日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

とある年の瀬の小野神社


どうも、ひのきですm(*_ _)m


というわけで、律令制一宮 小野神社です(*^^*)b



ちょっとダラダラした記事になっていますが素晴らしいので折角来ていただいたら飛ばしてもいいので後半だけでも見てってください(*^^*)b



小野神社では神社神符の他に御祭神である瀬織津姫の御札も領布されてまして、2022年は赤い和紙の瀬織津姫札を神棚に祀らせて頂きました

物凄く俗世的なお話ですが、ひと手間掛かっているにも関わらず初穂料は1000円でございます、お得です


ただ、佐久奈度神社でもそうなのですがいつも迷うんですよね、社名の御札と瀬織津姫祓戸大神の御札のどちらをお迎えするか(´・ω・`)

実際は社名でも神名でも同じ神様をお祀りするその神社の御札ですので見た目の好みで選べば良いのだと教わりましたが、瀬織津姫様ファンでもありながらやっぱりその神社のファンでもあるのでね(*^^*)


ちなみに先日も書きましたが、神棚、御札の御用意や取替えは年内中が基本でして、間に合っていない場合は一般的に二重苦とか切羽詰まるなどと言われる29~31日であってもお祀りして構わないそうです


さて、こちら小野神社さんは宮司さんが境内にお住いだとは思うのですがご夫婦?で管理されてらっしゃるようで兼務社などの祭祀や出張祈祷などで不在にされている時は社務所が開いておりません

HPやSNSもされておらず情報が無いので遠方から参拝される方は特に、事前に電話連絡しておくとどの日なら開いているか教えてくださいますし、もし可能であればその日のその時間だけなんとか開けてくださるという場合もあるようです

基本的に参拝者が多い傾向にある土日は出来るだけ開けているようにしてくださるそうですがそれでも平日同様祭祀があると対応が出来ない時間帯もあるとのことでした


余談ですが、そういう状態でこの規模の神社をこれだけ綺麗に管理されているって物凄い事だと思っています


さて、私の場合…2020年は平日に2度参拝して惨敗、初めて電話して上述の事情を聴きなんとか土日に都合をつけて参拝出来た三度目でゲット! 2021年は平日イッパツでゲット!!

要は事前確認無しでの平日参拝は ほぼ運任せ です

さぁ、2022年は如何に!? ← 運任せ


11月下旬 某平日

近くに用事があったので参拝した際、なんと授与所が開いていた! 少し迷ったけれどやはり12月に入ってからお迎えしたい!! という事でその時はお受けせず


12月上旬 平日

授与所、開いておらず。。。(ちょっと後悔)


そして迎えた12月中旬 平日

既に本年中はかなり予定を詰め込んでしまいもうこの日しか無かったという背水の陣

なら連絡せーよ!! という話なんですが、なんでしょうかね、このチャレンジしたい感じはw というかこの日しかもう無かったので連絡して開けられませんと言われたら行かないだけになってしまうのです


いやいや、確かに二度ご挨拶はしているけど年末最後のご挨拶はちゃんとしたい!!



というわけで朝から大きな雨粒が落ちる中、出かける準備をして昼前、イザ!!と家を出ると雨が止んでいる!! これはいけるぞ!!

電車に揺られて聖蹟桜ヶ丘

昔は雨上がりの湿った空気がとても不快だったのですが神社巡りを初めてからは世の中が浄化されたようで結構好きなんですよね~


さぁ!! 住宅地を抜けて行き、神社到着!!


。。。閉ぃぃぃぃまってるぅぅぅーーー(꒪⌓꒪)


今日ならお迎え出来るような気がしてたんだけどなぁ、、、と諦め切れず、ちょうど昼なので参拝は後にして駅前へ戻って先に飯だ!!!←さすがに望み薄


というわけで人生初、ひとり回転寿司を堪能

やっぱ回転寿司は複数で行く方がいいね、一皿二貫を分けていろいろ食べたいからなー

とお腹いっぱいにして13時を超えたところでどっきどきの再チャレンジ!!


予報では昼までだった雨、さっきはもうやんでいた雨が、、、あれれ? 降り始めたぞ?? 傘はギリ要らないけど、、、

少し嫌な予感がしつつ、でも雨は天だからな


よぉーーーし、着いたっ!!



ガッ!!


やっぱり開ーいーてーなーいー


でぇーすぅーよぉーねぇー、年末年始は忙しいよな


2022年の御礼をしっかりとお伝えして、年明け暫くしてからになっちゃうけど改めて御札頂きに来よう


平日昼下がり、小粒の雨は止んだけどぐずぐずした天気の中とあって参拝者はまばら、お陰で後ろを気にせずしっかりと時間が取れる

2022年の感謝と2023年もお見守りをお願いし、大祓詞を奏上させて頂く

特に風が吹いたり音がしたりはなかったけれど全身がすぅーっと軽くなった気がした

社殿を一周、本殿のお背中でもご挨拶させていただき、境内社をご挨拶してまわり最後の稲荷社へのご挨拶を終えた、その時


パラッ、、パラパラッ、、、バラララララッ、、、サァーーッ


急にガッツリ降り出した!?


折りたたみ傘を出し、元々雨天の参拝を覚悟していた日だったので暫し境内に落ちる雫の音を愉しむ


でもさすがに結構激しくなってきたので隋神門の下に避難、帰ろうかとも思ったけれどこれも一興、急いでいないので雨の神社を眺めて行こう


なかなか激しい雨にちょっと笑いつつ、おっ、いいタイミングの写真撮れた♪


大祓詞が届いたのかな? 境内社の参拝が終わるまで待ってくれたのが有難かったかなー、参拝に傘は邪魔なんだよねー


なんてのほほ~んとしていたのですが


おっ? おおおっ??? 太陽射し込んできた!?


どんどん雲が無くなっていき真上は青空が広がったのに雨はまだ大粒で降り続ける

大祓詞が届いたというより、ウカ様の狐の嫁入りだったのかな? 確かに稲荷社の参拝直後から降り始めたもんなぁ


しっかし、上空の風が強いとしても結構な範囲が青空だし、流されているにしては雨粒が真っ直ぐ降りてくるんだよな

↑ 全体的に雨粒が写ってないのに中央やや左上に光る不思議な点があるのは偶然一粒だけが太陽光を反射したのかな?


そして気が付く、、、これ、虹出るんじゃ!?


キョロキョロ(・ω・ = ・ω・)


あっ、あの辺が怪しい、、、でっ、出たーーー! 低いところに太いのが!!

スマホ撮影なのと木々が被って分かりづらいけど肉眼ではハッキリと見えていました


な、なんということだ、、、(感動)


参拝時に雨ということがかなり少ない晴れ男なのだけど、ただの雨ではないというレベルなのは人生三度目という稀さ


あっ、そうだ!! とすぐに社殿脇へ


ビンゴ!! 本殿の向こうに虹!! やばっ!!


そして漸く小降りになった雨がやむと虹は僅か10分足らずで姿を消していった


いやー、ラッキーでした


最初の時点で諦めて参拝だけで帰っていたら、強い雨が降り始めた時点でさっさと帰っていたら、この不思議な晴れ雨と虹に出会うことが出来なかったのです


年末最後のご挨拶に凄い贈り物をいただけたなぁ、というより、一年の罪穢れを祓っていただけたのだろうか

御札は頂けなかったけどそれ以上と言っても良いお力をいただけた事に心から感謝


さぁ、これで社務所のシャッターがバーッと開いたら最高なんだけどそんなわきゃないのでかえr。。。。


タッタッタッタッ

荷物を持った方が社務所方面へ走っていく


まさか? ねぇ?


。。。。。。。。。!!!!!!!!!!


その方は通り抜けるわけではなく扉の前で止まり、解錠して中へ


うっ、嘘っ!? すっ、すいませーーーん!!

と声を掛けるも大声ではないマスク状態だったので届かず、その方は社務所の中へ


あぁ、ちょっと御札だけ頂けるか、この後開けられるなら待っていようかと思っt。。。

ガラガラガラガラッ!!


えええええええっ!?


恐らく姿を見て察してくださっていたのでしょう、入って直ぐにシャッターを開けてくださいました


そして太陽が射す中、無事に青い和紙の瀬織津姫様をお迎えすることが出来たのです



あまりの急展開に呆然


そして既にご挨拶は済ませていましたが、拝殿も開けてくださったので改めてご挨拶



という、劇的な年末のご挨拶でございました


重ねて言いますが、そもそも事前に対応して頂ける日を確認しておけばいいだけの話なんですけどね!(笑)


こうしてお迎えした瀬織津姫様は既に我が家の神棚にお座りいただいており、これから迎える2023年をお見守り頂きます

感謝



ちなみに(過去にも書いたとは思いますが)


人生で初めて、神社と天気のお力に畏れ慄いた(感動です)のは今から10年ほど前の宮崎県は青島神社でした

空港に着き、駅で電車を待っているとポツポツと雨が落ち始める

青島駅に到着するとシトシトと普通に降っていたので傘を出して島へ向かう


そして島に渡る弥生橋に差し掛かったところから突然に土砂降りへと変わり、でもここまで来たし、と渡り始めるのに合わせたかのような横殴りの暴風雨に変わり傘の意味が全く無しになる


渡り始めだったのでさすがに戻って手前の売店で雨宿り、とも考えたのですが体と荷物を全て濡らしてでもいいから行ってしまえ! と謎の覚悟を決めるw ← 今考えてもなぜあの時そこまで無理したのか分からないんですw


グッと身を屈めて傘を完全に真横へ向け、台風並みの暴風雨に耐えつつゆっくりと歩を進め(急ぎたくても風が強過ぎて無理)、漸く鳥居を潜って御神域へ


すると横殴りの風雨がスーッと収まり普通の雨に


?????


木々が守ってくれてるからかな? と少し戻って橋の方を見るも、特に橋上だけが横殴りになっている様子は無く全体的に風が弱くなったようだ


???????


境内を進むにつれ雨が弱まり、やがて止み、木々に囲まれた境内は幻想的な靄に包まれとてもこの世とは思えない空間に

これは人生で初めてというほどの体験でした


そしてひと通りの参拝を終える頃には青空広がる大快晴!! 島の周りを散策しているうちに冬にも関わらずずぶ濡れだった上着とリュックがかなり乾きましたw(靴の中は流石に無理だったけど)



今考えても現段階における トップ オブ 神社不思議体験 でございます



二度目は当ブログの記事にもしました京都晴明神社

雨予報ながら朝からずっーと快晴だったのに晴明神社へ向かい始めてから一気に黒い雲が広がり、晴明神社前に着いてバスを降りた瞬間に桶をひっくり返したような土砂降り

さらに雷鳴が連発するほどにまで荒れたかと思えば20分ほどで静かになり、参拝を始めると太陽が出てきて快晴になったのです


ちなみに名古屋晴明神社ではこの件を踏まえ

春の京都では雷雨でお迎えいただいたけど年末の名古屋ではまさかの雪でも降らせてくれるんですかね、晴明さん

なんて舐めた口を聴きながら(頭の中で、ですが)神社へ向かうと、近くなったところで本当に少しだけ雪が落ち始め、神社の目の前に来たとこでしっかり横殴りの雪に

そして神社正面に立ったところで雪がやみ、参拝し始めたら雲を通して太陽が輝き、参拝を終える頃には快晴となっていたのでした


どれも、嘘のような、もしくは盛っているかのような信じ難い話ですよねー(´▽`*)アハハ


リアルガチです!(´◉ᾥ◉`)



まぁ激しい雨で強制的に清めなければならないほどに私が穢れていたのかもしれませんしw 神様は拒否していたのにそれに動じなかったから仕方なく入れてくれたのかもしれませんけどねw


少なくとも、特に宮崎においては神様への気持ちが今ほどではなかったにも関わらずかなり過酷な状態なのに嫌な気持ちとか残念な気持ちに全くならなかったんですよね

それもまた、不思議でございます


さて、長くなりました


年末年始はこれまたあれやこれやと予定をアホの様にぶっ込んでおります

素晴らしい神社を記事に出来たらいいな、と願いを込めつつ、一旦の締めとさせて頂きます


ずっと拙い当ブログお読み頂いている方
途中から当ブログをお読み頂いている方


ありがとうございましたm(*_ _)m


感度も知識も文才も無い私ですが

それでも

ひとりでもふたりでも

神社の良さが伝わったら

そう思って続けてくることが出来ました

自分の為の記録ブログとはいえ、それでもやはり公開している以上は見てくださる方が居てくださるというのは嬉しい限りでございます

心より 感謝


そして2023年

皆様の元へ

たくさんの笑顔が降り注ぎますように

氷川総本社 氷川神社 後編

どうも、ひのきですm(*_ _)m


では、引き続いて大宮氷川神社の後編です!


境内社めぐり、稲荷神社の向かいがこちら

橋と池でもおわかりでしょう、宗像神社


素晴らしき宗像三女神、特に市杵島比売命は弁財天としても人気高き神様でございます

これだけの広く清く美しい池に囲まれ

紅葉も美しく、最高!!!


だったはずなのですが(^_^;)

残念なことに七五三でお子さんを連れた若きお母様が飽きて嫌がるお子さんに強く 〇〇!こっち見て!! ねぇ! こーっち!! こっち見ないと終わらないでしょ!! とカメラを構えてほぼ怒っている状態

まぁ七五三だし多少のそういうのは(先日が凄かったから余計に)気にならなかったのですが、こればかりはちょっと。。。お子さんの為じゃなく自分の為じゃないか!!ヽ(`Д´)ノ

お子さんも慣れているのか、上の子は諦めてやれやれ顔でずーっと立ち尽くし、飽きが極まった様子の下の子はあっちを見、こっちを見、背中を向け、、、そりゃそうよね、綺麗な池や紅葉見たいよね(´・ω・`)

まぁ気にせずご挨拶はして厳島の空気感を味わおうと思ってゆっくりしていたのですが全く諦める気配無く、それどころかここを離れ境内を巡ってもなお、かれこれ30分はここでずーっと同じことを続けてらっしゃいました(^_^;)

まぁご挨拶は出来たし、いっか( ・∇・)頑張れ、子供たちよ


池の外側も歩けたようですが私は主参道へ戻って厳島から見えていたこちらの橋を渡ります


先程の方々は角度を調整して紅葉で見えないように撮れましたw ここまで声響いてるんだけどw


うわーーー!! 素晴らしい楼門!!

そういえば無いなぁ、と思っていた手水舎が左手前にあったのですが、その後ろには御神水が!

こちらはオブジェでしょうか


その先には。。。どこか凄く目を惹く、引き寄せられる何の変哲も無い社が。。。と最初は本当に目に入らなかったのですが、近づいてみると井戸!?

佛 かと思ったのですが 御神井 と書かれているようです

ここ、すっごい清らかなんですけど!!(当たり前ですわね)


実はこの先は境内図をちゃんと見てなかったので手水舎から先へ行ってしまうところだったのですがやっぱり何か惹かれて来たんですよね

で、蛇の池という立て札が目に入ったわけです


流れが作られ清い水の音が優しく響く

その先には、、、おおっ!! とならなかったのは池を埋め尽くす落ち葉のせいでしょうw


ふーん、蛇? と思いつつお賽銭を入れご挨拶

するとどうでしょう、暫く居たせいか心身が同調したような落ち着いた感じがとても心地好いですね

この湧き水こそが氷川神社が鎮座地とされた所以だとも言われているようです



ではいよいよ…と通り過ぎて本殿右手の境内社へw


こちらには、有名なそうですね、色とりどりの袋が掛けられた絵馬掛けがありまして、袋に入っているのは書いた氏名や願い事が他人に見られないようにとの配慮からだそうです

凄く賛同!! いや、そもそもが人様の願い事を盗み見るなんてモラルも無ければ神様への罰当たりでもあると思うのですが、そういう人、居ますからね( ̄・ω・ ̄)


こちらには二社


左手は門客人神社、御祭神は稲田姫命親神様足摩槌命手摩槌命が祀られています

右手は御嶽神社大己貴命少彦名命が祀られます


右側の灯篭の所、、、枝の支えがあるのですが


灯篭自体も支えてあげてますねw


その先は美しき白鳥の池ですが、道を挟んで左側はひょうたん池だったようです


さぁ、、、整いました!! いざ!!


美しいですね、明治神宮のようです


正面には舞殿


七五三用でしょうか、両脇に椅子とテント


そしてこちらが、氷川神社 本殿

御祭神は須佐之男命、稲田姫命大己貴命


夫婦神と御子神が祀られているということでとても穏やで和やかな雰囲気、七五三で人気があるのも頷けます


正直、特別な何かを感じることは出来ませんでしたが、それはこれまでの事とかタイミングとか様々な要因があるでしょう

でも、素晴らしい神社である、ということはしっかりとわかりました


参拝出来て、良かったです、うん


どことなくですが、参道や境内全体の空気感が明治神宮に似ているな、と感じました


造りが似ているから、というだけかもしれませんけどね(´>∀<`)ゝ


武蔵国一宮の名にふさわしい古社、是非ご参拝くださいませ(*^^*)

氷川総本社 氷川神社 前編


どうも、ひのきですm(*_ _)m


というわけで、大宮氷川神社です!!


創建は孝昭天皇3年、紀元前473年の4月という古社ですが創建に関わる人や経緯は不明のようです

もうすぐ2700年という古社ですのでいろいろと規模が凄いです

何がすごいって、こちらです、一の鳥居

写真左の立派な石柱には 武蔵国一宮 とあります

氷川神社は大化改革の律令制において武蔵国三之宮となり、延喜式による一国一宮制で武蔵国一宮に定められています


凄いのはその由緒だけでなく、この参道もです

最寄り駅はJR大宮駅なのですが、大宮駅から歩いて行くと参道の途中からになり、この一の鳥居 参道入口はJRさいたま新都心駅から少し歩いたところにあるのです

参道の全長は約2km!! 普通に歩くと徒歩30ほど掛かる距離もあり、長い参道ラインキング堂々の1位です

一番凄いのは、例え由緒ある大きな神社であっても長い参道は都市開発に伴い鳥居だけ残して距離が短くされていることが多いのですがこちらはしっかりと残っているのです


延々と続く紅葉した参道はとっても涼やかです


少し歩くと右手に神社が? 氷川神社!!

こちらはカフェ店が敷地内に祀っている氷川さんのようです、愛されてますねぇ


もう暫く行くと左手に赤いお社

こちらは楢姫稲荷神社、御由緒等はわかりませんが柔らかくてとっても素晴らしい気に満ちています


もう暫く歩くと今度は庚申塔を祀った庚申神社


そして大宮駅をちょっと超えた辺りの右手に鎮座するのがこちら、菅原道真公を祀る天満神社です

とっても神聖な空気感に満ちた素晴らしい神社なのですが参道を歩いていくと脇に出る箇所が無いのと細い道路を横切らなければならないので少し先の信号まで行って渡って戻る感じになります

そして氷川神社入口の交差点のところから二の鳥居


高い位置に座する狛犬さんですがこの辺りのちょうど真ん中に経つと雌雄両方と目が合う感じになります(*^^*)


ようやく境内が見えてくるところの右手にこちら、美しい竹林は氷川の杜文化館の入口

先に参拝を済ませ戻って来た時にはそこそこの時間になっていたので竹林だけ(*^^*)



そしてこちらが三の鳥居、ここからが境内ですがめっちゃ広いですね。。。


入ってすぐの左手に石碑があります

なんと戦艦武蔵の碑!!

武蔵国より名がつけられた戦艦武蔵、竣工式には氷川神社より神職が派遣され、また氷川大神が分祀され艦内社として祀られていたそうです


その左には大きなさざれ石


鳥居を潜った右手側には神楽殿と額殿


少し進むと天津神

こちらも涼やか、少彦名命が祀られています


その右奥にとても大きな夫婦楠

とっても穏やかな空気が流れています

御神木はどうぞ触れてくださいパターンとお手をお触れにならないでくださいパターンがありますが、立て札等で明記されていない場合の判断はこうして根を踏まずに近づけるようになっているか柵で囲われているかといったところですね

こういった明確さも無く迷うような場合には安易に触れず、どうしても触れたい場合はご神職様に確認しましょう

ちなみに伊勢の神宮では特にしめ縄が巻かれている御神木には 手を触れないで と書かれていますがそれだけでなく全ての木が御神木となりますのでお手を触れないようにしましょう(私は触れずに手のひらを翳しますw)


その先に鎮座するのが六社

右から布都御魂命を祀る石上神社、大雷命を祀る雷神社、迦具土命を祀る愛宕神社大山祇命を祀る山祇神社天照大御神を祀る神明神社、そして住吉三神を祀る住吉神社です


向かい側に鎮座するのが大山咋命を祀る松尾神社

ルート的に先に書きましたが、実は最初は社殿目の前で家族が御社を背景にするでもなく記念撮影をし続けており参拝しようとしても全く退いてくれず、やむなくグルっと奥を回ってから戻ってきたら今度はスーツケースを置いてスマホに夢中な人が社殿無視でずーっと立っていたという地味にご縁が無かった感じがしました( ´・ω・` )


さて、松尾神社の左手から奥です


なんと立派な氷川稲荷大明神がありました、御祭神は倉稲魂命

稲荷好きだからかもしれませんが、ここ、凄いです

ガチで凄いです


並ぶ朱鳥居を抜けると左右に小さな神狐見守る石段があり、その先にさらにお狐様が見守る本殿があります


お賽銭箱に 中に入って参拝できます と書かれていたのでお賽銭箱の前に出て本殿の前に立ち、、、とご挨拶したのですが

木々に囲まれ灯りもないさらに薄暗い社の中とはいえまるで洞窟の中に居るようなひんやりとして少し重い空気感、水を打ったような静けさに圧倒されつつ本殿の周りを二周ほど、いや素晴らしい

社殿右手側に続く帰路は二股になっており、手前を曲がると入口参道の少し横に出ます

ひとつ奥の帰路は左手足元に金毘羅大権現の石祠がありました


やっぱりお稲荷様は凄いな、異世界だ、鳥居の持つ力を凄く感じます


御一方、途中で後ろから参拝に来られた方がいらっしゃって先へ進んだのでもう一度社殿へ

あ、良いのですか?(大丈夫だから撮っていきなさい、と言われた)(←気がした)


中心に鎮まられている御本殿の周りが回廊になっています


ああっ、凄すぎて回廊は動画で撮ってしまったので写真が無いっw 御自身でご覧になってください(*^^*)b

回廊の梁には干支と思われる漢字一文字が書かれた扁額が表裏に掛かっていたのですが十二ではありませんでした

そして奥の両脇に座して本殿を背後から守ってらっしゃる狛狐さんが小さいのにとっても存在感ありました

何より、回廊左側に見える社殿脇に生えている一本の木が物凄く気になったのです

とてもお力を感じるお稲荷さんでございました


今度は内側の帰路から出たのですが、入口参道の脇に石碑が祀られているのに気が付きました

稲荷大明神のひと柱、猿田彦大神です


いやー、、、ほんと、凄い

お稲荷様好きな方は是非!! そして苦手な方はやめておいた方がいいかもしれません、それくらい空気感の違う素晴らしいお稲荷さんでした

諸説ありますが、倉稲魂命須佐之男命の御子神とされています

父神が祀られる氷川神社の境内にいらっしゃるのだからそりゃぁ凄いお力なわけですね


大分長くなりましたのでこの続きは次回!!


というわけで少し時間が飛びまして、境内全ての参拝が終わったところで追い稲荷をしてしまいました

いや、そのくらい凄かったんですよ

で、時間も時間ということでさらに薄暗くなり、人も来ないということで神前で稲荷祝詞を奏上させて頂きました

勿論、スマホの画面を見ながらですが(^_^;)


思い込みでしょうか、奏上しはじめると空気感が微妙に変わったような? いや、まぁそりゃきっと自分がそう思いたいだけなんだわな


奏上を終え、拍手を二回

意識はしていなかったのですが数多くの拍手を打ったこの日のなかでも一番綺麗に響いた


その直後


返答かのように、先程気になっていた木の上から何かが カーン、カンッ と二回の音を立てて落ちてきました


タイミングとしては


パンッ、パンッ、、カーンッ、カンッ


ほんと、一拍おいただけのタイミングでしかも二回だけ、音が回廊に響きました


思わず、はいっ、て小さく声が出ましたよね


先程も回廊は結構ゆっくり往復していたしこの時もゆっくり、なんなら鳥居を含めてこの近辺に結構居たのですがこんな響く音はその時限りでした

若干だけ噛んでしまったけど、まだ慣れぬ稲荷祝詞を過去イチ、自分でも驚くほど澱み無く奏上出来たのが届いたんでしょうか


と、御社殿左手に出て先程の木を暫く見上げ、、、うん、やっぱりもう何も落ちて来ないけどどうしてもこの木だけ存在感が違うんだよなぁ

と振り返って気付きました、正面参道の左手側にも細く入口がありその先には碑がありました



いやー、、、まさかの "おしるし" にとても嬉しかったのと同時に、やっぱりお稲荷さんなんだなぁ、ってしみじみ感じました



さて、この後もまだまだ素晴らしい境内社、そして御本殿がございます!!


後編へ~つづく!!


coming soon ⸜( ´ ꒳ ` )⸝

なぜ武蔵国一宮がふたつ存在するのか

どうも、ひのきですm(*_ _)m


とうとうやってまいりました、大宮


全国約280社の総本社、氷川神社です



が、まず、これまでいろいろと想っていた事についての記事にしたいと思います

いつものような参拝記事は次回にしますので、ぐだぐだなんて不要だという方(ほとんどでしょうがw)や、そんなこと知っとるわぃと言う方はこの記事をスルーしてくださいませm(*_ _)m

あと少ない頭でなんとか頑張って調べたのですが不勉強な私にとってはあまりに調べる事が多くなり間違っていたり足りない部分があるかもしれまんせんし、イマイチまとめきれていません、ごめんなさいw m(*_ _)m


テーマとしては、

なぜ武蔵国一宮がふたつあるのか

です


自分がこの不思議に気付いてからというもの、調べてみれば結構多くの人がこの疑問に当たっており、疑問のままで終わらせていたりそれぞれが独自の解釈や批判をしている事ばかり

私も多分に洩れず、批判的攻撃的な意見などを見るばかりで嫌になってしまって謎のままに放置してきてしまいました


各地の神社を巡り続けていくうちに、そして崇敬している大國魂神社、小野神社の参拝を重ねる上で、もうこれ以上放置してはならぬ! と感じ、今回の大宮氷川神社参拝を決めたわけです

調べるのに結構大変そうで手が出なかったので、ならば参拝さえしてしまえば記事にするため調べざるを得なくなるだろうという自己圧迫戦法ですw


武蔵国以外についても同様のケースが存在するかどうかわかりませんが、もしあるとしたら同じ原因かと思います



武蔵野の古社、氷川神社

全国に約280社の総本社であり社名は 氷川神社 なのですが分かりやすく 大宮氷川神社 と呼ばれることが多いようです

正式名称 神宮 が 伊勢神宮 と呼ばれているのと同じですね


創建はなんと孝昭天皇3年の4月といいますから紀元前473年ということになり、その後の記録は西暦750年頃に日本武尊が東夷鎮定の祈願をし、その約百年後には朝廷より武蔵国造に任じられた足多毛比命が氷川神社を崇敬していたとされます


氷川神社HPの御由緒によると、その後聖武天皇の代に武蔵国一宮と定められ、醍醐天皇の代には名神式社に、その後も鎌倉、足利、北条、徳川と錚々たる武家の崇敬を集めてさらに明治天皇の代には武蔵国鎮守勅祭社とされたそうです


少し整理してみたいと思います


645年、大化の改革において律令制によって令制国には国府を置くとされ、武蔵国においては創建111年の大國魂神社が指定され社名も武蔵総社と変更されました

一之宮から六之宮が指定されたのも同時期でしょうか、その中で小野神社が一之宮、氷川神社武蔵国三之宮とされています

その後、これは何年にという記述が見つからないのですが、武蔵総社にこの武州六社を合わせ祀ったことから武蔵総社六所宮と名称が変更されました

国の祭祀を執り行う際は総社の国司が一之宮から六之宮を巡らなければならなかったので総社に併せ祀ることで簡便にしたのが理由のようです

一 ~ 六の順番については主に社格、神格が優先されたようですが地理的要因や政治的理由も大きく関わったでしょう


律令制による六所制度開始から約200年後、聖武天皇の代に延喜式などによって一国一宮という新たな定めが作られ、武蔵国においては氷川神社が選ばれました

天皇御御自身が指名されたのか政治家や各国の国司が推挙したのかはわかりませんが、承認者はトップなので結果的に天皇により認められたということになります


こうして制度が変わったにも関わらず何故か律令制六所は残されており、六所宮という名称もそのままにされます

六所宮が大國魂神社という元の名を取り戻したのは一国一宮制度に変わってから1000年も後の1871年のこと、ただし武蔵国総社として六社を祀り祭祀を行う形は変わらないまま現在に至っています


なるほど!! 今までもちょいちょい調べてはいたのですが、やはりあっちもこっちも個別に辿って調べてみなければ分からないものですね


大國魂神社を総社とする律令制武州六社と延喜式による一国一宮制は別物である!!


これでずっとモヤモヤしていた凝りがとれ、、、るわけないですよねぇ!!!(怒笑)


"その時歴史が動いた" が頻発しまくっていたような時代、律令制から延喜式まで200年もの時が流れたわけですから過去を残さず自分のやり方でいく、それは良いのですが、ただどうにも中途半端ですよね


延喜式が定めたのは一国一宮、理屈的には総社がそもそもその役割であったはずです

それにも関わらず新たに一宮を指定したというのはそれまでの仕組みを変革したかったという事に他なりません

じゃぁ国司も廃止になったんだろうと思っていたのですが、国司は更に重要な地位となっていったと書いて………?! 、、、あっ!!


さらに調べてみればビンゴ! 826年の親王任国制度により国司親王が務めることに変わっていました

これは親王が増え過ぎて役職が足りなくなったための措置のようですが、ここではそんな理由なんてどうでも良いのです


なぜ総社、一 ~ 六宮制度がそのまま残されたのか


親王国司を務めるようにすると全国の現国司が職を失う、そこに配慮するならば別の職を用意すれば良いだけだったと思うのですが、まぁいろいろあったのでしょう、さすがにこの点をこれ以上掘り進めると更なる枝分かれでどこまでもいきそうなのでこの辺で止めておきますw



旧システムの一部を残したままその上に新システムを置くというのは常套手段でもありますからそれは別に良いのです

ただ、それならば総社から国司の役割を外して新たに国府を独立させ、旧国司には総社において祭祀等の管理をさせても良かったんじゃないでしょうかね?


っていうか何故、元から武蔵国一之宮があるのに新たに作ったのが同じ名称の武蔵国一宮にしちまったんでぃ? だからダブるんやないけ!

しかもより複雑にしたのが、六社指定が残ったままだということ! 一国一宮としたことで各国におけるトップ神社が新一宮となったのに元のトップである総社までもそのまま残した!!

そこには政治的理由があったのだとは思いますが、だとしてもわざわざ同じ名称が既に使われている一宮ではなく別の名称に定めてくれれば良かっただけの話なんですよね。。。せめて六社の解除とかね

もしかしたらダブってしまうのが一部の国だけの問題だから無視されたのかとも思ったのですが、全国のほとんどが律令国やんか!!w

まぁザックリと見たところ、二社ダブってしまう国は少なく、またその中には二社を併せることで一宮としているパターンもあるので影響が出た国はやはり少ないと言えるかもしれません


さて、当然ながら新たに定められた国にひとつだけの一宮が一手に崇敬を集める事になるわけですから大きく発展を遂げ、そうなると元の一之宮の方は廃れていったりなんなら偽物扱いというか古いもの扱いされるケースが…


神社ってそういうもんじゃないでしょうがぁぁぁ!


とは思うのですが、そもそも神道は創始期こそ純粋に先祖を敬うだけだったのでしょうがすぐに政治的な利用もされていたと思いますのでね


ちょっと調べてみると実際に各地で崇敬心による 一宮争い が度々起きていたようで、なんなら騒乱というか戦にまで発展してしまったケースもあるようです


救いとしては、神道を利用した所謂宗教戦争はほぼ無かったということでしょうか


そりゃそうか、神様と崇めたり神のお告げだとは言っても結局は御先祖様だということを皆が知っているわけだから身内の鼓舞こそ出来ても信仰を理由に戦争なんて起こらないわけです


あ、そんな事ないだろ! と思った方は凄い


そうなんです、最大の宗教戦争こそ、我等が神道の国に大陸から仏教が入ってきた時、蘇我氏物部氏の戦いです

どちらかと言うと氏族同士の権力争いに蘇我氏が仏教を利用したっぽい気もしないでもないですが


神道の政治利用としてはやはり記紀が代表的な気もします


ちなみに近代における 天皇は神様だ、テンノウバンザイ!! ってのは国威掲揚の強制手段なので最早宗教とも言えず言語道断、これを宗教とするならば単なる国家的カル…っと、過激な脱線はこのくらいに( ̄b ̄)シーッ!


あ、勿論、記紀神道天皇も好きですよ、私♪


さて………情けない、やっぱり結局は ヒト でしたね


それはこういった政治事情が関係無くなった現代においても同じと言えるでしょう


そりゃぁね、自分達が大切にするものが有名だったり格式が高くなると嬉しいのはわかりますが、それが中心になってしまったらアカンのですよ

だって商売じゃないでしょ? 祖神や神様をお祀りしているんでしょ?

格や人気によって集まる奉賛金にも差が出来て社殿保全などに影響が出るという内情は現実的で当然なのですが、どっちが上だ下だってのは必要無いと思うのです

他社を貶めなければ自社を高められないというのであれば、そんな神社は神様の為にも人の為にもならない


これまで色々調べていた中で、やはり面白可笑しく書かれていたり、崇敬心から、はたまた地元愛から煽るような書き方をされている方がかなり多く目につきました


私は小野神社が大好きですが、一之宮だから好きなわけでもなければ多くの崇敬を集めている(人気がある)から好きなわけではありません(事実、残念ながら一般的な認知度はだいぶ低い方かと、、、)


好きな理由は、とても相性が良いから、です

だからぶっちゃけ一之宮とかはどうでも良いのですがそれでもやっぱり、悪く言われるのはとても面白くないわけです


頼むから、由緒等でちゃんと説明してくれよ、と思うわけです


もうその辺の首謀たる権力者達は1000年を超える過去の人なわけで遠慮も何も必要ない訳ですから、大化の改革で指定された国司、総社、六社と後に延喜式で定められた一宮、両方ちゃんと明記したらそれでいいじゃないですか

例えば大宮氷川さんなら、武州六社制度においては武蔵国三之宮として崇敬を集め、延喜式においては一宮と定められ、、、って書いても何も損はしませんよね(ちょっと分かりづらいですけど)

総社と一之宮においては、後に延喜式において氷川神社武蔵国一宮とされた為、一宮が二社存在することになっています、と一言書いても良いんじゃないですかね?


実際に今でも武蔵国総社の祭りには現一宮である氷川神社が三之宮として参加しているそうですし、それならそれで余計にハッキリしたらええやんけ、って思うのは私だけでしょうか



武蔵国一宮、三之宮 氷川神社



うーん、意味不明だ( ̄・ω・ ̄)



やっぱ同じ名前だからめんどくさいねんな!

武蔵国三之宮 武州一宮
武州三之宮 武蔵国一宮
六社三之宮 延喜式一宮

律令国三之宮 延喜式一宮 おっ、これか?!

なんでもいいけどなんかそんな感じで併記するかちゃんと分類したらええじゃないか、と思うのでありました


一部ミスってるかもしれませんが一応文中で表記分けで律令制には 之 を入れ、延喜式には入れないようにしてみたのですがこんなの絶対に判別無理です(現実的に混在して使用されているので)


それとも、未だにハッキリと出来ないような理由があるよでしょうかね( ̄・ω・ ̄)メンドクサイダケナラヤッテヨ



脱線ですが、調べるうちに知ったこと(*^^*)


全国の神社を統括する神社本庁、その都道府県で庶務にあたる神社庁に対し各神社は各々で登録しているわけですが、あくまでも登録しているだけで上下関係は一切無いのだそうです

ほんまかいや!? だって一応それぞれ庁長とか理事とか居て権力的な。。。え? 名誉だけど面倒の方が大きいから大変?! え? そうなの?!


神社本庁に属していない神社もあり、なんなら私の崇敬する 伏見稲荷大社 もそうですし、出雲大社明治神宮靖国神社日光東照宮なども属していません


実は、神社本庁は全国の神社の実態を調べたりPR活動などを全国単位でまとめるだけ、神社庁はそれを各都道府県でまとめるだけ、ただそれだけなんだそうです

ですから、独自のネットワークがあって他神社と共同でのPRとか情報交換とか事足りていたり、或いは欠員補充や応援なども必要無ければわざわざ庁に属する必要も無いわけですね

そういえば伏見さんには神宮大麻が用意されていません! 勿論、登録していなくても神宮大麻を授与している神社もあるでしょうが


ちなみに以前は属していた出雲大社が途中で脱退したのは神社本庁のとある活動に反対でその蟠りが解決されなかったからのようです

ちなみにちなみに、この類の検索をするとどうしても 神社本庁が日本最大の宗教教団である とか 全国の神社を統括していてその教義に反対する神社が脱退、非加盟となっている などと書かれている方も多いのですが、実際は宗教法人としては各神社がそれぞれ 宗教法人〇〇神社 で登録していますし祀る御祭神も祈祷や祭祀方式、参拝手順などにおいても各社の自由です
→基準は定められていますが庁に属していても独自の参拝法を推奨している神社もあります


ちなみにちなみにちなみに、日本国民の総氏神とされている伊勢の神宮神社本庁の本宗とされており、神社本庁に属しているというよりは伊勢神宮神社本庁が属しているといった感じですね


だからといって(多分ですが)、伊勢神宮神社本庁にあれやこれやと指示を出すような手間もかけていないと思います(勝手に思うだけです)

ただ、各神社に 神宮大麻 が用意されているのは総氏神として祀るのに必要だからであると共に神宮の保全のため初穂料を集める意味もあるでしょう


でもね、やはり人が絡むと様々な問題(つまり 裏 )がある訳でして、天下りだの人事への口出しだのといった問題が起きているようです

世襲制などで御祭神や歴史、氏子を理解した方々がしっかり社を守られるのが理想とはいえ崇高な方が代々続かれるかどうかはまた別問題だったりもするのである程度の管理というか口出しも効果的な場合もあって、なかなか難しいものですね(´・ω・`)


というわけで、ながながとグダグダと大幅な脱線まで含んで書いてきました、知識ある方にはそんなこと明記しなくてもわかるかもしれませんが、そもそも立て札やHPの由緒書きは神社の由来などを知らない人達こそが読むものです

是非、分かりやすくお願いしたいものですが、、、今でもその辺のしがらみは意外と残っていたり、わざわざ波風を立てたくないという事もあるかもしれませんね


さてさて


改めまして


申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁm(*_ _)m


かく言う私もまた、偏った情報に踊らされていた面が大いにあったと感じ、つまりは同じように煽ってしまう形になっていたといたく反省でございます


でも、やはり考えれば考えるほどそりゃぁそうですよね! 今に繋がる 一宮 は氷川神社であって崇敬者の数からすると雲泥の差があります

なんで氷川が一宮名乗ってんだ? という声よりも なんでよく知らん神社が一宮名乗ってんだ? の方が多いのが当たり前

小野が一宮だ! という声なんて滅多に見ませんが、氷川が一宮だ!という声がやたら多いのも当たり前

だってその辺の説明が全然無いから不思議なんだもん!!


だから頼みますよ、公式さんがハッキリ書いてさえくれれば、他の人がまことしやかに騙るものを全部 誤認 で片付けることが出来るんですよ!! ヤキモキする人を無くすことが出来るんですよ!!!( ◉ω◉ )



やはり、実際に参拝することこそが重要で、こうして深く調べ理解を深めることに繋がりました


氷川神社、とても素晴らしい神社さんでしたので次の記事、しっかりと作らせて頂きます!!

お正月の準備

どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日は神社の記事ではありません


今年も残すところわずかとなりました

新年の神様をお迎えする準備は出来ておられますでしょうか


新しい御札は12月中にお迎えしましょう


私は神棚をお迎えする際に調べるまで御札は年明けの初詣で頂くものだと思い込んでおりました


毎年12月13日が正月事始めとされ、煤払いが行われて新年を迎える準備が始まります


多くの神社では12月に入ると新しい御札が用意されますので、早めに都合をつけて御札をお迎えし、出来れば13日以降28日までに神棚の御札を交換します

そうすると歳を跨ぐ際に 年神様 が来てくれるのだそうです(*^^*)b


ちなみに29日は語呂で 二重苦を招く として相応しくないとされているほか、30日31日も 一夜飾り として避けられていますので余裕をもってお迎えしたいものです


また、日が選べるようであれば例えば

22日 神吉日 天恩日
24日 一粒万倍日 神吉日 天恩日
25日 一粒万倍日 月徳日 神吉日 天恩日
28日 大安 神吉日

などの朝や日中を選べると良いですね(*^^*)



とは言え、年の瀬というのは色々と忙しいものですから難しいようでしたらそれ以外の日でも夜でも29日以降でも、また年明けでも構わないと思います


とにかく お祀りする気持ち がダイイチです


また、御社に収めることと、神宮大麻(天照大御神)、氏神様(住んでいる地域の神社)、崇敬社(気に入っている神社/特に無ければ無くても構わない)を揃えるのが基本ではありますが

場所がない、日に余裕が無い、といった場合は御社無しでも御札だけお祀りすれば良いし神宮大麻氏神様が無くても崇敬社だけであっても良いと思います

兎にも角にも、お祀りする気持ち、それが大切です


また神棚や御札の上に人が歩く部屋や通路があるような場合は 天 とか 雲 とか書いた紙などを貼っておくと良いでしょう(*^^*)



神棚にはついつい色々と供えたくなりません?

例えば宝くじとか縁起物の置物とか(´▽`*)アハハ

でも、それはやめましょう

神棚は神様をお迎えするところなのでむやみやたらと物を置くのは良くないと言います

もし、ご利益を頂きたくて何かを供えたい場合は神棚の前だとか少し離した脇などに別の棚などを用意して近いところにお供えしましょう


ちなみにいつも言うことですが、御札やお守りの効果は一年が目安とされているので基本は一年毎に、出来れば年末に新しいものをお迎えしたいところではありますが

遠方でなかなか参拝出来ず郵送対応もしていらっしゃらない神社のお守りや御札であれば、一年を超えてお祀りしたり持っていても良いと思います

例え効果が減っていたり無くなってしまっていたとしても、大切にしているという自分の気持ちには効果があると思います(*^^*)

勿論、ただ放置するだけになってしまうならばちゃんとお返ししましょう(。-_-。)b


交換した御札やお返しするお守り、おみくじなどは納札所がある神社へお返しし、しっかりとお賽銭と共にお礼をお伝えします

その際、陶器や金属などのお守りや縁起物などについては対応可能かどうかしっかりと確認の上でお返ししてください

基本的に神社で頂いたものは神社へ、お寺で頂いたものはお寺へお返しするように(。-_-。)b


やむを得ず自宅で処分しなければならないような場合は和紙などの白い紙に包んで(ナトリウムではない自然塩を振っておくといいらしい)心を込めて処分しても良いそうですが、出来るならばしばらく時間を置いてでも納札所へお返ししてください(*^^*)


さぁ、2022年も残すところあと僅か


2022年を締めくくる為にも、そしてまた素晴らしい一年を迎えられますように(*´ω`*)


つきのみや 調神社

どうも、ひのきですm(*_ _)m


本日はこちら、調神社です

調 ( つき ) とよみます


この日は第一にこちらの神社を目指して巡ってまいりました


さて、お気づきでしょうか


狛犬ではなく、狛兎!!


しかもこの日は己卯の日でございました、有り難や有り難や(-人-)


こちらも、雑念無く存分に空気感を吸い込む為、いつも通り御祭神だけ確認して由緒を全く見ずの参拝ですので謎のままの参拝でございます(後半に改めて由緒等を書かせていただきます)


なんと?! 御祭神は天照大御神豊宇気姫命素戔嗚尊の三柱


参道左手には元宮司の像がありました


いやー、、、凄いぞ、なんだこの素晴らしい気は

太陽、青空、心地良い気温、紅葉、、、いや違う、それだけではない素晴らしい空気がこの境内に溢れている

立っているだけで心身が癒されていく


おっ、右手に手水舎が、、、あっ

兎が水を吐いているぅぅぅぅぅぅぅw


なんで兎なんだろう。。。


手水舎の後ろには、、、あっ

達筆過ぎて解読できない石碑と狛兎!!

新しくする前にいらっしゃったものでしょう


御社殿の正面には御神木?を注連縄が結んでいて鳥居の代わりのようになっています(そういえば正面参道に鳥居が無かった)


御神気に満ち満ちた拝殿前

身体はそのままに魂がすぅーっと天へ吸い上げられるような、そしてラッパ状になにか気のようなものがすぅーっと降りてきているような


煤けた灯、美しい社殿、そして細工の凄い照明

全てから気が溢れている、拝殿の前に立つことが凄く光栄なことに感じる、そんな素晴らしいお社

水鉢も物凄く素晴らしい


これは、、、相当な由緒ある古社なのではなかろうか

崇敬を集めてきた、というだけでは滲み出ない凄さがあるんですよ



楽殿には大きな虎の絵馬、あっ、来年には兎の絵馬になるわけですね!! 来なければ(*^^*)


楽殿の左手に大きな池が!?


池の真ん中で兎が水を吐いていますw

境内を満たす御神気はお社や天からだけでなくこの池からも拡がっていますね、いや、木々いっぽん一本からも、まさに八百万の杜といった感じです


おや? こちらは一体、、、どこかハワイっぽい雰囲気もある石像は剣?っぽいものを地についているので素戔嗚尊でしょうか?


池の畔に朱の鳥居とお社といえばね(*^^*)


んな!ん!!と!!! 両部鳥居ぃぃい!!


そしてちょっと不思議な造りの、でも美しいお社は、、、ウカ様!?

完全に池と朱の両部鳥居から弁天様かと思いましたが右側の立て札に 調稲荷神社と書かれております


しかも大きなのは社殿を保護する社で中に美しい本殿が!! こちらは調神社の本殿に使われていたお社だそうです

あまりに美しいので立て札が無ければ神輿かと勘違いするほどに美しい

そして吸い寄せられるような清々しさ

ウカ様のところでいつも感じるような神狐さんのような雰囲気は無く、そりゃ池が真後ろにあるんだから当然ですが、物凄く水の気に囲まれるのです

なんでしょう、優しく渦巻いた水柱の中に立っているような


いやー、、、ここも凄いぞ


左手にも小さなお社があり、そちらには 稲荷神社仮殿 と書かれています


ん? ということはまだ本殿に入られる前で仮殿の中にいらっしゃるということでしょうか


社務所裏にあたるところにこちらの社殿があったのですが工事用のフェンスで囲われていました


額は 本 報 と書かれていますがなんでしょう


さらに境内社がありました


左手は菅原道真公を祀る天神社

右手は金比羅神社、参拝の際に社殿の中が見えたのですがとっても素晴らしかったです



こちら側にも小さな手水舎があるのですが湧き水でしょうか、近づかなくてもずっと水が流れていてこちらも凄く清らかな気が流れております


境内、満遍なく素晴らしい

こう書くのは自分にしては珍しいのですが、ここはまさにパワースポットですね


周りにいろんな気配を感じるんですよ

いや、怖い話じゃなくてw

そもそも私にゃ何も見えませんがね、こう、眷属様方なんでしょうかねぇ、皆凄く楽しそうというか穏やかで心地よさそうな気がそこかしこを動いている、そんな感じがしました


己卯の日、兎の神社、そして来年の干支は卯

私は普段あまりこういった授与品はお受けしない方なのですが、思わず兎を頂戴しました(小ですがw)



さて、ご由緒でございます


社記によると第9代開化天皇乙酉年の創建とのこと

調べてみると、、、開化天皇、、、乙酉、、、お、皇紀505年ですね! って、紀元前156年!Σ(OωO )


チョットヨソウヲオオハバニコエテキマシタ

ですが、一寸の異議も無いほどに凄い氣が流れていましたので納得です

第10代崇神天皇の代に神宮斎主 倭姫命が参向し、ここを神宮に献上する関東の米・調集積所に定めたとされています

調 というのは貢物や税の事ですね


この伝承を裏付ける事として、調神社の正面鳥居が無いのは調を運び入れるのに邪魔だったからと言われています

確かに正面だけ鳥居が無かった!!


一説には、771年に主街道が変更された事に伴い役割を終えた倉に神社を創建したとも推察されているようです

個人的に…ですが、神宮の場所を選定したほどの倭姫命が自ら参向してまでこの場所を選んだのに倉だけで神社を置かないなんてことがあるでしょうか

少なくとも、神宮へお届けするのですから、、、ほら! だから内宮外宮の御祭神が祀られているわけですよ!!

って、後から祀ったとしても神宮にちなんでいるのだから不思議は無いか、、、推察って難しい!


はい、まだまだ長いですよー!


なのでこの辺りでページを そっ と閉じる事をオススメしますw


とにかく、素晴らしい神社ですので参拝される事をオススメします(*^^*)

特に2023年は うさぎ年 ですからね(・×・)b





調神社 は つきじんじゃ と読みますので、ツキという響きからツキを呼び寄せるとして人気があったようですが、ツキは月とも結び付けられ、室町以降には月信仰の地となったり月読神社と間違って記載されることもあったようですが神社自体は否定しています

でもね

私は思うのです

都市伝説系の推察が元ではありますが、神宮には境外ですが月読命も祀られており、天照大神月読命素戔嗚尊姉弟神であります

それこそ推察の域を出ませんが、外宮の豊受大神こそが月読命であるとする方もいらっしゃいますね


というわけで、月と結び付けられたことで兎が神の使いとされるようになったようです


ちなみに月に兎が描かれるようになったのは飛鳥時代からだそうで、餅つきは江戸時代頃からなんですって(*^^*)



あ、、、ここから先はぐだぐだ長いので読まなくて良いです(爆)



そして、説 の域を出ないのですが、もうひとつ特に気になるのが、瀬織津姫

なんと、元の御祭神は瀬織津姫であったというもの


こちらについては、この地はこの池だけでなくもっと大きな湖の岸にあたる土地であり、その水を統べる神として水神、龍神とも言われる瀬織津姫が祀られていたというのです

瀬織津姫に関する説についておもしろおかしく盛り上げるだけの都市伝説として片付ける事は出来ず、中臣祓訓解という神道書には神宮 荒祭宮の御祭神が瀬織津姫であると書かれているそうです

さらに神宮公式由緒書きにはかつて並べ祀られていたと書かれていることがその裏付けと繋がって考えることが出来るようです

勿論、瀬織津姫を推す大祓詞はそもそも中臣が作ったものですから同じ中臣が作成した祓訓解に書かれているのも不思議ではありませんが(^_^;)



瀬織津姫をはじめとする祓戸大神記紀などの諸記に驚くほど存在しないにも関わらず大祓詞天皇勅令による創健社の御祭神になっているなど神道推察マニアにとってはこれ以上ない歴史浪漫とも言えるでしょう


で、ですが(仮定ですよ、仮定)


大祓詞が作られたのは600年頃、そして現在の形に整えられたのは700年頃と言われています

そして式年遷宮が開始され正宮に並び祀られていた瀬織津姫が移されたのが690年から

さらに天照坐皇大御神荒御魂を祀る荒祭宮が創建されたのは804年以前

以前というのは、そこではじめて記述に出てきたということなので都合よく考えれば690年頃、もしくはその後に遷座創建されたと考えることも出来るでしょう

諸説では、天照大神男神であり、女性天皇を高める為に女神とするのに后であった瀬織津姫の存在が邪魔になり、ただ存在を抹消することが出来なかったもしくは反対勢力への妥協として祓戸大神として名を残した、と

そうなると、皇后としての立場を消すのですからほぼ全ての痕跡を消されることになるのですがせめて祓えの神として高く祀る事が出来て後世にも残す事が出来る、それはこれからの世のためである、というロジック

うーん、無い話では無い( ¯−¯ )


空想、小説のような話ですが、今やっている大河ドラマを見ていても分かるように、歴史とは奇なるものです


ちなみに、、、月読命瀬織津姫とも言われています

なんでも繋げりゃいいってもんじゃないぞ! とも思うのですが、それこそ記紀に登場するにも関わらず名前だけでほぼ実態が書かれないというのは確かに瀬織津姫と似ていますね

一部には月読命素戔嗚尊とする説を唱えてらっしゃる方も居ますし、そもそも具体的な資料の無い推察と言うやつは都合の良い所だけ繋げた話ですから(*^^*)


さて、ここまで書き連ねておいて、、、ですが


由緒からすると倭姫命がこの地を調倉庫と定め、その敷地に神社もしくは祠を祀ったとしたら、さて誰を祀るでしょうと言うことになります

上述の私の予測では、神宮である天照大御神豊受大神の二柱であり、それこそ神社というよりは遥拝所のような感じだったかもしれません

素戔嗚尊はそれこそ、倉庫としての役割を終えた後に祀られていたりして?

ですが、もし、瀬織津姫が元から水を司る神といて崇められていたとしたら、池(湖)の岸辺に位置する倉庫を守るため、瀬織津姫を祀るのが必然じゃないでしょうか


なーんて言い始めると、天照大神の皇后を祓戸大神とした690年前後と大きく時代がズレるので自論をみずから破壊することになりますw


結局、何が言いたいのか全然わからない空論乱筆になりましたm(*_ _)m



本来であれば、明確に瀬織津姫を祀る神社でもなければこうした話をズラズラと書くことはせず、また別の記事として書くのですが

なぜ、調神社の記事にここまでズラーっと書き連ねたのか、、、それは、このまま書いてしまうべきだ、と思ったからです(ノ∀`)タハー

たまにこうして勢いで書いた時は、書き終えてからごっそりと切り取って別記事にするのですが、今回は何故か、このまま繋げておこうと思ったのです

何故かはわかりませんが、そういう 勘 を大事にしておこうと思いまして(*^^*)


このグダグダをここまでお読みになった方がいらっしゃったとしたら、その方は賛成反対どちらにせよ、瀬織津姫に纏わる説や都市伝説が好きな方、もしくは何かを感じてらっしゃる方でしょう


おつきあい、ありがとうございますm(*_ _)m

白幡市民緑地と街角のお稲荷さん

どうも、ひのきですm(*_ _)m


今回はちょっと今までにあまりない感じからスタートの二本立てでございます


まずはこちら、白幡市民緑地


睦神社から次の目的地へと住宅地の中を歩いていた時、ふと視線を脇の木々に向けた瞬間、グンとお社が目に飛び込んできました

サクサク歩きながらほぼ通り過ぎる間際によくぞ気づいたな、と自分ながら思いますw


個人管理の御堂かな?とも思い通り過ぎようとも思ったのですが何か呼ばれた感もあり、市民緑地という看板を見てより不思議に感じたので少し戻って行き止まりの脇道へ

隣は学校、背後は緑地、手前はこの境内の為だけの道でしっかり石鳥居もありました


鳥居があるから御堂ではなく御社だ、というわけでもないのでさすがにその場でちょっと調べてみたのですが情報が無さすぎてわからず


境内に入ると同時に サァーッ と風が抜けとっても素晴らしい空気に包まれます

あれ? さっきまで風がやんでいたのに


まず左手の御堂、こちらはちょっと覗かせていただいたのですが隙間よりも低いところに神棚があるようですが屋根っぽい部分しか見えず


正面の御堂はさらに独特の存在感があります

おや、小さな額が?

うーん、残念、読めません

比較的 詰まった 漢字が二文字、、、稲荷が濃厚な気もしますが 御嶽 とかも当てはまりますねぇ

堂内には御社とその左側に大きめの招き猫、壁には伊勢奉賛の文字と奉賛者の名前が並ぶ板が掛けられていました


やっぱり社名も御祭神もわかりません

市民緑地との間には一応フェンスもあるので敷地的には区切られています


よく分からないながらもこの境内にはしっかりと素晴らしい 氣 が流れておりました


ちなみに緑地について調べてみたらこちらは土地所有者の方が市と契約して市民緑地として貸借契約されているようです

とすると、その方の氏神様か屋敷稲荷か、はたまた古来から土地神としていらっしゃるのか


名も由緒も御祭神(本尊)も分からない御社(御堂)、この温かさが伝われば、と思って記事にしてみました(*^^*)


天気が良かったってだけじゃないんですよ!(笑)



さて、この白幡市民緑地から先へ歩いていくと、今度はお稲荷さん発見!


見てください!! 狛狐さんが物凄く素敵!!

鍵と宝珠を咥えてとっても凛々しいですね(*^^*)


境内も綺麗に整備されているしお社の中にも小さなお狐さんが沢山、そして木札(紙だったかな?)には お賽銭は有難く御社等の保全に使わせていただきます 的な事が書かれていました


とっても穏やかな氣、そして胸もほっこり


個人の元邸内社なのか、はたまた村のお稲荷さんを町や有志が管理されているのかはわかりませんが、とーーーっても大切にされていることが伝わってきます


ウカ様もお狐様も凄く居心地良さそうでご挨拶したら優しく見守ってくれそうです(*^^*)


とても優しい気持ち、とても嬉しい気持ちになれました


境内を出て左側を通って次の目的地へ向かったのですがその時、妙に気になった綺麗な石があったんですよねぇ

ん? いい石だな、っていうか存在感あるな、置き石かな、、、むー、、、と二~三度振り返ったのにそのまま進んでしまったんですよね


調べたところ、由緒などはわからなかったのですが表側にはこう彫られていたようです


庚申 ム← 三文字目が削れてますが多分 仏 かと
佐田彦大神
大宮比大神


さて、ここでひとつ

佐田彦大神とはつまり猿田彦命

神仏習合により庚申様と同神とされることが多いので 庚申 として猿田彦大神佐田彦大神が祀られていることがよくあります

ですがこちらの碑にはもうひと柱、大宮比大神の名があります


大宮能売大神とは宇迦之御魂神の配神として伏見稲荷大社にも祀られており、佐田彦大神もまた 伏見稲荷大神五柱として祀られているのです

大宮能売大神は天岩戸開きに関わった天太玉命の娘とされており、そのまま岩戸から出られた天照大神に侍女として仕えた巫女とされています

つまりは、天鈿女命

瓊瓊杵尊天孫降臨に付き従った天鈿女命は出迎えに来た猿田彦命と出会い、そして夫婦となるわけです


天照大神の侍女にして巫女というのは共通しているものの大宮能売大神と天鈿女命は別の神であるという説もあります


同一の神だとすると、何故、天鈿女命が宇迦之御魂神の配神として伏見稲荷に祀られているのか、ということにもなりますね


宇迦之御魂神は須佐之男命と神大市比売の間に生まれた神とされているのですが実はその後のことについては記紀にあまり記述がありません

ちなみにウカ様と同神とされることが多い豊受比売命は和久産巣日神の子であり、天孫降臨の後に外宮に鎮座されたといわれています


さぁ、おわかりでしょうか


私の頭の中がぐっちゃぐちゃにこんがらがってきたということが(´>∀<`)ゝ


記紀の御代の事ですから、そしてそれぞれの立場に拠って編纂されたものですから正確なところはわかりませんが、ウカ様、大宮比様、豊受様、アメノウズメ様、猿田様は時代的に重なっていても不思議は無いというところが様々な説になってしまう理由でもあるでしょう

もしかしたら別人かもしれないし、もしかしたら同人かもしれないし、はたまたどちらかが実在はしない架空の存在かもしれないし、なんなら両方とも架空の存在かもしれないし

ハッキリしないのも少しもやもやする部分ではありますが、逆に言うとそんな昔の話がこれだけ書き残されていて、それに従って今でも崇敬されているということを日本人として誇りに思います(*^^*)



まぁ全てはタダの偶然(にして必然)でしょうけれども、こうしてお稲荷さんに出会っただけでなく庚申様として猿田さん、大宮さんの銘に出会えたということも、ちょっと考えてみるキッカケとして与えられたものなのかなー、なんてね


え? お前、石碑の銘に気付かず背中しか見てこなかったやないか、って?


いやいや、それですよ! 当日、銘に気付いていたのならば、もしかしたら「~の小さな石碑もありました」で終わっていたかもしれませんからね(。-_-。)b ← ひたすら前向き


どうでも良いことですが、私、元来は超後ろ向き人間でございまして( *・ω・)ノ

それがこうして適度な前向き思考へと転換出来たキッカケは我が相方の存在、そして石と神社との出会いでございます

だからこその、ブログタイトル 日日是吉日 です♪