱

埴安大神は伊邪那美命より生まれた土の神で波邇夜須毘古神(埴安彦)・波邇夜須毘売神(埴安比売)の二柱

加藤景正は鎌倉前期の陶工で瀬戸焼の開祖、加藤民吉は磁祖、共に陶磁器の神として祀られています


由緒不明ですがこの辺りが陶磁器の街だったことから祀られているようです


そしておわかりでしょう、この美しき祠は陶器で出来ているのです


住吉造・常滑秘色焼の美しい祠、その台座に埋め込まれているのは平安期・鎌倉期の常滑古窯、桃山期の佐賀天狗谷古窯と江戸初期の美濃古窯から出土した陶片が使われているそうです

土台から祠まで全てがなんと美しいことか


島津稲荷の御威光と陶器に対する愛を感じる素晴らしい神社、お近くにお寄りの際は是非参拝ください(*^^*)



ちなみに私は名古屋出身なのですが、幼い頃から瀬戸物瀬戸物と当たり前のように慣れ親しんできたので 陶器 と同意で 瀬戸物 と呼んで来ました

勿論、瀬戸市があり陶磁器の街としての知識もあったのですが、それでも陶器全てを瀬戸物と呼んでいたんですよね

一応、全国的にも(西日本では唐津焼とも言うそうですが)陶磁器全てを せともの と呼ぶようになってはいるそうで間違いではないですね

ただ、瀬戸焼以外を 瀬戸物 と呼ぶのは本来ではないと感じたのでそれ以来、瀬戸焼き以外に瀬戸物という言葉は使わなくなりました


似たものに、八丁味噌があります

八丁味噌岡崎市八丁村で作られた長期熟成豆味噌(赤味噌)だけのこと

今では八帖町以外で作ったものでも県内で同じ作り方をされていれば八丁味噌とされていますが、そこまで知らない人は普通の赤味噌までもが八丁味噌と呼ばれていたりもします


折角だからどんどん逸れてしまえ( ・∇・)


八丁味噌を使った味噌おでん(赤味噌ベースでもおいしいですけどね)は愛知のお馴染みグルメですが、各地に 味噌おでん と称して味噌ダレを塗ったこんにゃくを見掛けます

声を大にして言いたい!!

貴方の家のおでん種はコンニャクだけですか!とw

いや、勿論美味しいんですが、それ、味噌田楽ですよねーっていっつも思うのです

愛知の味噌おでんは当然ですけど沢山の種が入ってますからね!!

普通の出汁で煮込まれているものを食べる時に味噌ダレをかけるパターン、それぞれの種毎で串に刺して出汁で煮込まれたものを味噌壺に漬けて(二度漬け厳禁w)から食べるパターン、そしてどて煮のように最初から味噌ダレで煮込まれているパターンの三種類くらいでしょうか

鹿児島でも味噌おでんを見かけましたが、そちらはちゃんといろんな種が味噌で煮込まれていたので嬉しかったです(*´ω`*)


と、瀬戸物から味噌おでんへと華麗に話が飛んだ本日の神社ブログでございました

稲荷に集う神々 松島神社

どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日はこちら、松島神社


水天宮前の通りを挟んですぐのところに鎮座します

小さな境内ですが右手に手水舎、左は社務所、そして上はビルになっています


手水舎はすぐ右手

社殿は鎮の雰囲気でしたので写真は撮らず、手前に狛犬がしっかりと守っていてとても素晴らしい雰囲気です


資料焼失により創建年は不詳ですが口伝によると下総国より移り住んだ柴田家の三男が1324年3月2日に神示を受け屋敷神に稲荷大明神を勧請(それ以前から鎮座していた可能性もあるようです)

元は海が入り込んでいて島になっており、松の木もあったことから松島稲荷とされたようです

1700年代になると町の名を社号からとるなど崇敬が高まり、日本全国より集まった職人達がそれぞれの故郷地神を祀ったり国学者 賀茂真淵が寄宿して神の道を説くなど、この神社を中心にして町が栄えていったそうです

これによって主祭神 稲荷大神にくわえ伊邪那岐神伊邪那美神日前大神(天照大神)、北野大神(菅原道真)、手置帆負神彦狭知神淡島大神八幡大神猿田彦神琴平大神天日鷲神(大鳥大神)、大宮能売神(おかめさま)、大国主神と14柱が祀られています

お社自体がビルとなっているので空は見えずやや暗い感じではありますが独特の雰囲気からしっかりと町を守る神々しさが感じられます

そして人々の神々への感謝がしっかりと届いているという素晴らしいお手本のような神社です


移り住んだ方々は互いに協力して持てる技術をこの町の反映に注ぎ込み、其々に祀られた神々もまた協力して彼らを支えた

この神社は、元々島だったこの地守るおいなりさまとして、おおとりさまとして、おかめさまとして、だいこくさまとして、てんじんさまとして、今もこの地を守り続けています


神様が多くてちょっと混乱してしまいますがw この町に住まう人だけでなく、参拝した人は皆が分け隔てなくとても大きな力を授かることが出来るような気がします(*^^*)



さて、御祭神の中で初めてお会いしたかもしれない手置帆負神彦狭知神淡島大神の3柱について調べてみました

なんと手置帆負神彦狭知神は天岩戸隠れの際に瑞殿を建てたという工匠の神にして讃岐忌部氏紀伊忌部氏の祖だそうです

淡島大神については淡島自体を神とする、少彦名神とする、諾冉とする、など諸説があるようです


ここは八百万の神の国

人々が

神々が

手を取り合って守る国



ここは本当に素敵な神社です(*^^*)

夢のおはなし


どうも、ひのきですm(*_ _)m


今回はちょっとした独り言です


夢は人によって様々といいます

主観だったり俯瞰だったり、くっきりだったりぼやけていたり、モノクロだったりカラフルだったり、現実的だったり空想的だったり

私の場合は大抵、現実的で具体的で色もしっかりあってごく稀にですが夢が夢であることを認識したまま見ることもあります

夢は記憶の整理過程であるという研究もありますがどうなのでしょうね


神社仏閣巡りをしていると時々 霊夢 によって創建建立されたという由緒を目にします


最近の私は夢を見ることはあまり無いのですが(記憶に無いだけかもしれませんが)、見たとしても半数は目が覚めた時には既に内容を忘れていて、そうでなくとも起きた瞬間は覚えているのに凄い勢いでその記憶が消えていってどうやっても思い出せなくなってしまいます

ですが、見た夢の中の数パーセントは起きても、いや、その後もずーっと覚えているのです



先日、夢で見たもの


とある境内

周りは木々に囲まれ、左手に鳥居とお社が二社くらい鎮座していて右手方向に道

その先の突き当たりに御社(御堂?)が二社

左側には建物があり、そこへ入ると質素な空間になっていていくらかの人が既にいらっしゃる

作務衣のようなものを来た店主らしき方が どうぞ と私を席に促し、ひとつの木箱を渡してくれた


蓋を開けた瞬間には中に鉱物の原石が並んでいるように見えたけれどそうではないことがすぐに分かった

周りを見渡すと皆が箸で木箱から口へと運んでいる


そうか、これは食べ物だったか


木箸を手に取りひとつの鉱物のようなもの、箸でつまむと確かに食べ物だ、を口へ運ぶ


そこで目が覚めました


はて、よくありそうな境内だったけれど過去に参拝したところではない

これは霊夢か? といくらか 神社 お寺 懐石 精進料理 で画像検索してみたがそれっぽいところは全く見つかりません

まぁそりゃぁそうかー、霊夢だったらもっとキーワードとか出てくるよね

と言いつつも映像自体は具体的だったので一応画像検索やマップを調べてはみたのですが当然ながら情報量が少なすぎてヒットせず

せめて地名や社名、祭神名、仏像名などのキーワードでもあれば。。。


まぁそもそもが精進料理とかでもないあの不思議な木箱の食事?を出すような寺社なんて無いだろうしあったとしても私の性格上、予約してまで食べることはまず無いでしょう(今後この夢通りの場所がみつかればさすがに予約しますけど...w)


とりあえずこの日はお休みでしてのんびり過ごす予定だったのですが夢の記憶が消えないのとりあえずマップを開いて適当にスクロールしつつ似た雰囲気の神社を調べてみることに

これで同じ神社かお寺が見つかれば最高だったんですけれどさすがにそれは無くw でも行ったことの無い所で気になる神社を見つけることが出来ました

それが先日記事にした糟嶺神社さんだったのです


いつか、夢の神社に出会えるだろうか。。。



以前、寝付いたと同時に 吉備真備 という名が浮かんで調べてみたらちょうど行く予定をしていた佐久奈度神社の近くに吉備真備を御祭神にした神社があった、ということもありましたがそうそうそんな事は起こりません


そういえば10年くらい前

連続、ないし数日から数ヶ月あけて何度も同じ夢を見ていたことがありました


雲ひとつない青い空、風も無く暑くも寒くも無い新緑の時期といった感じ

昔ながらの商店が並ぶ長い坂道、登っていく人下りてくる人、立ち話をする人、沢山の人々が居る

緩くカーブしたその道は緩やかな登り坂になっておりその先は石階段が続いていた


穏やかな気持ちでゆっくりとその坂を登っていると沢山の人々の中に時々知った人が居る

知った人はどの人も中学や高校時代の友達だったりと随分と会っていない人ばかりで近々に知り合った人はほぼ居ない、そして全く知らぬ人、大多数の通行人(参拝者)達は全体的にピントがズレている感じにぼやけているのである


といっても知人を見つけても やぁ、どうも と特に立ち止まることも無く目を合わせて会釈するだけでそのまま通り過ぎて上へ向かう


石段を登り始めるところで夢は覚めるが時々は山門だったか鳥居だったか、最初の入口部分までは行くけれどその先まで夢が続いたことは無い


夢は見る度に人と会ったり合わなかったり、同じ人だったり違う人だったり、主観だったり自分を含めて横から見ている場合もあればそれこそ映画のように空から俯瞰で見ている場合もあるしそれが切り替わる時もある

ただ天気、情景、たくさんの人々、というのは変わらない


古い知人が出てくるもののなぜ彼らが出てくるのかわからないし、メッセージ性のあるものも感じられず、、、あ、でも稀、もしくは一度だけ見たのをたった今、思い出しました

お母さんと一緒に居る着物かな?を着た女の子(少し離れてお父さんらしき人も居たかなぁ。。。)が参道の店先で飴?のようなものを見ている(買っている)のを微笑ましく横目で見ながら通り過ぎたシーンもありました


こちらもキーワードはひとつも無かったのですが調べる前にただひとつ、すぐに思い付いた場所がありました、むしろそこしか有り得ない場所

香川の金刀比羅宮こんぴらさんです


画像検索をするとぴったり同じというわけではないのですが、限りなく似ているといった感じ


金比羅山は中学生だか高校生の頃に一度だけ修学旅行で行ったことがありますので記憶の整理という意味では夢の条件に当てはまります

ただ、どうしてこの夢を何度も見たのかが不思議でしたし、ハッキリ言ってしまえば当時は神社仏閣への興味がかなり薄かったので覚えていません

確か、、、金刀比羅宮東大寺、どこかの古墳、みたいな感じでいくつか回ったはずですが朧気ながらに覚えているのは自分で打って(踏んだだけですが)切って茹でたうどん、東大寺かな?の太い柱のくぐり穴的なもの(記憶が曖昧で違うかも?)、、、それ以外覚えていないのです

恐らく、何度も見たこの夢が無ければこんぴらさんの参道すら覚えていなかったと思います


今思えば、その夢を見ていた頃に行っておくべきだったのかな、とちょっと後悔しています(といってパッと行けるほど近くはないですがw)


神社巡りをしている今、同じような夢を何度も見たとしたら、、、多分頑張って行くでしょう


あの時行っていたら、何かがあったのでしょうか

それとも、行っても特に何も無かったのでしょうか


夢っていうのは本当に不思議なものですね



もう遅いかもしれませんが、機会を設けることが出来たら こんぴらさん 行ってみなきゃなぁと思っています


っていうとりとめもない話でございましたw

大國魂大神祀る 給田六所神社

どうも、ひのきですm(*_ _)m


糟嶺神社から田中稲荷と渡り歩いてそこからやや離れたところまでやって参りました

本日はこちら、六所神社


武蔵国 六所宮 といえば大國魂神社


こちらは大國魂神社を勧請した神社です

天文年間(1550年頃)の創建ではないかとされているようです


石柱も立派ですが渡り綱の掛けられた鳥居と真っ直ぐ先の社殿が立派ですね

左手は工事中で社務所などを建てているようでした


御祭神は大国魂大神と六所の御祭神、そして付近に鎮座していた神明社の天照皇大神が相殿に祀られています

大國魂大神大国主命
一の宮 小野大神は天下春命瀬織津姫
二の宮 小川(小河)大神(二宮神社)は国常立尊
三の宮 氷川大神は素戔嗚尊稲田姫命大己貴命
四の宮 秩父大神は八意思兼命知知夫彦命天之御中主神秩父宮雍仁親王
五の宮 金佐奈(金鑽)大神は天照大神素戔嗚尊日本武尊
六の宮 杉山大神は五十猛命、大日霊命、素盞嗚命、太田命

つまり大国主命を中心として武蔵国六宮を集め祀った大國魂神社と同じでございます


府中からさほど離れているわけではないのですがちらほらと六所神社があるようですね


とっても雰囲気の良い、空へ繋がっているような境内であります

心鎮まる場所、これぞ神社という神社ですね



左に鎮座する稲荷神社は由緒不詳ですがとても良い雰囲気です


よく見かけるタイプのお狐様ですが少し耳が丸くて可愛らしい


太陽と六所神社を背に誇らしげなお狐様


住宅地の中にあってとっても静か、穏やかな時間の流れる素敵な神社です


やはり府中から世田谷の距離にあって赤堤にも宮殿にも六社神社があることを考えると六所宮の存在はよほど誇らしかったのでしょう


私も大國魂神社はとても好きなので大國魂神社を勧請出来るというのはとっても名誉ですよね


こういったところからも、大國魂神社がどれだけ崇敬されていたかが伝わってきます