日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

名古屋寺巡り 日泰寺・大須観音・万松寺

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本当は年明け早めに記事を書く予定でそのまま忘れていたが為に思いっきり巡拝と同じ流れになってしまった名古屋寺巡り

 

と言っても神社巡りがメインな私にとっては数少ない毎年のルーチンとも言えるお寺ですのでいつも読んでくださっている方にはお馴染みのお寺ですね

 

名古屋に限らず年に一回以上参詣しているお寺はこの三箇寺と東京の深大寺くらいじゃないかな

 

まずはこちら、日泰寺、、、から北へ10分弱の釈尊御真骨奉安塔です

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シャム王国のお計らいにより各仏教国がお釈迦様の御真骨を拝受出来る事になり、さぁこれは大変だ、そんな御力のある御真骨をどこの寺が拝受するのか、これは宗派の多い仏教にとって大問題でした

 

数百年前だったら戦争が起っていたいたかもしれないこの事態に各宗派の代表が集い出した答えは、どこにも属さない国内唯一の無宗派寺院を創って奉安し住職は交代制としよう、という最強の平和的解決案でした

 

何ヶ所か候補があった中で広大な土地の寄付があり列島の中心に近い名古屋が選ばれました

 

当時の名称は覚王山日暹寺、日本とシャム王国(暹羅)を繋ぐ寺として建立され、やがてシャム王国タイ王国となったことで日泰寺と変更されています

 

恥ずかしながら最近知ったのですが、、、各地にある舎利塔には所謂依代的な石や水晶が納められていると思っていたら御真骨が納められているとされる所もあるんですね

 

ではなぜ日泰寺だけが日本で唯一とされるのか、それは由緒が確実に分かっているのがこちらだけだからなのだそうです

 

 

裏手は一般のお墓になっていますが参道は真っ直ぐこちらの奉安塔へと繋がり、奉安塔の為だけの境内となっています

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普段は神社巡り一辺倒な私ですが、こちらに来ると自然に全身全霊の力が抜けて普段心に背負っていることなどどうでも良い事だと思えて純粋な心で感謝の気持ちが持てる、戦争や災害などで苦しむ人々に少しでも安寧が訪れるように願えるのです

 

覚王山駅から北のこちらが日泰寺本堂、こちらにはタイ王国の国宝だった釈迦牟尼如来像が安置されています
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みなさん御存知無いのか、こちらにはいつ来ても参拝されている方が多いのですが奉安塔には例え元旦であっても僅かにしか参拝者が居ません

 

もし日泰寺を参拝されることがあったら是非、10分ほど北東へ歩いた奉安塔へもお参りください

 

続きまして名古屋人なら外せないお出かけスポット大須観音
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今回は巡拝の流れでやって来たので実は表参道って初めてですw

 

後村上天皇勅願所の北野山真福寺寶生院で御本尊は聖観音です
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大須観音は広大なアーケード街となっていて所狭しと新旧の店舗が連なる一大テーマパークのような場所なので三賀日の人出は凶悪ですがw それ以外でも土日祝日を中心にいつでも大賑わいな街です
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大須観音名物と言っても良いでしょう、鳩の餌やりで鳩まみれになることも出来ます
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大須グルメでオススメなのは名古屋風お好み焼き!
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こちらもご時世により値上がりしましたがそれでもミックス(豚・イカ・卵)で一枚350円、ソースを塗ったら半分に折り曲げてアルミホイルと緑色の紙でクルクルっと包まれて渡されますので口の端はソースまみれwになりますが手を汚さず食べ歩ける最優秀食べ歩きソウルフード!!

 

食べ歩き出来ると言っても一枚で結構お腹いっぱいになるボリュームなのでお持ち帰りで夜食や新幹線の中でなんてのもアリ!

 

ウン十年前なんかはもっと町のあちこちにお店(一坪で出来るw)があったので中高と部活帰りに豚玉200円を食べるのが楽しみでした(*´ω`*)

 

そんな大須観音ですがアーケード街の反対側にあるのが再建で随分とモダンになってしまって ん? という外観になってしまいましたが(個人的には昔も今もそれぞれ好きです)織田信秀公により織田家菩提寺として建立された亀嶽林萬松寺
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パチンコ屋か?ってなくらいに華やかな和傘模様を映し出した横長の液晶パネルが煌びやかで昔のような蝋燭立ち並ぶ独特の雰囲気は全く消えてしまいました

 

賛否ありますし私もあの古い雰囲気が大好きでしたが今の方が参拝者層も広がり多くの人で賑わっているので時代に合わせてということでアリだと思います(*´ω`*)

 

ちなみに萬松寺のすぐ近くに私イチオシの名古屋喫茶店 コンパル がありますので是非!!
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今回は元旦で営業していなかったのですがコンパルも私が帰省したら必ず行くお店のひとつであちこちにあるのですが大須店のThe喫茶店という独特の雰囲気は他店舗では味わえないのでオススメです

 

珈琲はやや少なめですが名古屋らしく濃いめの苦め
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珈琲は濃くて苦くてナンボという土壌で育ったので未だに自分で淹れる珈琲は苦味の強い豆を選び通常の倍の豆を使いますw

 

そしてコンパルでアイス珈琲を頼むとこうなります
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これを、自分で、こうじゃ!!
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なんで自分でやらされるん?と思います?思いますよね?

 

私もそう思いますwww でも、これが良いんですw

 

いや、ちゃんと拘りがあるんですよ!! ホットコーヒーと同量の豆で少なめに入れられた熱々のコーヒーを飲む直前に一気に冷却することで風味を損なうこと無く、そして溶けた氷によってホットコーヒーに遜色無いままアイスでいただけるのです

 

いや、マジでうめぇから自宅でもやってみて? 濃いめ少な目に淹れたら冷める前に多めの氷へ一気に注ぐ!! ゆっくりじゃないぞ、一気にだぞ!!

 

あと大人気なのがこちらのエビフライサンドですね、独自レシピのソースとタルタルが最強!!
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ですが、私の推しはカツサンド!! ソースはちょっとケチャッピードレッシングな雰囲気でこれがまたうめぇんだ(*´ω`*)
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ちなみにたまごサンドも美味いぞ(*´ω`*)

 

あと店舗限定なのですがホットドッグがまたうめぇんです! シンプルなんだけどキャベツは胡椒が効いてしんなりとしていてこれが他に無い味、是非ご賞味あれ~

 

 

おおぅ、お寺と食べ物が同量になってしまった気がするけれどこんな回も良いよね~ってことで(*^^*)

 

 

池の主神 蝮ケ池龍神社・辯天社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

小高い丘の上に鎮座されていた蝮ケ池八幡宮から池下駅へと降りていくと鎮座されているのがこちら

 

蝮ケ池龍神社・辨天社です
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いやはや、先程まで雲はあれど青空の方が多かったのにどっぷりと曇りました、勿論、参拝を終えて離れるとまたすぐに青空

 

さて、やはり丘上ではなくこの辺りが蝮ケ池だったようです、かなり広かったそうでマムシが多く出たからというのが有力な説のようです

 

やがて時代が移ろい街造りが進んだ大正期に池を埋め立てて建設工事を開始したところ事故が多発、責任者は原因不明で倒れるなど凶事が相次いだ事から池主大神、つまり龍神を祀るよう当社が創建され、それでも収まりきらなかったのかさらに辨財天も祀られたそうです

 

まぁ気象条件なんて偶然でして私ひとり(おかんも居ますがw)の為だけに天候が変わるなんてこたぁ無いわけですが、それでもやっぱり近付いたら真っ白に曇り離れると快晴になるとそりゃ信じたくなりますよ

 

ちなみに年明けの日泰寺詣りの帰りにぼーっと歩いていたら方向を間違えて覚王山ではなく池下へ来てしまったので再度参拝、この時は思いっきり晴れていましたがこんな感じの三角値に祀られています

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ちなみに鳥居は無く境内に入るところへ御神域を分けるかのように木の根が這っております、やや踏まれてしまっている感もありますがとっても美しい
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右手が祭壇のようになっていてこちらにも彫刻が、やっぱこの雰囲気好きです(*´ω`*)
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半分網が張られていますが四角い池、そして二社が並んでいます
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空模様もあってとても不思議な感覚になる御神域ですね、参拝時には謂れを知りませんでした知った上で考えると地鎮というか池鎮というやや重厚感がありました

 

お社には御祭神の書かれた札が掛かっているのは見えるのですが肝心な大神の上が紙垂に隠れてみえすw ただ左手に蝮ケ池大神の石碑があるので正面(左手)が龍神社でしょう

 

境外から見ると中央のお社前に彫刻があるのですが龍のようにもガネーシャのようにも、、、とよーくアップにして見ていたら目に見えていたのは球ですね、左右の龍がそれぞれ手に球を掴んでいます

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いやー、、、分かった上で見ても胡座をかいて座るガネーシャに見えてしまう(≧∇≦)

 

ちなみにどちらも大きな鏡餅が供えられていました、橙が無いのはカラス対策でしょうかね
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いやはや、池下駅は住んでいた頃から何度か使ったことはあったのですがこんな近くにこうした場所があるとは知りませんでしたし池下という名前の由来も初めて知りました(*´ω`*)

 

やはり八百万の神々に守られる国、例え寺社仏閣やお墓でなくとも山や森、川や池には神様や人々の想いが宿っていますから無闇矢鱈に破壊するのは良くないですね

 

とはいえ理由があっての開発もあるでしょうが、それなりの想いを持ってしっかりと礼を尽くした上でお遷り頂くとか小さくても感謝の祠を遺す場所が多いというのはそういうことですね

 

さて、さらに名古屋巡拝は続くのですが、ここで問題です

 

じゃじゃん

 

名古屋と言えば?(ザックリ過ぎるw)

 

ちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっ

 

はい!!

 

ドラゴン!!(酷い問題)

 

いや、私どっちかってとサッカー推しなので(シャチも正解としますw)すがそれは置いといで

 

そう、ドラゴンズなんですけどね、よく考えてみたら子供の頃から当たり前のように龍にまつわる単語やお祭りを目に耳にしてきたので特に意識してなかったんです

 

こうして神社巡りを初めてみると、、、ちょっとなんか名古屋って龍の神社多くない?!

 

ってなわけで辰年の今年に最適な龍関連の神社をいくつか記事にしますのでお楽しみに~(*´ω`*)

 

そういえばどんどん曇ってくるなぁ、と八幡宮から歩いて居る時にふと足元を見たらマンホールの蓋がアメンボでした(*´ω`*)
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さぁやってまいりました名古屋飯テロコーナー!!

 

本日はコーチラー、風来坊!!
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瑣末なブログではありますが以前から見て頂いている方にはお馴染みの食べ物しか出てきませんねw 年イチ帰省なので食べたいものが固定されてしまうんですw

 

名古屋と言えば手羽先!! 手羽先と言えば山ちゃん!! というのは観光客目線、勿論山ちゃんも美味しいですが手羽先と言えば誰がなんと言おうと風来坊です(´◉ᾥ◉`)

 

持ち帰りの間にがっちゃがちゃになってしまっていますがw
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表面はパリッと、小ぶりなのに中はふっくら肉汁ジューシーなので骨離れも凄く良くて食べやすい、ガンガンビールやレモンサワーが進むやーつです⸜(*ˊᗜˋ*)⸝

 

ただ持ち帰りだとやっぱりパリパリ感が失われてしまうので(それでも美味しいですが)出来れば店舗で食べて頂きたいですね(*´ω`*)

 

暖簾分けが主なお店ですから古ければ古いほど(必ずではありませんが)年期の入ったお味となっておりますので店舗毎に基本の味には忠実に守りつつオリジナリティもあって良いですよ(*´ω`*)

 

ちなみに以前は店舗でなければ買えなかったのですが今や市内のスーパーでも魔法のスパイスが手に入ります(*´ω`*)

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まぁ秘伝の味そのままではないでしょうから手羽先や焼き鳥に掛けても風来坊老舗店舗と全く同じ味とはいきませんが十分以上に美味しいです(*´ω`*)

 

手羽先は勿論、ポテトフライをシャカシャカしても酒のツマミに最高ですしお肉や野菜、焼き物系炒め物系のメインでもちょっと隠し味でも最強です( ´ω` )/

 

お取り寄せでも楽天などで買えますから是非~♪

 

兼松源蔵の元邸内社 蝮ケ池八幡宮

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

名古屋巡拝、開幕です( ´ω` )/

 

ふとしたことから突然その存在を知った蝮ケ池八幡宮です
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立派な幟、そして参道の先は、、、見えない?!
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と思ったら薄暗いだけでそれほど高くは登らないようです、というか表から見てこんな高台があるようには見えなかったなー
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参道には個性的な狛犬、というよりシーサー?が供えられた大きな岩、、、よく見ると左を向く狛犬のように見えなくもない? ちょっと目と耳に当たる上部が無くなっている感はありますが(´・ω・`)

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右手に社務所、左手に手水舎、ごく普通の雰囲気ですが
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境内全部そうですけど手水舎って豪華とかシンプルとか無関係にその雰囲気でその神社の性格が凄く出ますよね、わたし、多分こちら、好きです
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まぁ鳥居の前から、そして潜れば大体はその性格はわかりますが

 

では石段を上がります、っと、それほどキツイ階段ではないのですが丁寧に遥拝所が用意されているので高年齢の氏子さんが多いということでしょうか、やっぱり手水舎で感じた通りとても心遣いを感じますね
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心地よい参道を上がると
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右手に鳥居、、、の向こうには何も無い?!
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案内板でも無く御神木でもなく八幡社の社号碑と龍神大明神は少し脇なのである
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元々この後ろに蝮ケ池があった、とかそういうことなのだろうかとも思ったのですがこの高台に池を作るだろうか

 

下の岩に供えられていたのと同じタイプの素敵な龍さんがいらっしゃいますね、こういう雰囲気、大好きです(*´ω`*)チョット沖縄ッポイ
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左手には境内社が並びます
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正面社殿の三社合殿は伊勢神宮から下賜された御神木で再建されたそうです、須佐之男命を祀る津島社、迦具土命を祀る秋葉社、州原社は伊邪那岐命伊邪那美命大穴牟遅命が祀られるようです

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となると左手が鎮霊社でしょう、祖霊か地域の戦没者が祀られているかと思われます

 

いやー、年末差し迫って全く人が来ない、なんと長閑なんでしょう

 

さきほどの鳥居横には中央に賀正と貼られた神楽殿f:id:hinoki_kaonashi:20240130100407j:image

 

そしてこちらが主殿、いやーーー良いですね、良い(*´ω`*)
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The八幡様!! と言いたくなるような素晴らしい御社殿ですね

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御祭神は応神天皇、1624年に地元の大庄屋が石清水八幡宮より勧請した屋敷神だったのですが地域住民からの請願によりこの地へと遷座されたそうです
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邸内社が請われるほどに地域から見て大庄屋さんに御利益が凄かったということなのでしょう、と調べてみたら兼松源蔵は名古屋新田を整備するなどかなり名古屋の発展に寄与された方なんですね
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というか大庄屋と言えば武家ではなく商家さんですが、自ら京都から勧請しているのにお稲荷様ではなく八幡様というのは珍しいと思ったのですが肩書き?は尾張藩士だったようです

 

そうかー、この物凄い和やかさと居心地の良さはそういうことだったんですね、地域の想いが溢れている(*´ω`*)

 

だからこそ400年経っても変わることなく大切にされ続けている

 

奈良京都でとんでもない神社を巡拝してきた後ですがほんと、神社は決して古さや格だけではない、それぞれにそれぞれの素晴らしさがあります(*´ω`*)

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いやー、おかんも一緒だったのですがそれでも少しのんびりとして温かな御神氣をいただきました

 

おぉ? 石なのに苔のようでもあり青錆のようでもあり、でも青錆にしては上から垂れたというより穴から湧いているような
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じーっと見ているとお猿さんに見えてきました(≧∇≦)

 

参拝を終え階段を降りていくとこちらにも素晴らしい巨石が
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こちらはほんと、何か不思議さや美しさの凄い石がありますね、そしてやっぱり彫刻が供えられている、石愛を感じます

 

とにかく素晴らしい氣に満ち満ちている御神域でした(*´ω`*)

 

 

さてさて、恒例の名古屋飯テロ♪

 

名古屋に帰ったら絶対に食べる山本屋の味噌煮込み(*´ω`*)
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当然ですが八丁味噌が濃いので白飯必須ですw

 

山本屋は総本家と本店とチェーンが別れておりますがどちらもほぼ味もお値段も一緒、これだけ濃い味噌でもかなり強く主張してくるカツオ出汁が最高!

 

ちなみに本店では以前はお漬物もご飯もおかわり自由だったのですがこのご時世なので中止になってしまったようです、残念
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最も特筆すべきところは土鍋と味噌という保温性抜群でグツグツ状態でも伸びてしまわぬよう専用に開発された麺! ほったらかしにして(そんな事は無いでしょうが)冷め切るまで置いておいてもうどんは伸びません

 

知らずに食べると生茹でで芯が残ってると言う方もw(土鍋でグツグツ提供されるのでそんなわきゃありませんw)

 

ちなみに山本屋の土鍋は蓋に空気穴が空いていません、これは熱すぎるため蓋をお皿にうどんを冷まして食べることも出来るようになっているのです(。-_-。)b

 

そしてこれ!! 久田見あげ焼き!!
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いやー知らなかった、厚揚げといえば栃尾と思っていたのですがこちらは岐阜なんですね、栃尾に勝るとも劣らないと言っても過言では無い美味しさ(*´﹃`*)

 

なんでも予約困難レベルに人気があるそうで納得のお揚げ、いや、お味でした(*´ω`*)

 

 

なお、高いので食べませんが観光で行かれる方は是非名古屋コーチンの焼き鳥もあるので食べてみてください

 

味噌煮込みメニューにあるコーチンも良いですけど串焼きになっている方がより地鶏の旨さがわかると思います(*´ω`*)

 

鴨氏と秦氏とサルタヒコ

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

今回は葛城三社、山城二社を巡った鴨族の総括回でございます
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総括と言いましてもあまりにも複雑過ぎてまとまりの無い記事になるかと思いますが( ̄▽ ̄;) それほどに、知れば知るほど、調べれば調べるほどに謎が増えて行きました

 

まず私は勝手に記紀考察と称し、最後の記録とされながらも神話のような書き方で複雑に描かれ、さらに編纂者による改竄なども否定出来ない記紀だけを頼りに自分なりの考察を行いました

 

そもそも神話における都市伝説が好きだったものでそういった人の考えた情報に頼ることなく(ある程度は影響してしまいますが)考えるには、今の世にある先代旧事本紀(僅かに参照しましたが)や竹内文書、宮下文書、出雲口伝などは除外してまず記紀だけに絞ろうと考えたのです

 

その結果、それまであまり感じていなかったスサノオの存在感に気づき、そして味耜高彦根というキーポイントに辿り着きました

 

その直後、偶然旅先に選んだ地、長岡に味耜高彦根が祀られている、そして違うかもしれませんが高照の扁額が掛けられた神社があった

 

もうどうにもこれは調べなければならない、と葛城鴨三社の事を知り、その流れで山城賀茂二社と併せ参拝しました、この間僅か二ヶ月というから自分でも驚きです

 

では、各社伝を組み合わせた勝手な解釈に入りますw

 

渡来人だとされる鴨族はまず葛城の地に降り立ちます、そこで祖として祀られたのが味耜高彦根と高照姫、同様に鴨族が祀った社では事代主と下照姫(高照姫と同神とされる)となっていることから味耜高彦根は事代主という職位にあったという勝手な考察が合っていた可能性が大きくなりました

 

つまりは、大己貴が大国主という統治王になったのと同じで、大物主など〇〇主というのが役職名である可能性は非常に高くなります

 

何が困るといって、所謂オオクニヌシには名前が多くあり過ぎる、それが呼ぶ人の立場によるもので同一人物の事を指しているのか、はたまた代替わりした子孫や後継者を指しているのかというところが大きな問題ではあるのですがこれは置いておきましょう

 

大物主といえば大神神社、その社伝では大国主の元へ我を祀れと大物主が現れ三輪山へ祀った事で国造りがうまくいったとあります

 

主が職位名で魂が所謂戒名のようなものであると考えると、大物主は決して魂ではなく生きていたということになります、つまりは地方統一に苦労していた大国主が大物主を派遣し、三輪山を拠点に大物主が大和を制圧したことで国造りが成ったということではないでしょうか(勿論、自分自信が大物主となって大和征伐に向かったという解釈も出来ますが)

 

となれば、大物主は誰なのかということですが神武天皇に嫁いだ媛蹈鞴五十鈴媛命は大物主の子である、また事代主の子であるとされている、つまり同一人物である可能性が高いとされています

 

それが私は、味耜高彦根だと解釈しています

 

そして味耜高彦根大国主の娘下照姫を娶った天稚彦だったのではないか、戻らぬ事を怪しまれ死んだ事にした為、死という穢れを受けた大物主は魂として祀られ、新たに事代主という役職に就き三輪に続いて葛城の地を制圧した

 

三輪氏と賀茂氏は同祖とされているのでこの解釈は問題無いと思うのですが、ただし大物主と事代主を繋ぐ祖が居ると考えると兄弟ないし親族ということになりますのでここは無理をせず、ただ記紀に大物主=事代主とされる記述が多いのは無視出来ないかと思います

 

葛城に降り立った味耜高彦根は現地の豪族と協力しつつ多紀理姫の血を引く正当祭祀の下照姫の力もあり鴨族として大きな力を付けていきます、迦毛之大御神が坐す地が鴨や加茂ではないことが元より葛城氏が治めていた地でかなりの豪族だった事が伺えます、、、あれ?

 

ここで年代的な謎が、、、調べると鴨族は葛城氏と共存していたという説を多く見かけたのですが、肝心な葛城氏の祖とされる葛城襲津彦は竹内宿禰の子とされており4世紀頃に存在したとされていますが八咫烏が神武東征に協力した時代には葛城姓はまだ存在していないはずなのです

 

つまり、鴨族が居た頃の現葛城の地には別の豪族が居たということになります、それは誰か、そう、神武東征で敗れた長髄彦ではないでしょうか

 

長髄彦を倒し(裏切りでもある)神武東征を助けた八咫烏山城国へと移住(全てではない)し治めた、長髄彦が居なくなり鴨族の一部が残った地にやがて東征の功績により椎根津彦が国造に任命され葛城氏となりその地が葛城となった

 

あれ?でもそうであれば確かに長髄彦は強大な豪族ですがニギハヤヒ(私は味耜高彦根だと思っていますが)に仕えていたのであればニギハヤヒ側の名前が地名でも不思議は無いはず?!

 

と調べてみるとなんと葛城山は古来、鴨山と呼ばれていたそうです!!

 

ではいつから葛城に?と調べてみると神武天皇がこの地で土蜘蛛を捕らえるのに葛で編んだ網を使ったことから葛城と呼ばれるようになったんだそうです、つまり鴨族が去り地名が葛城となって国造が葛城姓を名乗る事になったんですね(葛城の由緒、実は野口神社の案内板に書かれていましたね)

 

...はて?土蜘蛛?手足が長い、、、長髄彦?!  土蜘蛛を調べると天皇に恭順を示さなかった土豪の総称とあり長髄彦もそのひとりと書かれていますがそもそも初代天皇を神武とするのであればその呼称の由来が長髄彦であっても不思議は無い?!

 

ただ資料によってはヤマト王権に恭順しない~と天皇とは書かれていなかったりするので実際のところは不明です

 

ではなぜ京鴨社にはその御祖である味耜高彦根が祀られていないのか、勝手な解釈では恐らく鴨族=八咫烏ではあるけれど実際に神武東征を助けた一族が八咫烏として分家していったと考えても良いかもしれません

 

いずれにしても祭祀の知識を持っていた鴨族なので京賀茂氏にもその力は受け継がれており、天皇家とも密接で宮廷祭祀にも大きな影響力を持っていた事が賀茂大社の斎王制度に現れています

 

山城国へ移った鴨族は後に移ってきた秦氏と密接な関係にあったと思われます、それはつまり説のひとつではありますが賀茂氏玉依姫秦氏が祀る大山咋神の間に賀茂別雷が生まれているとされることです

 

ただし、大山咋神には大年神の子という説もありそうなってくると鴨族と親族であることにもなってくる、、、難しい!

 

大年神というのが尊称のひとつであり全てが同一人物ではないという可能性もありますが、実際に葛野の地を治めた秦氏氏神 松尾大社の社紋は鴨神社と同じ二葉葵であり松尾山の別名は別雷山というのですからかなりの関係性があることは間違いありません

 

ちょっとこじつけですが、松尾大社の前を流れる桂川と鴨社の前を流れる鴨川はやや歪みつつもY字を形成しおり、そしてその扇状地平安京があった、さらにやや下流ですが鴨川の東側には稲荷山もある、いかに力を持っていたかが伺えます

 

この頃には既に鴨族は多岐に渡っており、また姓からカモという文字が消えていったりもしているので追うのは諦めましたw

 

、、、といったところでふと浮かび上がった一説はたかが一説と見逃す事が出来ないものでした、それが伏見稲荷大社を創建したとされる秦伊呂具の存在です

 

秦伊呂具は稲荷社家系譜図におい賀茂建角身命24世賀茂県主久治良の末子だと書かれているそうなのです

 

めちゃめちゃザックリですが世代的に1世を30年として計算すると、24世の末子ということで25代をかけると、、、750年になります、、、なんと、伏見稲荷大社の創建年711年から逆算すれば八咫烏とされる賀茂建角身の代が神武天皇即位の時代に重なってくる!?

 

これがその通りであれば、賀茂氏から秦氏が派生していることになる、またはやはり姻戚関係などにより強く結びついていたことの証左となるわけです

 

 

こちらも社紋で気になっていたのが高鴨神社の社紋です
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天皇を表す菊花紋の下に川が流れているのです

 

調べてみると、南北朝時代南朝に属した楠木正成がその功により後醍醐天皇から菊花紋を下賜されたもののそのまま使うには畏れ多いとして縁のある川を併せた紋だそうです

 

あっ、だから参道に楠木正成像があったんですね!!
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高鴨神社の記事を書いている時には正成公が高鴨神社を崇敬していたからだと思っていたのですが由緒ある神社の社紋が正成公の家紋となるとかなりただごとではない

 

さらに調べてみると、楠木正成の素性は自称橘氏ということだけではっきりと分かってはいないそうで、物部氏である、つまり鴨族である、などとされているようです

 

最古の神社のひとつにも数えられる神代創始の高鴨神社が崇敬篤かったというだけで南北朝時代に活躍した武将の家紋を社紋にまではしないでしょう

 

公式でも特に触れられてはいないのが気になり調べてみたのですがどうも調べた説にも様々

 

葛城山へ狩りに登ると天皇だけに許された装束を着た者に出会い無礼に怒るも大神だと知り献上品を奉じたというのですが、別説では怒って一言主を土佐への流罪にしたと言われています

 

調べてみると実際に土佐には高鴨大明神が祀られているのですがそこにはアジスキタカヒコネが葛城から来て土佐を開拓したとされており、なんと愛媛には社名も同じ高鴨神社まであります

 

さぁこれはどういうことか、勝手に解釈

 

葛城の地を治めていた鴨族は神武東征に貢献し、その一族が山城へと移り住んだ、やがて雄略天皇の代(450年頃)に大和における鴨族の権力を嫌って土佐へ流罪に、葛城から鴨族が消え山城が残ります

 

やがて764年7月とありますので4ヶ月後に淡路へと流されることになる淳仁天皇の代に葛城へ復祀されているそうなので300年ほど葛城から追い出されていたことになります

 

その間に強大な力を付けた山城鴨族が歴史の主舞台へと立っていったと思われます

 

では総本社でありながら流祀(神社ですからね)になった高鴨神社は葛城に戻ることが出来たものの苦労したでしょう、というよりも天皇により島流しにされているので戻れるというのは天皇による力だと思われますが、戻ってすぐに流罪により天皇が交代している事を考えると、、、? 直後に称徳天皇として復帰即位した孝謙天皇八咫烏である熊野総本宮を日本一大霊験所としているのです

 

調べてみるとそもそもでした、鴨族は葛城だけでなく熊野にも勢力を持っていたんですね、つまり孝謙天皇に貢献(ギャグじゃないですよ)した熊野鴨族により、いや、年代的な事を考えると高鴨神社の復権を条件に孝謙天皇の復帰に手を貸したと考えることもできちゃいませんかね?!

 

しかもですよ、しかも、称徳天皇で調べると当時の衣装を再現した(のか?)というお祭りで天皇役が着る衣装には肩にド直球の八咫烏マークが入っているのです

 

これ以上詳しく調べていくとほんとに何の話かわからなくなるのでここまでにしますが(既になってる)、、、つまり、味耜高彦根を祖とする鴨族は数多くの氏族へと分家していった中で苦労した葛城と成功した山城という状態になってしまった

 

だから族の祖である味耜高彦根ではなく氏族の祖である賀茂建角身と玉依姫を祭神としている、ただし葛城や熊野も共に八咫烏を名乗っていることや高鴨神社が鴨族の総本宮であることに異を唱えてもいない

 

そして話がやっと戻ってきました、葛城鴨族が天皇家と密接な関係に戻るやいなやなんと京が山城国へと遷都してしまうのです

 

決して山城賀茂氏の策略であるとまでは思いませんが、いや、思いたくはありませんので恐らく、300年の間に葛城の鴨族は周辺へと散ってしまったのでしょう、高鴨神社が戻ったからと言って300年のブランクがそのまま埋まるとは思えません

 

やがて迎えた南北朝時代、そう、実際に鴨族の血族かどうかは別として南朝方に属した楠木正成が崇敬篤く参拝していた高鴨神社にも同じ神紋が使われているということは、葛城八咫烏南朝後醍醐天皇方に付いたということではないでしょうか

 

調べてみるとビンゴ! 後醍醐天皇八咫烏を崇敬していたと出てきました!

 

ただ、血筋が枝分かれしているとはいえ皇祖を同じとする天皇家が即位争いをしているわけですから、八咫烏もまたそれぞれで南朝にも北朝にも協力していたでしょう、だって天皇家に入り込んでいるのですから

 

葛城と山城であまり仲が良い雰囲気は感じませんが、だからといって敵対している風も無いわけですからそれも時代の流れとして捉えている、願わくば時相応にそれぞれの最前を尽くし何があっても鴨族は残り繁栄する事を第一としていたのではないと思います

 

まぁ、、、部分部分しか調べずに書いているのでもっとそれぞれを細かく調べたら お前何言うとんじゃ って感じかもしれませんがこれが私の落とし所ですw

 

こうなると結構繋がってきちゃいます、大御神の尊称で呼ばれる神は僅か三柱、神話においても初めて人の姿であり性別を持った神である伊邪那岐大御神、皇祖神とされる天照大御神、では迦毛之大御神とされる味耜高彦根は何故?というところですよね

 

つまり、北朝南朝なんじゃないですか...?

 

都市伝説寄り寄りの寄りですが、明治天皇が実は即位時に入れ替わっていた説があります、これは学友と写った頃と即位後の写真で人相が違うということ、また歴史的に北朝天皇が続いてきたにも関わらず正当な天皇家南朝であると明治天皇自身が発言したこと、南朝天皇明治天皇として担ぎ上げすり替えることで九州勢が入れ替えたという説ですね

 

逆説だと、写真写りの問題なだけで発言も南朝方に華を持たせたなどと言われています(それにも違和感が大きい)が、どちらにしても北朝南朝それぞれに皇祖神が居ると考えた場合です

 

本来であればスサノオだったのでしょうが厄神とされてしまったのでそれは難しい、続いて各地で強く祀られた大国主が一大候補になるはずですが王朝としては滅びてしまった、そこで味耜高彦根です

 

私の勝手に考察では味耜高彦根天孫族天稚彦であり大国主の子は子でも下照姫を娶った義理の息子だったのではないかと考えていますので結局のところ、天孫族です(まぁ血縁によって殆どが天孫族にも国津神にもなっていくわけですが)

 

兄妹とされていますが天孫族である天稚彦=味耜高彦根天孫族正当祭祀王の血を引く下照姫を娶った、つまり天孫族の血族です

 

大御神は始祖である伊邪那岐高天原天照大御神、そしてこの島に降り立った迦毛之大御神ということになり、ひと柱だけ影のような存在になっている理由は歴史の表舞台から消えてしまいつつも裏の存在八咫烏として存続しているから、というのはどうでしょう(*´ω`*)←聞くなw

 

山城鴨族は天皇家にも入り込んでいったのでその代表社である賀茂大社にも斎王制度が敷かれ伊勢と並ぶ、高鴨神社ではなかった理由は上述のように一度流祀にされるなど所謂ケチがついてしまっていたからであり、京鴨で大御神が祀られていないのもその理由であると考えればスムーズですね

 

記紀南北朝よりもかなり昔に書かれているわけですが編纂されたのは高鴨神社の流祀・復祀後なのでその辺の事情も入っていた事でしょう、そして山城鴨族の力が確立されていくのは後の平安時代になります

 

どちらかと言うと裏の存在でありながらも脈々と着々と力を付け続けた所謂出雲族、鴨族の凄さと言うべきでしょう

 

つまるところの、時々大きな喧嘩もしてしまうけれど結局の所ではしっかりと協力しながら国を守っていると考えたいですね

 

え? 天孫系なのになぜ出雲系を祀り続けているかって?

 

そこなんですよ!! 一説では出雲系を裏切って(見限って)ヤマトで王朝を開き、さらに神武天皇に寝返った味耜高彦根と考察する向きもあるようですが、だとしたら鴨族系神社でちゃんと出雲系も祀られているのはあまりに不自然です

 

出雲大社大国主を封印しているという解釈もありますが、だとしたら斎王を置く官幣大社で本宮の目の前に大国主を祀っているはずがないのです

 

え?あの十二支に分けて名前も分けて祀っているのが封じているんだ、という声が聞こえてきそうですね、まぁそれはそれで個人的には面白いからありです(≧∇≦)

 

じゃぁ高鴨神社で出雲大社の神札授与が始まった理由は?

 

...あ

 

北朝側として出雲系を封じる立場の山城と南朝側として出雲側に立つ葛城という見方が、、、出来て、、、しまう?! 厄神封じとしてスサノオを祀っていることを考えると平安の考え的にありえなくはないですね

 

 

いやー、長いですねー、でも強大な氏族の話であり最強の謎と言っても良いくらいの八咫烏であり葛城山城鴨五社の総括なんだから仕方がない!! これは記事を分けられん!! ってことで継続します(៸៸>∀<៸៸)

 

ここまで鴨族について考えてきましたが、下鴨社の参拝によりそれ以上の謎となってしまった事があります、おわかりでしょうか

 

そう、猿田彦大神の存在です
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一説によると紀元前658年2月に葛野主殿県主部が賀茂建角身命を奉斎していたという記録があるといい、天神玉命を祖として鴨氏と同じ氏族だと書かれています

 

そして驚きの、、、賀茂神宮賀茂氏系図によれば賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より11代後の大伊乃伎命の孫、大二目命が鴨建角身命を奉斎しておりそれが賀茂御祖神社創始の一社だと書いているのです

 

大混乱!!  天孫降臨で登場したサルタヒコがカモタケツノミの12代孫ですと?! それはつまり、神武東征だけでなく天孫降臨を先導したのも八咫烏ということになってくる、いやそれどころではない、先に天孫族高天原へ導き、その上でさらに大和への神武東征を助けたことになります

 

いやいやいやいや、むーりー!!  無理、、、むり? ほんとに?

 

もう根本的に覆すしかないのですが、スサノオオオクニヌシ、アジスキタカヒコネ、カモタケツノミ、(11代)、サルタヒコが天孫降臨を助け、その後タカヒコネかタケツノミの同じくらい代替わりした子孫が実際に神武東征を助けた八咫烏ということになってしまいます

 

勿論その可能性もあるのですが、さすがにもうこれを解き明かすのはやっぱり無理ですね...

 

ただ、諸説をごちゃ混ぜに考えると、鴨族は葛城に降り立つ前に九州を経由していたというのでそこで猿田彦が居た可能性があります

 

ただ伊勢の猿田彦神社によると、天孫族を高千穂へと導いた後は天鈿女命と共に伊勢に戻って全国の開拓に務めたとあるのです、、、戻って?!

 

うーん、うーん、とにかく神代を紐解いているとどうしてもこの地域的問題というやつにぶち当たりますね

 

個人的には鴨族考察まで至っても国譲りー天孫降臨ー神武東征に時代差はさほど無い説を採用していたのですがどうも猿田彦まで絡んでしまうと齟齬が多すぎる、でもつまり齟齬が多すぎるということはどこかでどこかが(意図的も含め)間違っているという事ですから、考察でひとつの説に絞ろうとすれば自ずと自説に都合の良い解釈をするしかないということですね

 

ちなみに稲荷大神にも佐田大神が猿田彦の事であるとされているのでもしそうだとすれば賀茂氏だけでなく秦氏にもサルタヒコとの繋がりが深いことになります

 

導く八咫烏、道開きの猿田彦、どちらも意味合いが似ているにも関わらず同族とはされていないところを考えると、どこかで協力体制とか姻戚関係があったのではないかとも思えますね

 

猿田彦の地とされる伊勢と八咫烏の熊野は目と鼻の先ですから

 

 

ということで、全然まとまってない気もしますが私の中では正誤は別としてなんとなくおおまかな勝手に解釈が成りました

 

といっても勿論これで終わりというわけではなくここからまた広がりがあるのか無いのか、また新たな方向へと導かれるのか、今の段階ではわかりませんが(*´ω`*)

 

これにて年末巡拝と鴨族考察は一旦終了!!(`・ω・´)ゝビシッ

 

続きまして大晦日から年始にかけての名古屋巡拝の記事をアプしたら再び、秋冬に巡った都内の記事へと戻ります(*´ω`*)

 

こんな長くて纏まりの無い記事を最後まで全部読んでくださった方いらっしゃるのかしら、、、感謝しかありませんm(*_ _)m & 事実とは異なるであろう勝手な解釈ばかりですみませんm(*_ _)m


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山城国一之宮 下鴨 賀茂御祖神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

さぁ、やって参りました下鴨神社賀茂御祖神社

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勿論、上賀茂さんから歩いて来たので北参道、つまり裏参道です
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そしてこちらも上賀茂さん同様、下鴨神社と呼ばれているけれど正式には賀茂御祖神社であり御祭神が賀茂建角身命玉依媛命であるという二点のみしか分からないままの参拝になります

 

と早速境内社が、こちらは二社合殿になっています
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右手が賀茂斎院御所の鎮守だったという愛宕神社火産霊神が祀られ、左手の宇迦之御魂神を祀る稲荷社は同じく斎院御所の忌子女庁屋の守護だったそうです

 

年季の入った由緒版と境内図です
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こちら、とても素敵な手水舎ですね
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三本杉の御手洗、このタイプは初めてでとても素敵です
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この境内案内を見て、意外とそれほど歩き回らなくて良さそうだと思ったのですがそんなわはない、実際はかなり広かったw

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こちらは印納社、本宮御垣内に祀られる印璽大神と宇迦之御魂神が祀られており、この場所は賀茂斎院御所があった場所だそうです
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こちらは見たままの自動車祈祷所である祓社、祓戸大神だけでなく主祭神である玉依姫命賀茂建角身命が祀られています
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はて、この辺りで気付きました、その資料や場所によりタマヨリヒメとタケツノミどちらが先に書かれているかが異なるのです、後々に分かってくるのだろうか

 

本殿近くの手水舎も風情があります

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そして、、、美しき楼門
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楼門を潜ると正面は外拝殿ではなく舞殿、こちらも美しい
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中門を潜ると干支の御祭神を祀る社が並んでいるのですがよく見ると7社しかなく、子と馬以外は二支になっていますね
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案内板には神名だけ書かれていますが

一言社:大國魂神(巳未)、顕国魂神(午)

二言社:大国主神(子)、大物主神(丑亥)

三言社:八千矛神(辰申)、大己貴神(寅戌)、志固男神(卯酉)

となっています

 

。。。あれ? あれれ?  っと、こちらは後述にしましょう

 

私は午年なので顕国魂神にご挨拶
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正直言いますと、今までずっと うつくしくにたま だと思っておりました、実際は うつしくにたま だったんですね、お恥ずかしいw

 

そしてこの左手が本宮になり東本殿に玉依媛命、西本殿に賀茂建角身命、さらに西に印璽社が鎮座されております

 

この神前に立った時のなんとも言えぬ感覚は伊勢内宮、伏見稲荷、高鴨神社、上賀茂神社熱田神宮などと通ずるものがありますが、まぁこれがなんと言葉に表したらよいのやら、という感じですね

 

とにかく、ご挨拶出来ることがとても有難く感じるのです

 

本宮から左手方面へが順路になっており、こちら
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立て札ではこう書かれていますが公式の境内案内ではさらに詳しく書かれていますのでそちらを元に書いていきます
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正面(写真右手)は境内案内で三社併せて三井神社となっていますが手前から伊賀古夜日賣命、賀茂建角身命玉依媛命を祀る三井神社、大山咋命を祀る日吉神社、御歳神を祀る沢田社

 

待って、急に凄いんですけど。。。!? タマヨリヒメとその父母が祀られているのですが公式では母が最初に書かれています、そしてタマヨリヒメが身篭った矢の正体とされるオオヤマクイ、そしてスサオノの孫として葛木御歳神社に祀られるミトシノカミと凄い神々が並んでらっしゃいます

 

しかも一説によるとこちらの三井神社、元は少し北に鎮座されており中賀茂社とされていた事があるそうなのです、、、山城国も三社だった?!

 

そして個人的にはこちらに火雷神ではなく大山咋命がいらっしゃることにも注目したくなります

 

そしてこう並ばれるとやはり、スサノオの子である大年神大国主の事でその子である御歳神はアジスキタカヒコネではないかと思ってしまいます

 

さらに写真左手に並ぶ三社、右手から迦毛之大御神の異母兄弟である建御方神を祀る諏訪社と親族系が並ぶ!と思いきや、水分神を祀る小杜社、猿田彦神を祀る河崎社と斎王神霊社が合祀された白髭社が鎮座します

 

水分神はミマクリと読むそうでその名の通りハヤアキツヒコ・ヒメの子でアメノミマクリ・クニノミマクリとして生まれた水を司る神であり、後に御子守(ミコモリ)として子の守護神ともされたようです

 

そして立て札で大伊乃伎命とされているサルタヒコ!!  水の上、そして斎王はまだしも親族が並ぶこのエリアに祀られている意味とは?!  さすがにこれは後述が別途まとめ記事します( ̄▽ ̄;)

 

ちなみにこちらには賀茂氏(神社)の紋でもある双葉葵が自生しているんだそうです、気づかなかった(´>∀<`)

 

そしてこちらの庭を出たところに鎮座されているのが、っと迫力が
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こちらは出雲井於神社、いずもいのへの、と読むそうですがこちらの社殿周りにはどんな木を植えても柊のように葉の淵がギザギザになることから比良木神社とも呼ばれているそうです

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出雲?!と御祭神を見ると建はや須佐之男命を祀り、北に住吉神を祀る岩本社、南に玉津島神を祀る橋本社が並び祀られています

 

玉津島神を玉津島明とすると、スサノオが投げ込んだ馬に驚いてなくなった稚日女尊息長足姫尊衣通姫尊の三柱ということになりますが、、、スサノオの隣にワカヒルメが祀られている

 

やはりそれはつまり記紀がそのままの意味ではなく、疫病で亡くなった巫女を厄除神の隣に祀っていると考えてもそう間違いではないような気がします

 

本宮前に戻ってきました、既に太陽は見えなくなっています
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上賀茂神社と同じく、下鴨神社境内にも御手洗池からこの輪橋と呼ばれる太鼓橋の下を流れる御手洗川、垣外へ出ると奈良の小川、そして瀬見の小川と名を変え参道を流れる川があるのです

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その流れの元に祀られるのが井上社、御祭神は瀬織津姫
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元は高野川鴨川合流地点の東岸に祀られていたそうでここは御手洗池の泉湧く井戸の上に祀られた社だったようです
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社殿裏から響く水音がなんとも神聖でとっても心地好い

 

こちらは水みくじが人気のようで御手洗池と社殿前のおみくじ結び所にはたくさんの人が集まっていました
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太鼓橋の手前には鳥居、そして龍が飾られていました
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そうなんです、この太鼓橋は渡ることが出来ないのですが御手洗川には降りることが出来ることから渡れずとも潜れる橋として一部で人気があるのだそうです

 

こちらにもとても格好良い龍の巨大絵馬が(*´ω`*)


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遥拝所がありました、、、がやはりどちらへなのかは書かれていない
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地図で見るとまさにその方向なので元々瀬織津姫が祀られていたという唐崎社の方向なんじゃないかと思いますがどうでしょう

 

楼門前に戻ってきました、ここから正面参道を下っていきます
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こちらは相生社、神皇産霊神が祀られています
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こちら、連理の榊は四代と代替わりしているにも関わらず糺の森に二本の木が結ばれる連理で生えてくるのだそうです
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相生社の隣が授与所となっていてこれがまたなんとも ショップ という言葉がピッタリなほどに御札、御守りだけでなく様々なグッズやお土産のお菓子なども売られていてちょっとびっくりしましたがかなり賑わっていて下鴨さんの人気の高さが伺えます

 

そして大きなさざれ石
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南口鳥居を潜りそのまま真っ直ぐ進むと瀬見の小川東側(表参道)を歩くことになるのですがここでご注意、多くの方は表参道から来る時にご存知でしょうが、川の西側、馬場と呼ばれる道の方に境内社が鎮座されています

 

暫し歩き、途中で渡れば良いかと思いつつ先を見ると渡る場所が無さそうで引き返したのですが大正解、途中に渡るところが全くありませんw

 

そしてなぜか、ここからの境内社は公式境内図にも載っていないのです、、、なぜだろう(河合神社は載っています)(紙ベースの案内には載っています)

 

まずこちら、賀茂斎院歴代斎王神霊社
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社名の通り、賀茂斎王を務められた皇女が祀られていますので巫女系のお力が強い方が参拝されると何か感じられるでしょうか
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こちらは垂水、大きな幹から手前に延びる太い枝から御神水が流れでおりとっても素晴らしいです、参道ではなく馬場を通ってこなければいけませんがこちらで手口を清めてから参拝されると気持ちよくご挨拶出来そうです
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そして一際目立つ赤い幟がたつこちらは雑太社、高皇産霊神とされる神魂命と賀茂建角身命が祀られています
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元は鴨社神館御所の雑太という地に祀られ、722年のはその名が記録にありここから各地へと分霊が勧請されていたそうです

 

神魂命の魂が球に通ずるということで明治に当社の前で日本初のラグビー練習が行われたことから社殿前にはラグビーボールを象った大きな彫刻(石でしょうか)が奉納されています
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続いてこちらは二十二所社、鴨氏二十二譜始祖神が祀られます

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その左脇に河崎社の立て札と鳥居、元は現在の知恩寺付近に鎮座されていたそうで御祭神は神魂命、賀茂建角身命、玉依彦命、大伊乃伎命、大屋奈世命、馬伎命

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なんと、またしてもサルタヒコが祀られている、そして大屋奈世命と馬伎命はその御子だそうです、、、なんとなんと!?

 

そして社殿は板で覆われているのですが社殿前に立つと何か不思議な感じがしました、その後ろには川が造営されています

 

やはり賀茂氏の祭祀と川は切っても切れないようです

 

ちなみに不確かですが、以前はこちらに雑太社が合祀されていたという情報もあり、立て札の神魂命はその時の事かもしれません

 

鴨氏が祀っていた社はほとんどが応仁の乱で焼失してしまったらしく、境内図には載らず馬場の並びに祀られている金色の扁額がかけられた社は近年になり徐々に再興されているとのことなので一連の造営が終わった所でPDFや設置看板も更新されるのでしょうか

 

そして下鴨神社、いや、葛城からの鴨社巡拝の最後がこちら

 

河合神社
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陽が落ちはじめなんとも言えぬ神々しさ
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足を踏み入れるとさらにグッと空気が張り詰めます
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やや賑やかなカップルさんも居たのですがその空気は決して揺るがない神聖さです、ここ、凄いぞ...

 

垣の奥に三社祀られていて中央に座されているのが河合神社、御祭神は神武天皇の母 玉依姫命、玉のように美しいとされていることから美麗の神として崇敬されており女性の参拝がとても多いそうです

 

主殿の氣が凄くて写真なんて忘れてしまいました(*´ω`*)

 

その隣には高龗神を祀る貴布禰神社です
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上賀茂さんで知りましたが鞍馬の貴布禰神社賀茂社の摂社でした

 

そしてさらに左手に座されるのが元専女社である任部社で創建は神武天皇の頃とされており、御祭神は八咫烏命!!

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ただご由緒を読むと元の専女は稲女でもあり、つまりは稲荷神と捉えることが出来る神が祀られていたとされています

 

また河合神社の主祭神玉依媛命であり、八咫烏賀茂建角身命が化身したとされているのでこちらでは八咫烏として祀られているかもしれません

 

かなり強い氣を感じる御神域、、、と思い調べてみると下鴨神社公式では摂社としか書かれていないのですが由緒板には神武天皇の御代よりそう遠くない頃と考えられていると書かれているのです

 

...?!

 

下鴨神社の創建年代を調べると崇神天皇七年(紀元前90年)に瑞垣修造が行われたという記録が最古なのでそれ以前とされています、となると神武東征によりこの地へ移った賀茂氏が最初の頃に祀った神社が河合神社だという可能性も無くはない?!

 

そして境内西側にはこちら、六社
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建御方神を祀る諏訪社、八衢毘古命・八衢比賣命を祀る衢社、宇迦之御魂神を祀る稲荷社、奥津日古命・奥津比賣命を祀る竈神、霊璽を祀る印社、少彦名神を祀る柚木社です

 

最古の記録が1202年だそうで衣食住を司る神々ということなので上下鴨社の中でも少し異なるのかもしれません

 

そしてこちらが今回の葛城山城巡拝最後の神社となります

 

河合神社境内の真正面に正対して北向きに鎮座されている三井社、御祭神は本宮西に鎮座されていた三井神社と同じですがこちらは下鴨神社より勧請された蓼倉郷の総社だそうです

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うーーーん、素晴らしかった!!

 

そして何より、夜明け前から稲荷山へ登拝してずーっと歩き倒して来たのにこの疲れの無さは一体何なんでしょう、、、不思議だ

 

とはいえ新幹線の時間を考えて河合神社からすぐ近くのバス停から京都駅へ向かったのでなんと正面参道の始点を通らぬという暴挙をしでかしたわけですがw

 

いやー、、、悩ましいですね、こうして巡拝を続けていると何度も参拝したい!と思う神社がやっぱり増えてきます、だけど帰省巡拝が年イチとなるとまだ参拝したことの無い神社を優先したくなってしまう

 

そんな中でもまた参拝することが出来るのかわかりませんが、葛城鴨社、山城鴨社ともに、何度も参拝したいと心から思う素晴らしい神社でした

 

 

私、天邪鬼なので人気スポット、観光スポットと言われるとちょっと壁を作ってしまう鬱陶しい性質なので実は京鴨社もこれまで全然参拝候補に入れてなかったんです

 

やっぱり、恐らく間違いだらけのw勝手に記紀考察で色々と自分の頭を使って考え、その直後に長岡で貴彦根神社を参拝し、それにより葛城鴨社へと導かれ、併せるように山城鴨社へも導かれた

 

だからこそ、脳内ぐっちゃんぐっちゃんですがw 色々と受け取れる事が沢山あったんだと思います

 

もう余りにも凄過ぎたのと、これまでちょいちょい混ぜてしまいましたが考察系はひとつ別の記事にしたいと思います


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そうそう、謎多き干支詣の一言二言三言社についてはこちらで

 

案内板と公式の境内図を併せないと気付かないところでもあるのですが、とりあえず十二支なのに七社だったり一言~三言というのも不思議でありながらその御祭神の配置も謎なのです

 

うーん、うーん、と眺めていていくつか気付きました

 

十二支を方角に当てはめて並べると、子と午だけが単独である理由だと気付きました、ということは、そうだ!  東西が卯酉です、つまり南北で分けて東西左右で相対する干支がセットになっているようです

 

ではなぜそれぞれに神が異なるのか、、、

大己貴神八上比売に求婚する問に使われた名

八千矛神沼河比売に求婚する時に使われた名

志固男神根の国スサノオに呼ばれた名

現国玉神と大国主神スサノオから与えられた名

大物主神は和御魂だという説のある名

大国魂神は荒御魂だという説のある名

全てオオクニヌシの別名とされている名です

 

境内での社殿の並びは中央二社が一言、東の二社が二言、西の三社が三言になっているようですがなぜそれぞれが一言はまだしも二言三言に振り分けられた理由は...

 

うーん、、、あっ!! 一言は共に魂、二言は共に主、三言は各々ですが若き頃の名前だ!! つまり若くして国を統一しようと頑張っていた三言、国造りを成した二言、そして魂となった、つまり死後が一言という階層になって二支の位置に当てはめられている?!

 

じゃぁそれにどういう意味があるのかというと、、、わからん!w

 

しかも、何故オオクニヌシだったのか、それが最大の謎だと思うのですが、、、ここで葛城賀茂参拝が活きてくる、鴨族の祖である迦毛之大御神はアジスキタカヒコネであり、その父はオオクニヌシなので祖神の祖神が本宮前に祀られていることになります

 

いやいや、それがなんで?と言われると結局謎なのですが。。。w

 

 

 

神宮寺の鎮守 二葉姫稲荷神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

本日はこちら、賀茂別雷神社の南東に鎮座される二葉姫稲荷神社
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こちらも文化遺産なのかと思いきや本殿・権殿の重要文化財看板でした、なぜここに( ´ 〜 `)?

 

さすがお稲荷様とも言うべきか、参道を登りきると急に空気感が変わります、そしてこちらは、、、八嶋龍神?!
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祭神御由緒がありました、とても助かります
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廃寺となってしまった神宮寺境内の辨天嶋に鎮座されていた龍神様をこの神宮寺山に祀ったのだそうですが、ここよりさらに南150mほどまでも元は賀茂別雷神社の境内だったんですね

 

廃寺となり池が埋められてしまうと多くの村人たちの夢に龍神が現れたことからこちらへ辨天嶋の岩を遷し磐座としたそうです

 

そしてさらに社殿が並びます、手前は天之斑駒神社
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他に 駒 と付く稲荷神社もあるのですがなぜかこの時に御馬様の御姿が頭に浮かんだのですが、、、調べてみるとまさかの、スサノオが皮を剥ぎ投げ込んだ馬のお名前でした

 

そのお馬がなぜここに?! ここでふと思ったのですが、、、っと、これは後述にしましょう

 

中央はなんと凄い威を放つ金毘羅大権現、そして脇には不動明王がいらっしゃいます、あまりの覇気に撮影を忘れてしまうほどでしたが、中央に座されている事から元よりこの山に祀られて(安置されて)いたのではないでしょうか

 

そして右手がお稲荷様ですね
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日陰になり静かで暗い雰囲気ではありますがとても華やかで見た目ほど暗い感じはありません、いや、実際に暗いんですが、受ける感覚がという意味です
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ただやっぱり、この四社はどちらもとても重厚な氣を放たれていてその大元はこの背後の山のように感じました

 

参道は反対側へと続いています、これは、、、という感覚がありながらも降りていくことにしました
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光善稲荷大明神の磐座、勿論御由緒等はわかりませんでした
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はい、予感は的中!!  どうやらあの小川を渡ったところから境外だったようですが、それなら何故小川の先に重要文化財看板が立っていたのかw

 

思いっきり住宅地の中へと出てしまい苦笑いしつつ、戻るよりも表から入り直すことにしましたw

 

 

さて、調べてみると残念なことに二葉姫稲荷は怪しげだとか心霊スポットだとかいうコメントが散見されますが、私にはそういった氣は感じませんでした、寧ろお社にも小山自体にも宿られている神聖な場所です

 

 

だからこそ、"そういった"気持ちで参拝すると"そういう"印象"を受けてしまうのではないでしょうか

 

二葉姫稲荷神社は片山御子社の神宮寺鎮守として創建されたとあります、その神宮寺は820年に勅令で建てられたとありますその鎮守なので同じ頃ではないかと思われます

 

二葉は上賀茂神社の社紋 双葉葵 であるとも思えますがこちらは摂社にはなっておらず、ただ境内を接していることから神宮寺が廃寺になったので正式な摂社とはしていないけれど関係は継続されている感じでしょうか

 

ただ場所により付いたり付いてなかったりする 姫 の由来についてはやっぱり謎で、その辺りが御神域の雰囲気ともあわさって様々な憶測を呼びやすいのかなぁ、なんて思ってみたり

 

まぁ私は見えたり聞こえたり出来ませんのでわかりませんが、それでもやっぱり凄い場所には凄い来があってその種類も様々

 

同じ神聖でも穏やかな所もあれば厳格なところもあるわけで、特に神山やお稲荷様には厳格な性質を持ってらっしゃるところが多い

 

幸いというか、まだこれまで一度も拒絶ほどの圧を感じたことは無く、またご挨拶をすると空気感が変わることも多々あります(勿論、ご挨拶をしても厳しいままのところもあります)

 

つまりは、しっかりとしたご挨拶もせず"そういった"気持ちでズカズカと御神域に踏み入っていけば圧を感じるのも当然であり、もしかしたら、そういうので追い払われる事もあるのかもしれませんね

 

このお山は片岡山とも呼ばれるそうで、神宮寺が廃寺になってから呼ばれ方が変わったのかもしれません

 

 

そして天之斑駒について

 

勝手に記紀考察でも書きましたが、いくら横暴粗野なスサノオでも生きたまま馬の皮を剥いで姉の部屋へ天井から投げ込むなんてことをするでしょうか、いや、さすがに有り得ないのです

 

つまりは何かの比喩であることは明らかでそう書かれてしまうほどの度を超えた行為があったのだと思っていたのですが、ここで今宮神社を参拝したことがキッカケで思いついたのがこれです

 

スサノオ牛頭天王であり厄神として恐れられていました、これがキーポイント!!

 

生き馬が皮を剥かれ、巫女は驚きでホトを負傷しなくなる、そいて天照大御神は隠れられた

 

つまり、何らかの疫病により天照大御神崩御されたことを厄神スサノオと馬で表し、巫女が亡くなったということにしているのではないか

 

もっと言えば、天照大御神という神と人を繋ぐ祭祀王、つまり巫女が疫病で亡くなった為に神降ろしが出来なくなり、さらに疫病が蔓延していったという読み解きが出来ます

 

であれば、皇祖神(祭祀王)にまで及ぶほどに蔓延した疫病を鎮めるため八百万の神々が新たな巫女を探すも厄災を抑えることが出来るほどの巫女が見つからず、漸くその力を持つ巫女が現れた、それが天鈿女命だった

 

つまり、岩戸開き以降(もしかしたらそれ以前も)に天照大御神が出されていた指示というのは全て、祭祀王が神降ろしによって受けていた託宣だったのではないでしょうか

 

後の神功皇后もまた皇后であり祭祀王でもあったと私は考えており、実際に(と言っても良いかと思いますが)託宣により数々の大業をなされています

 

なんと上賀茂さんの参拝でこの解釈が生まれるとは思いもしませんでした(*´ω`*)

 

さて、ここで突然のメシ、、、いや、菓子テロ、じゃん!
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京賀茂名物 やきもち!

 

要は表面が少し焼かれたあんころ餅なわけですが、私のファン(居ない居ない)ならばご存知、安永餅やなが餅など表面を軽く焼いたあんこ餅の類が大好きなんですよね(*´▽`)

 

これ、めっちゃ美味いです! 甘さも丁度よく餅感もとても良い、そして薄ら香ばしさがまた良い(*´▽`)

 

オススメです!!

 

山城国一之宮 上賀茂 賀茂別雷神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

遂にやって参りました、上賀茂神社!!

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う、うぉぁぁぁ、、、き、規模が、、、そして賀茂大社の碑
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そう、無知な上に下調べをしない(しなさ過ぎる)私は、うんうん上賀茂さん下鴨さんは有名だよね~、っていう程度の知識のみでここまでやって来ました

 

この参拝時点でわかっていたのは正式社名が賀茂別雷神社であること、御祭神が賀茂別大神であること、以上!!

 

っと、、、ここは、、、やばい、やばいぞ
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高鴨神社くらい広いんだろうなぁ、と思っていたのですが、、、
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とんでもない広さな気がしてきた...
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こちらの綺麗な建物は能殿かと思ったら馬場殿だそうです
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こちらが二の鳥居

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そうなんです、この規模の神社なのに人が少ない!? 

 

やっべぇ、、、想像していたよりもめちゃ広い、、、
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お賽銭は巡拝を控えてたーーーんまりと10円50円100円を集め持参しているので全然余裕なのですがこれだけ広いと次の下鴨さんの時間もちょっとだけ心配になる、それほどの広さですね

 

おぉぉ、これは私でも知ってる有名な立て砂、こちらは細殿
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ただ全然由来を分かっていませんでした、こちらは大神が降臨されたという神山を象ったもので写真だとよく見ないとわかりませんが山の頂上に二本、三本の松葉が立てられ陰陽一対になっているのだそうです

 

そして辰年に向けて奉納されたのか昇り龍降り龍が御祭神に合わせて雷龍で描かれています、凄く格好良い!!

 

華やかな手水舎です
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ここからは結構人がいらっしゃる、それもそのはず駐車場側からの順路もあったようです
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こちらは衣通姫命を祀る橋本神社
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ソトオリヒメは木花咲耶姫命光明皇后小野小町と並び称される美女であり、また住吉神、柿本人麻呂と共に和歌三神とされる玉津島明神と同神だとされています

 

渡ることは出来ませんがとても美しい玉橋
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そして美しく立派な楼門!!
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ちなみに高鴨神社の件があったので参拝前にたこ焼きを食べながら調べておきました、検索すると撮影NGだと書いている人を見かけますが実際のところ、上賀茂神社下鴨神社も写真撮影はOKで多くの神社と同じく禁止されているのは無許可でのプロカメラマンや商業目的による撮影だけでした

 

楼門を潜ると巨大な矢!!
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矢といえば多くの神社で授与品として破魔矢・守護矢が授与されていますが上賀茂神社にはとても縁のある矢となります

 

神代、雷鳴轟き天から降ってきた一本の丹塗矢が川を流れてきたところを賀茂一族の姫 賀茂玉依姫命が見つけ持ち帰り祀っていると身ごもり男子を出産します

 

御子が元服の祝宴にて祖父である賀茂建角身が「父だと思う神に盃をすすめよ」と問うと御子は「我が父は天津神なり!」と盃を天に向け投げると甍(茅葺)を突き破り、御子は雷鳴と共に天へ昇ってしまったという

 

突然御子を失った祖父と母が再会を願っているとある夜、玉依姫の夢枕に御子が現れ神託を告げたのでその通りに神迎祭をおこなうと立派な成人の姿となった御子 賀茂別雷大神 が降臨されたという

 

社伝によると降臨御鎮座が神武天皇の御代(紀元前)、欽明天皇の代(550年頃)に賀茂祭が始まり677年に賀茂神宮が造営とされています

 

こちらの矢の先、というか後ろというか、に鎮座されているのは櫛石窓神と豊石窓神を祀る棚尾神社です
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そして本殿へ参拝する中門には注連縄で作られた宝船御飾!!
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五本の当たり矢が刺さった宝船の下を通ると良い一年になると言われているそうです(*´ω`*)

 

神前に立つと御幕の先は薄暗く、でもはっきりとした御神威を感じる厳かさに包まれ、私の真横、というより前にまでお子様が駆け寄り後ろから親御さんの声が響くというなかなか賑やかな中だったにも関わらず一瞬時が止まったかのように音がスッと消えた気がしました

 

こういった参拝者が列をなしている場合、私はいつも近くなってきたところから心の中で名乗りとご挨拶を進めてしまい、自分の番になると感謝をお伝えするだけというスムーズな参拝にしているのですが、そんな短い間でも時が止まったかのように感じる事は滅多にありません

 

なんだろう、このご挨拶した後のスッキリした爽快感(*´ω`*)
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って結構陽が傾いてる!? サクサクッと回らないとほんとに時間無くなってしまうw

 

と思いつつも全然急ぐことなくのんびりと参拝してしまう、そういった何か不思議な居心地の良さがここにはある
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お姿は見えませんがこちらには本殿権殿だけでなく若宮神を祀る若宮神社建玉依比古神を祀る土師尾神社、杉尾神を祀る杉尾神社が祀られています

 

こちらは罔象女神を祀る川尾神社、社殿の脇から後ろの川へと降りられる御手洗場のようになっていますが、この川にはその先にも何ヶ所かそういった場所が作られています
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もう少し苔むした方が好きですが、いやぁ、檜皮葺って良いですね
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そして今境内図を見ていて気付きました、境内を流れる川がY字形になっていて賀茂川と高野川、丁度上賀茂社下鴨社の鎮座する扇状地の位置に本殿が祀られているんですね!!

 

そして伊勢神宮遥拝所がありました
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本殿右手、門の所からの参拝になりますがこの奥には二社
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右手、新宮神社は明治期まで賀茂別雷神社の第二摂社だった貴船神社の高龗神が祀られ、雪深い冬場でもこちらで参拝出来るよう1628年に分霊が祀られたそうで、その左手には大山津見神を祀る山尾社が鎮座しています
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川を渡ると賀茂県主族の祭祀王だった玉依姫命を祀る片山御子神社が鎮座されています(何故だか社殿の撮影を忘れてしまったようです)
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石段の上には阿須波神波比祇神生井神、福井神、綱長井神を祀る須波神社
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一説によると大年神御子神と宮中守護として祀られていた井戸の神とされています

 

石段を降りてくると目が吸い寄せられたのがこちらの岩
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な、な、なんだここは、、、御神木?よりも岩が凄いんだけれども、と写真だけ撮っておいたのですが今読んでみるとなんと返祝詞をあげられていた古代祭祀の霊所で氣が集中する場所とある、どうりで物凄く引っ張られたわけだ...暫し目が離せなかったもの
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本殿西側と東側、川尾社の裏の奥より流れる川は結構な水量で境内を長く流れていて御神域全体を素晴らしい氣で包み込んでいるのでどこに居ても居心地の良さがハンパない

 

時間のことなど忘れてついつい川のほとりでの~んびりしてしまうのであります

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あ、そうですw 実は主殿参拝後に授与所を覗いた時、どうもやっぱり八咫烏さんがこっちを見ているのでおみくじを頂戴し、我が家の神棚にお座りいただくことにしたのです

 

そして高鴨さんで御札を頂いていたのでもうお受けするつもりはなかったのですがどうも金色の輝きに引っ張っていかれたのが金ではなく黄色い厄除御守護神札でした、我が家の神棚にいらっしゃって中央でお守り頂いています

 

ならの小川のほとり、岩の上に鎮座される陰にあって凄い存在感のあるこちらのお社
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凄いですね、ほんとに岩の上に鎮座されています、こちらは底筒男神・中筒男神・表筒男神を祀る岩本社
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そのまま川を下っていくと鎮座されていたのが賀茂山口神社
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御歳神が祀られており、細い川に石が渡されこの背側には拝殿がありました
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あれっ、入っちゃいけないところに踏み込んでしまったのか?!と一瞬慌てましたが、この先には「日時によりこちら側へはお入り頂けませんと書いてある柵があり開いていたのでひと安心

 

ただ、後に書きますが私と同じルートで参拝される方はこちらより先に行くべきところがありますのでご注意ください

 

 

さらに先へ進むとならの小川の支流に石橋が架かり、山上へと朱鳥居が並ぶ二葉姫稲荷神社がありますが記事を次に分けます
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二葉姫稲荷からそのまま先へ進むと境内外へと出てしまったので再び正面へ、駐車場側から来たのでならの小川の方から境内へ

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砂利の正面参道に人が全然居なかったのは皆さん車で来てこちら側からいらっしゃるんですね~

 

川沿いに並ぶ末社、こちらは梶田神社で御祭神は、、、瀬織津姫神!
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東手、高野川に当たる小川の上流に罔象女神、そして合流した下流瀬織津姫が祀られているんですね、素敵(*´ω`*)

 

続きまして山森神社には素戔嗚神稲田姫神、田心姫神と夫婦御子神が祀られています
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このもうひとつ上流に奈良刀自神を祀る奈良神社もあったようですが図を見ると真横を通っていたにも関わらず気づかなかったようです(´・ω・`)

 

ナラトジノカミはならの小川の女神とされており、神饌を清める女官だとされているそうです
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ここからは渉渓園という庭園になっており、この先に鎮座されているのが先程の御歳神が祀られる賀茂山口神社になります
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こちらは睦の木とされているスダジイという椎の仲間でひとつの根から何本もの幹が伸びていることから仲睦まじい家族の絆を守る木とされているそうです

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うーん、ほんとだ、家族の傘のように温かい(*´ω`*)
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そして問題はこの先です

 

こちら、陰陽石
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瀧尾神社の陰陽石は男根女陰を表す二石でしたがこちらは陰陽が極まり融合した石とされており、古く龍が棲むとされていた池の底から出現した石だそうです

 

確かによく見ると真ん中に割れ目はありますが左右はしっかりと繋がっており、そして左と右では若干石質が異なるように見えます

 

両手で触れてそのお力を、とあるので割れ目の左右に手を置いてみました、、、まぁビリビリするでもなく温かいでも冷たいでもない不思議な感じでしたが、なんだかとても落ち着きました(*´ω`*)

 

問題は説明板の最後、「両手で触れてそのお力を頂いてから賀茂山口神社にお参り下さい」と書いてある

 

つまり、こちらから来て拝殿からご挨拶しなさいということだったんです! 勿論、仕切られてはいなかったので拝殿脇からご本殿へ石橋を渡ってご挨拶しても大丈夫です!!(本殿自体に賽銭箱がありましたしね)

 

いやー、、、素晴らしかった、賀茂大社の石碑通り御神威に満ち満ちた御神域でした、さすが京都最古とされる上賀茂さんですね
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ずっと御神氣と御水氣を受けていたからか物凄く清々しい気持ちで身体も全然元気、とても未明から稲荷山を登ってきたとは思えないほど充実していました

 

と、いうわけで、、、特に急ぎもしませんで、というか少しのんびりもしつつの参拝でちょうど1時間ほど、実はここから東に境外末社が鎮座されているのは知っていたのですがさすがにそちらは諦めました

 

何故って、、、上賀茂さんから下鴨さんってマップでは徒歩45分なんですよw これまでの経験上、私の足でサクサク歩いても40分は掛かる、軽く日没との闘いになってきたのですw

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勿論バス移動もあるのですが調べてみると余り変わらない、であれば賀茂川を長ながら歩く方を選ぶのが私(*´ω`*)
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と、カラス様

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じーっと眺めていると翔んだ!! 足は二本!残念!!(アタリマエダ)
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でもあれですね、八咫烏の神社へご挨拶した後に会うカラスさんはやっぱり格別ですね(*´ω`*)
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いやー、良い眺めだけれどやっぱ45分は長いですね、と思っていると彩雲登場!!
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さらに!
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さらに!!

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次々と現れる彩雲が飽きさせず歩かせてくれました(*´ω`*)

 

 

 

では御祭神について

 

神山の御阿礼所への御鎮座を創建とすると創始は紀元前ということになりますが祭りの始まりや神宮造営までかなり時があくのが少し気になります(大きな祭りほどではなく祭祀自体は続いていたのかもしれませんが)

 

一説には賀茂別雷大神がアジスキタカヒコネと同一視される説もあるようですがさすがにそれは時系列から言っても難しいかと、それよりも賀茂別雷大神が御降臨された後について資料が見当たらないのです

 

父である天津神については火雷神である、大山咋神であるなど諸説あるようですが、矢・川・解任・天津神というキーワードが酷似する話があることが注目されています

 

個人的には、、、神憑りや降臨にしては実際に祖父や母の御名まで出てこうして現代まで祀られ続けているのでただの創作神話だとも思えず、もしかしたら流産や早世などに遭ってしまった御子だったりするかもしれない、と考えてみたり

 

でなければ、賀茂別雷の降臨と時を同じくして賀茂一族若しくは諸説にある松尾大神、つまり秦氏系に大神クラスの人物(神)が突如現れていれば、、、という可能性もあります

 

記紀においてはその都度異なる名前や職位名で書かれるので同じ神が別人のように、またその逆で同じような役職名で別の神が同一のように書かれたりします

 

いずれにしても、検索してみてもちょっとその論拠には、、、という説or深すぎて理解が追いつかないものしか見当たらない感じなのでこれは難題ですね

 

ちなみに先日、風邪で微熱を出していた時に見た謎の夢で最後歩いていた道にかかっていた看板には 神山 という文字が書かれていました

 

まだこの記事を書く前で賀茂別雷大神が降臨されたのが神山だということを知らない時です

 

何故か感覚で北西すぐ近くに海がある場所(夢の中では海など見えていない)というイメージを持っていたのですが、さすがにそんなことは無いだろうとGoogleで検索すると出てきたのは北陸のとある場所、旧神山村

 

ただそこは既に合併で名称が変わっており、そしてすとりーとびゅーで見ても全然雰囲気が似てはいない、まぁ夢だからな、てことでやり過ごしていたのですが

 

もしかして八咫烏というキーワードが出てくる夢だったから葛城か山城に神山が?と調べて賀茂別雷大神が神山に降臨されていたことを知ったのでした

 

その上賀茂神山の北西には海ではなく賀茂川、そしてストリートビューでサラッと確認したところ、さすがに神山という看板は見当たらなかったのですが緩やかな坂と建物の雰囲気が夢と似ている?!

 

いや、勿論全ての道を見たわけではないし似ていると思えば似ているだけで建物など夢そのものだというほどの場所は見当たらなかったのですが、、、まぁ、偶然ですかね

 

でもいつか、行ってみたいですね

 

神聖な山ではあるのですが禁足地にはなっていないようで、ただし登るにはなかなか大変だというのであまり現実的ではない気がしますが( ̄▽ ̄;)

 

 

さぁ、次はいよいよ、葛城・山城鴨族五社の最後、下鴨社です!